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公立の学級崩壊と教員の優秀さ

ある週刊誌(確か先週の週刊朝日)の記事中に公立校の学級崩壊の要因として"公立校と私立校を比較した場合、公立校にも優秀な先生はいない事はないが、私立校と比べると見劣りする" という関係者の意見が紹介されていました。 ここで、素朴な疑問が沸いてきました。 1.私の知っている限りでは教員の採用試験は何回も受けないと受からないような、大変な難関と聞いているのに、なぜ採用した教員の質を問題にされるような事態が起こっているのか?  2.そもそも、教員の優秀性を学級崩壊と結びつける事は妥当か? 3.教員の優劣はどこできまるのか? まとまりが無い質問ですが、御回答者にうまくまとめて回答していただける事を期待します。よろしくお願いいたします。

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noname#30735
noname#30735
回答No.4

私なりの意見を述べてみたいと思います。 まず、その週刊誌の「公立校と私立校を比較した場合、公立校にも優秀な先生はいない事はないが、私立校と比べると見劣りする」っていう記事自体が信憑性も低く、論理的じゃないと思います。また、簡単に「学級崩壊」と「教員の質、公立校と私立校の教員の差」を結びつけて論じることもまた然りです。週刊朝日だとしたら、いかにも朝日が書きそうなバカバカしい記事だと思います。 (1)について おっしゃるとおり、教員採用試験は1発で合格する簡単な試験ではありません。教育に関する知識の問題・一般教養・指導する教科の専門教養などの知識問題だけではなく、模擬授業・論文・面接・実技など、独学ではカバーしにくい範囲も出題されます。ですから、大学卒業後、非常勤の講師などをして、現場経験を磨きつつ試験を受け続け、やっと合格できる難関です。 教職という高い倫理観が必要とされる職にありながら、公立教員による倫理性に著しく欠ける行為が近年、問題になっています。また、学校内外で発生する様々な問題(指導力不足・学級崩壊・いじめなど)に対応できる人材も必要です。そういうことを踏まえて、「教員の質の向上」が広く叫ばれています。 さて、教員採用試験と教員の質についてですが、「教員の質」の考え方が従来と現在では違っています。従来は、「自分の指導する教科の知識・技能の高さ」が問われました。だから、その人の「人間性・教職に対する情熱・倫理観」は深くは問われなかったのです。つまり、ペーパーテストで高い点数をとれば良いってことです。ペーパーテストで人間性や情熱・倫理観は正しく測れませんので、結果的に「自分の指導する教科の知識・技能の能力」は高いが(試験に合格していることが証明です)、人間性・情熱・倫理観が伴っていない教員がいることになります。そういう従来の悪い「教員の質の考え方」を是正していこうっていう流れが、最近の「教員の質を問う議論・改革」につながっていると思います。 (2)について 教員の優秀性を学級崩壊と結びつける事は論理的ではないと思います。 公立校で学級崩壊が起こるのは、私立校に比べれば、当然です。公立校は小・中学校なら誰でも入れます。ということは、家庭的・経済的・学力的・性格的に異なる児童生徒が在籍するということです。お金のない家の子・母子家庭の子・学力が高い子低い子・真面目な子不真面目な子・乱暴な子やさしい子…など多様です。一方、私立校はそういった点で、画一的です。学校側は入学選抜時に、家庭的・経済的・学力的・性格的に問題のある子をふるいにかけ、問題のない子を入学させるでしょう。つまり、公立校に比べると、先生の言うことを聞かない・学力が低い・乱暴であるなど問題のある子・起こす子はいない・少ない、ということです。こういった点を踏まえると、公立校と私立校のどちらで学級崩壊が起こるかは明らかです。それを、週刊誌のように、「私立校には優秀な教員が多いから、私立校では学級崩壊が起こらない」みたいに絡めて論じることが変でしかたがないです。私立校には学級崩壊の要因を作る児童生徒を退学させる権利もありますから、それができない公立校とはそもそも同じ観点で比べられないと思います。同じく、私立校の教員の方が優秀かどうかも同じ観点では比べられません。もし、私立校の教員の優秀さが、その学校の評判・実績・問題の少なさという外見的なもので判断されるとしたら、学校にとってマイナスとなる児童生徒を放棄する権利がある私立校の教員の方が、公立校の教員より優秀だと言うことは簡単です。同じ観点では比べられません。 学級崩壊の要因は、校内暴力・いじめ・不登校などの要因と同じだと思います。その要因とは、社会・経済状況の変化、学校制度の完成です。高度経済成長で日本は世界の中でも相当に豊かな国になりました。そうさせたのは、国民の頑張りです。頑張って頑張って豊かな生活をしたいと願った国民は、一生懸命働き、若い世代は学校で学びました。そうすることが豊かになる一番の近道だったからです。しかし、高度成長を迎えてから現在まで、日本社会には「(高度成長を迎えるまでみたいに)頑張らなくてもそれなりの生活ができる社会」という意識があります。だから、つまり次の目標がないから、「学校で頑張って勉強するぞ!」という気にならないのです。それ以外にもたくさんの要因があると思いますが、教員の優秀さと学級崩壊は結びつけて考えるべきではないと思います。 (3)について 一概には言えません。時代や社会・人々の考え方・倫理観・経済的情勢・国際的位置・歴史的経緯・国民性・県民性・個人の考え方…など観点はいくつでもあります。一種の「流行」みたいなものだと思います。例えば、昭和の時代に美徳とされたことが現代で必ずしも美徳されないのと同じだと思います。

gako_2007
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。大変まとまった御回答で判りやすく感じました。 朝日に限らず、マスコミの論理性の無さ(ついでに倫理観の無さ)には驚き、その邪気のなさにもしかしたら逆に自分の方がおかしいのではないかと錯覚する事があります。同様に考える人がいて安心しました。 

その他の回答 (4)

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.5

私見を書き込みます。 1.難関試験を突破して採用された教員の質が問題になる理由 (1)受験学力があっても指導力とは必ずしも結びつかない。 (2)他業種と異なり、研修に専念する期間が全くなく、即戦力として期待されるため (3)実力のある教員が出世できないシステム→教員を指導する側に指導力がない (4)本来指導力が原因でない問題についても「教員が悪い」とする行政・マスメディアの論調のため   2.教員の優秀性を学級崩壊と結びつける事は妥当か? (1)「関係者の意見」は主観の域を出ていないので、必ずしも妥当ではない。 (2)ベテラン担任でも学級崩壊は起きるし、新人でも起きないこともある。同じ担任でも起きる年と起きない年がある。したがって、学級崩壊の原因を指導力のみに求めることは誤り。 (3)私立のアドバンテージは、対象児童・生徒を選別できることに加えて、教育委員会からの非科学的な指導がほとんど入らず、無駄な書類作成が少ないこともある。 3.教員の優劣はどこできまるのか? (1)公立教員の出世要因は、文部行政への忠誠心及び事務処理能力、部活動での大会実績、地域によっては行政寄りの教員組合経験などが考慮される。 (2)子ども・保護者にとって優秀な教員とは、集団での学習指導の力量があり、子ども・保護者の様々な意見のコーディネイト能力が高いこと。 趣旨の異なる部分がありましたら補足質問をお願いいたします。

gako_2007
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。実はある程度、回答内容は予測していたのですが、インサイダーならではの予想外のポイントもいくつか挙げていただき、質問した甲斐がありました。

noname#63990
noname#63990
回答No.3

難しいことはわかりませんが・・・ 多くの人(先生だけじゃなく)が教育(人が人を育てる)ということについて、距離ができすぎちゃったんじゃないかと思います。 何のために教えるのか、学ぶのか・・・たぶん分かり難くなってるような気がします。 それでもいろんな面で頑張っていらっしゃる先生も多いと信じています。

gako_2007
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。

回答No.2

1.私自身は試験を受けていないのでどの程度難関かは知りませんが、同じ大学の仲間や友人知人が公立私立を含め、何人も教師になっています。 そして残念ですが、彼らを「教師に向いている」とか「優秀である」と思った事はありません。 私の出た大学はその地方では有名な国立大学ですから、そこに入ったというだけで「優秀」と見なされるのでしょうが、勉強は出来ても人間性となると首を捻らざるを得ません。 「職業」としては問題さえなければそつなくこなしそうですが、「人間が好き」とか「指導力がある」とか「人に教えるのに向いている(説明がわかりやすいなど)」という事も無く、どちらかというと学生の頃から「唯我独尊」「人の話を聞いていない」タイプが多くて、「教師の適性」は備えていないように見えます。 ただし、その分タフで、悩んで心身を病んで…という事もないので、元気に教職を続けています。 「本人が勉強が出来る」事が「いい教師」の条件ではないから、質が問題となるのでしょう。 2.なんともいえません。その教師が受け持つ前はキチンとしていた学級が、教師のせいで(ナメられて)崩壊する事もあるでしょうし、 元々崩壊していた(核となる問題児がいて)学級ならば、それを誰がやっても治められないかもしれません。 どちらにしても、勉強を上手に教えられること(生徒の成績を伸ばす能力)と学級経営の能力は別の問題です。 以前は本人が勉強が出来る事を「優秀な教師」と見なしていた時代もありますが、今は違います。 生徒の成績を伸ばせる教師が「優秀な教師」なら二つを結びつける事は妥当ではないでしょうが、 イジメや学級崩壊などを上手に解決する能力のある教師を「優秀な教師」と見なすとしたらそれが出来ない教師を「優秀でない」と見なすのは妥当でしょう。 3.教員の優劣は、生徒(や親)が何を求めているかによって決まります。 成績を伸ばすことを目的とした進学校では、生徒の成績を伸ばせるのがいい教師。 問題児が多い学校では、乱れた生徒を更生させ、問題を解決する能力の高い教師がいい教師です。 いずれにしても、やる気の無い教師、問題から目を背け逃げようとする無責任な教師、生徒を見ていない教師、自己の出世にしか興味がない教師は「悪い教師」と言えるでしょう。

gako_2007
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 >どちらにしても、勉強を上手に教えられること(生徒の成績を伸ばす能力)と学級経営の能力は別の問題です。 その通りだと思います。ただ、応募者が押しかけている完全な買い手市場と見受けられるのに、採用された後に質が悪いと後ろ指さされるのはどういうことだろうと思ったのです。 後の方の御回答にもあるように"質が悪いとうのは"的外れな見解かもしれませんし、この御回答にあるように採用の基準がずれているのかもしれません。

noname#32551
noname#32551
回答No.1

例えば大学入試ですが、学業が優秀なのに入試は全滅と言う人もいますよね? 「受験とは?」ということが抜け落ちているせいです。 逆に「教員採用試験とは?」という勉強をしてきて合格してきた人たちは、試験に合格するワザは磨かれたと思うのですが、実際に「教えるためのワザ」が磨かれたと思いますか? 最近は 社会人としての経験を活かして教員になる方も多いようですが~ 現在、要職にある年代の古くから居る教員というと~その人が小学校に入ったときから、今までずっと 「学校の中の生活」しかしてないわけですよね? (卒業した学校+仕事をしてきた学校) 学級崩壊をしてきているのか? という判断さえも出来なかったと思います… 世間では十分「異常事態」なのに、学校の中しか知らない人には「何か変なのかもしれない でも まだ誤魔化せる…」と、怪しげな行動をしてドツボに… 質問の1,2,3にどう解説をつけていいのかわかりませんが… 息子の学校では 最初の授業参観までに 父兄の方が「今年はダメだ」と思われたら 何故か予想通り崩壊します… 第一印象というのでしょうかね… 年季が入った先生でも、昨年まで崩壊させたことがなかった先生でも です。 私が教師をするとしたら30名、40名なんて見られません… 15人くらいでも1学期もつかどうか… 教師を目指そう!という気持ちがあるだけ 十分に優秀だとは思うのですが…

gako_2007
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。私は子供ができ、教育について考え始めたところです。 学級崩壊の理由が教師の問題に帰着できるのであれば対策が比較的取りやすいかもしれないが、それはあまりに短絡的すぎると思い質問した次第です。御回答にある"年季が入った先生でも、昨年まで崩壊させたことがなかった先生でも"ということから話はそんなに単純ではないなという思いを強くしました。

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