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自殺年齢妄想について

初めまして。 一般的に、若しくは鬱病などを患っている人に少し聞いておきたいと思いまして投稿させて頂いた次第であります。 私のことを少し紹介させて頂きます。 私は鬱病・気分変調症を患っている23歳になったばかりの男。会社員です。 昨年新卒で入社してもうすぐ1年というところです。 実は前々から自殺願望がありまして、今年に入ってから自分の死が思考の中で確定しました。 これは病気のせいではなく自分で決めたことだと認識しています。 そこで私は自分が自殺する年齢を決めてどんなところで、どんな死に方をするのかシュミレーションしています。 自殺の年齢は近からず遠からずといったところでしょうか。 ちなみに自殺未遂は今まで一度もしたことはありません。 自分でも自覚しているんです。 変態的・自虐的妄想狂だって事を。 ただ、私はそれを止めて欲しいとかそうゆう内容の質問ではないことをご理解いただきたいと思います。 単純に、「こんな人間がいますが他の人や同じ病気の人がこの投稿文を見てどんなコメントをするのか」、興味があります。 気分を害されたら本当に申し訳ないと思います。 私は少し自分の人生を客観的に観すぎている気がします。 目の前にあるものはただ通り過ぎていくだけで、私の心には響くものがあまりにも少ない。 すごく無意味。 自分の体もどうでもよくなり、社会人の身分でありながら上半身はタトゥーだらけになってきました。 タトゥー入れるのが私なりのリストカットみたいなものになっているのも自覚しています。 私にも愛する友人や家族がいます。ですがそれ以上に死にたいという欲望の方が強いのです。 性欲もなければ物欲もない。あれもないこれもない。 人間的に大事な『何か』が欠如しているのです。 それには感情だとか色々な喜怒哀楽、もう感じることができません。 過去に何か重大なショックなことがあったわけでもなければ、いつからこうなったのかもわからないままただそう感じているんです。 そしてそれはいつの間にか私の胸の奥の方を凝り固めてしまいました。 こんな様に生きているのかいないのかわからない人間は、一体どうなんでしょう。 もう運命ということで固めてしまっていいですか? 何か意見がありましたらお願いします。

みんなの回答

noname#36252
noname#36252
回答No.1

自殺を考える時点で、人は鬱病になっているそうです。病気のなせる状態ではないでしょうか。 自殺の予告というと、昭和の作家、三島由紀夫氏の作品の中でも、最後の「豊饒の海」四巻では、主人公たちが必ず、二十歳になるまでに死を迎えています。最後の主人公安永透だけが、生まれ変わりを証明するために、自殺企図、未遂に終わっています。この作品のモチーフのように、あなたも自殺を先駆夢の様に思っているだけで、人間の創造の産物に過ぎないと思います。 人間は死ねば、無になります。巌を砕く波を見ていると、未来永劫、波は岩を噛み続け、巌を浸食しますが、人間はこの荒々しい自然の前では、ただの物質に過ぎません。波に飲まれ、巌と同じく砕かれて、終わりになるだけです。 もし、自殺を思うなら、江ノ島あたりでも良いから、この波と巌の様子をゆっくり眺められると良いと思います。 人間はほんの自然の小さな一部にしか過ぎない。私の心の悩みなど、物質の一部ですらないのだと。

taka9
質問者

お礼

tinycatさん コメントありがとうございます。 三島由紀夫さんの豊饒の海ですか。私も本を読むのは嫌いではないので今度読んでみようと思います。 >あなたも自殺を先駆夢の様に思っているだけで、人間の創造の産物に過ぎないと思います。  先駆夢、確かに言われて見ればその通りかもわかりません。  どうしても人間の枠から出れないのですね。哀しいものです。 >自殺を思うなら、江ノ島あたりでも良いから、この波と巌の様子をゆっくり眺められると良いと思います。  皮肉なことに江ノ島は近いのです。私は空を見上げていることが多いですね。心の悩み・・思い浮かびません。麻痺してしまっているのでしょうか。 ありがとうございました。