確かに少ないかもしれませんが、活躍した選手はいました。
1977年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団した山口哲治(やまぐちてつじ)は1979年パリーグのプレーオフ(当時パリーグは前期・後期制で前期優勝の近鉄と後期優勝の阪急が対戦)で山口は3戦とも抑えで登板し完璧に抑え近鉄3連勝で初めてのパリーグ制覇に貢献しています。残念ながらその年の日本シリーズではあまり活躍できませんでした。(このときの日本シリーズ第7戦が後に「江夏の21球」として語られる試合です。)確かこの年の防御率は1位だったと思います。
翌年からは故障のためこれといった活躍はできませんでした。
たった1年でしたが智弁学園(奈良)出身で活躍した選手もいます。
ちなみにそのとき私は熱烈な近鉄ファンでこのプレーオフ3戦、日本シリーズ7戦すべて球場に行って応援しました。
お礼
なるほど、こういう選手もいたんですね。山田久志、村田兆治といった選手を抑えて防御率1位はすごいですね。答えて下さってありがとうございます。