こんにちは。家具造りをしています。
私の夢は、千年後まで使える家具を造ることです・・・。
私は、小さいころから『これから先、自分は人並みにちゃんと生きてゆけるのだろうか』と漠然とした不安を持っていました。未だに。
性格的にも『軟弱』で『覇気なく』『優柔不断』『一人遊びが好き』など、社会で他人と協調して生きることへの不安がありました。
絶対に間違いのない方法で、自身を導いてくれる人っていないものかな、と他人任せ的な考え方で生活をしていました。
宗教は、ただ信ずるのみ、その宗教の教えがなぜ正しいと言えるのか、だれも説明してくれないように思います。
科学技術は、メリットは生み出しますが、そのメリットよりも、それに付随するデメリットのほうが多いな、と漠然と感じてしまい、絶対的に信じることはできないな、と感じました(先進国発の地球全体の環境への影響)。また、勉強をしてゆくうちに、『十分に証明し尽くされた科学理論なんて無いんだな・・・』と思いました。科学を自身の、ものの考え方の基本に据えることはできないな、と感じました・・・。
なにに頼って生きていったらいいんだろう、と途方に暮れて不安感でいっぱいになってしまったとき、昔から、何度も読み返していた宮大工、(故)西岡常一さんの著書を改めて読んで、生きていく方法、将来の夢が見えました。そして、改めて法隆寺にも行きました・・・。
そこには、地球上で最も古い木造建築である法隆寺を支えている『古代ひのき』や『いにしえの技法』について書かれてありました。
「そうだな、木造で千三百年も持たせるってことは、木材としての木の寿命を完全に使い切る木造技術がなければ達成できないな、数十年前、コンクリートは永久だ、と言い切った学者の浅はかさとは大違いだ・・・」
決定的だったのは、その著書には、生きてゆくため、仕事のために必要な人間の生き方や、組織論も書かれていたことでした。
私は、幼少のころから、木材を使った工作ばかりしていたので、度重なる大震災や、風雨による湿気を容赦なく受け続けてきた木造建造物が、千三百年も無事に建っていることが、どれだけ奇跡的なことなのか、よく解かるつもりです。
千三百年も木造建築を維持するには、技法、組織論、根本的なものの考え方のすべてが『間違いの無い』もの『正しいもの』によって構成されていなければならないはず・・・。
というわけで、この本が私の『聖書』になりました。
ということで、私の夢は。
『この本』に書いてある『考え方』を、技術者をはじめ、一般の人にも知ってもらいたい。世の中には、私のように弱い、どうしようもない人間も沢山いるだろうから、そういう人を、法隆寺がそうしてくれたように、『作品そのもの』で励ましたい(そのためには、法隆寺大工が千三百年前に行ったことを一所懸命に真似をして、『正しい』製品を世の中に提供して、その製品そのものから購入者が『生き方』まで学べるようなものを造りたい・・・)。
ということです。
お礼
准教授ですか、凄いですね!! 文面からも夢がもうすぐ叶うという嬉しさが伝わってきます(^^) がんばってください!