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フリーメイソンと音楽、そしてベートーヴェン。
先日、ある新聞社のメジャー週刊誌を読んでいたら面白い記事が載っていました。 それは、フリーメイソンの音楽的シンボルについてです。ご存知の様にあのモーツァルトがその会員であったということは「フリーメイソンのための葬送行進曲」を作曲していることからも周知のことですが、ベートーヴェンもまた、かの秘密結社に属していたということです。これには驚きました。 私は、フリーメイソン自体については詳しくは知りません。ただ、下世話な神秘主義団体だとか、カルトめいた集団などではなくて世界的規模をもつ会員同士の親睦を目的とした友愛団体であるということです。しかしながら誰でも入れるかというと、そうでもないらしく一定の条件を満たし、かつ推薦を受けねばならない等そこは線引きがあるようですが。 さて、そのフリーメイソンの思想の中にこそ人類の未来があると確信し、その思想に従い芸術的作品を創造しようとしたベートーヴェン。 特に耳の病で一時は絶望のどん底に落ちた彼にとってこの思想こそ、残された人生をかくも人間賛歌を歌い上げる歓喜・勝利に導いたとしています。 その一大転機となった曲があの「英雄」だということです。確かに多くの点で革新的・創造的なものを持つ傑作に異論はありません。 そこで、調べてみるとフリーメイソンの音楽的シンボルというものがあってその主なものは次のような事柄です。 1.基本的な調性が「変ホ長調」であること 2.戸を叩くリズム(特に3)が明確に示されていること 3.儀式的な雰囲気を表す和声進行が見られること 交響曲第3番「英雄」の調性が♭3つの変ホ長であること、第一楽章を3/4拍子にしたこと、さらに冒頭のザン!ザン!というテュッティの主和音が曲全体を支配する二本の柱となっていることなど、その条件を満たしています。 この、「しきたり」はモーツァルトの晩年の3大交響曲の一つ「第39番」と同じ方式です。ベートーヴェン自身、音楽史上彼の後継者であるばかりでなく、フリーメイソンとしても、モーツァルトの後継者であることを自覚しかつ表明したとしています。 モーツァルトは、ウィーンに於いて出てきたばかりの若きベートーヴェンに会っていますが、さほど彼に対して興味を示さなかったと言われています。 しかし、ベートーヴェンはモーツァルトを尊敬し、かなり意識していましたから芸術的にも、またフリーメイソンに於いても彼の後継者であることを広く知らしめる(立身出世のための売名行為?)ことにある意味専念したと理解していいのでしょうか? このあたりのことについてご意見をお聞かせ頂ければと思います。
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こんにちは。 確かに,「英雄」にはフリーメイソンを暗示するような要素がたくさんありますね。第4楽章,変奏曲のテーマの途中に突然現れる3回のノックのようなリズムもそうでしょうか。また,39番との類似性についても,ベートーヴェンが意識した可能性は高いと思います。 ただ,あくまでも個人的な印象ではありますが,「分かる人には分かる」という形で,この曲の中にフリーメイソンへのメッセージが埋め込まれていたとしても(多分,そうだったのだと思いますが),音楽としての本質は別のところにあるのかな,とも思います。 「魔笛」が,フリーメイソンの象徴を知らない人にとっても素晴らしい音楽であるように,です。 18世紀後半~19世紀のヨーロッパの社会的・思想的な状況(絶対君主から市民階級の発達,啓蒙思想,フランス革命,ナポレオン・・・)があり,このような時代にベートーヴェンのような性格・背景をもった作曲家が現れ,フリーメイソンの思想に現れているような時代の空気に共鳴し,バッハ・ハイドン・モーツアルト等の先人の音楽的な遺産を受け継ぎ,そして,「英雄」が生まれた。 フリーメイソンとの関わりで言えば,このような組織がそうした社会状況を進展させたという一面もあるかもしれませんが,そうした社会情勢の変化があったからこそフリーメイソンのような思想が発達しベートーヴェンのような人を惹きつけた,と考える方が自然のような気もします。 以上,ご質問にお答えできているかどうか自信がありませんが,ベートーヴェン一人の力ではなく,フリーメイソンだけが影響を及ぼしたのでもなく,非常に込み入ったパズルのピースがここでぴたりとはまり,ロマン派音楽がまさにこの時誕生したのではないかな,と,ご質問を読んで考えてみて,改めて思い至りました。 よろしければご参考に。 --- なお,私の理解では,ベートーヴェンはフリーメイソンの会員であった可能性が高いけれども,確証はなかったのではないかと思います(私の誤解でしたら申し訳ありません)。
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- fabianx
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私がメーソンの考えの中で最も注目に値すると感じることは、入会者に何の宗教かを特に問わないが何か一つでも自分が拠り所にする神的存在を持つこと、とあります。本当だとしたら、人間の弱さと傲慢さを突いた中々出来ない立派な考えと感じます(←戦争は中止できないところが大問題ですが)。 また、こうも思います。メーソンの発達した欧州では知的で、精神的発展を願う人(インテリ系?)達の間で、世間の普通の余り教養の無い一般人へ対する「拝めば救われる」的なキリスト教信仰等に愛想を尽かし、より深く何が本当は重要なのかを考えることが出来るようなタイプの集会を、公ではなく秘密裏に行ったのがメーソン達じゃないか?と ベートーヴェンにしてもモーツァルトにしても「心の問題」「人間性の問題」等、そこらへんの人(私も含めて)がまあ、どうでもええわ、と投げ出しそうな事柄でも、相当な緊張感と深い思考で、考え始めたら(多分)相当悩みぬくタイプかなと思います(←作品が証明してますよね)彼等も初めはそんな感じで入会したけれど、厳しい会員制度の中で集まるのは普段では言葉を交わす事の難しい政治力のある人々だったりして、これはチャンスとばかり売名行為的な行動も(人間だからなぁ)やったかも・・・。 まぁ、こういう類の話は(いくら証拠の文書が有ったや無かったや言っても)当事者のみぞ知る個人情報的な部分も多いので、想像力で補うのが楽しいですね。当時はネットも無いし、人々の集まる意味が今とは根本的に違ってる部分もあるでしょうね。ごめんなさい、回答と言うよりは立ち話です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なかなか興味深いお話だと思います。 そうですね、ヨーロッパ社会は歴史的に(現在もそれが根強く残っていますが)階級社会で、その核心は厳格かつ排他的です。 また、仰せの様により知的・高尚で精神的なものをライフスタイルに求める一部の教養人・文化人はフリーメイソンやその類の組織を作り、そして同志を集めていったと思えます。それらは、所謂、裾野的な実生活にすぐに結びつく例えばどんな小さな町にも一つはある教会での日曜日毎の集まりや教えとは明らかに違う次元のものでもあり、合わせて人間というものを芸術、自然科学、哲学といったものによって深く追求しかつ表現しあえて普遍性・永遠性をもつテーマとして継承していったとも思えます。 確かにフリーメイソンでは入会の条件として何らかの信仰(宗教とは限らない)などの精神の拠り所を持つというのがあります。これは重要で、この団体の理念が「人間の理性や博愛」にあることを語っています。ただし、入会の儀式には旧約聖書が用いられますが。これはキリスト教というよりももっと広義な意味合いを示しているのでしょう。そして入会儀式は秘密であり、必然的に万人の好奇心をかきたてずにはいられませんでしたが、例えばモーツァルトの「魔笛」の中にそれとなくその影響が出ているともいわれますね。彼はまた、メイソンの相互助け合いの精神を最大限に?利用し、借金しまくっていますしね(笑)。 歴史的な音楽家の中でもメイソンに入れてもらえなかった人(ワグナーなど)もいますし、やはりそんじょそこらの団体とは違うのでしょうね。 「自由思想」を掲げ仏革命を成功に導いた当事者の多くがメイソンであったことや、もともとはイギリスを源とし、ヨーロッパ諸国からロシア、アメリカ大陸へと広まっていったこの思想は米独立戦争にかかわった多くの会員がいたことでも分かります。ちなみに「自由の女神像」は仏系メイソンと米系メイソンとの間に交わされた贈り物なんですね! 膨大な西洋史を紐解く時、その表舞台の裏でかの様な団体が存在し、相互に人間の心に影響し合い、歴史の1ページを確かに創っていったということには違いないのですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まず、思慮深く、かつご謙遜な文章がそのお人柄を表わしている様にも思えました。 そうですね、モーツァルトやベートーヴェンの音楽の本質は安易な標題や当時の作曲依頼者のためといったようなところにあるのではなく、何よりそれぞれが音楽史上もっとも重要な存在であり、避けては通れない普遍的かつ絶対的なものであるのは少しでも彼らの音楽に触れた者として理解出来ます。 折りしもベートーヴェンの時代にはその様々な背景もあって音楽も教会、宮廷、貴族階級から市民階級へと裾野を広げました。楽聖の音楽はまさに「英雄」を出発点として特にその生涯で「中期」~「後期」の作品群は深く人間の精神領域にまで到達する極めて崇高なものとなりました。 フリーメイソンの起こりやその組織は、仰せの通りまさに当時の社会情勢の変化や背景をもとにその思想が発達していったと言えますし、各界の名士を集わすに値するある種独特の魅力、或いは他との差別化の類とも思えます。 先にも述べましたように彼らの確固たる純粋芸術としての音楽の本質は言うまでもなく別のところにあったわけで、私にはこのような組織に足を染めた意味が、そう、ちょっとした「謎かけ」「パズル」の如く、当時社会の文化人・教養人に影響を与えた、もしくは一種のポーズ?などとしても捉えられるのですが・・・(これは、前出のフリーメイソンの音楽的シンボルともシンクロする部分もあるかと) いずれにしましても、最初に音楽(モーツァルトやベートーヴェン)ありきで、そして(彼らを広義で語る時)フリーメイソンの存在も浮かび上がってくる・・・といった範疇で理解しておくに留めるのがよいのかな?と、私なども思います。