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ニートです。仕事するので数日で人並みに歌えるレベルに(長文です
少し話が無駄に長くなりますが、特殊な環境にいるので少し身の上話にお付き合いください。カラオケに関することです。 自分は高校でいじめにあい、半ひきこもりになりました。その後なんとか卒業し大学へ入学したものの、大学は行って帰るだけの日々に。 成績は優秀なほうだったので無事卒業でき、去年広告系の会社に就職しました。仕事は、自分の思い上がりでないなら非常に能力的に評価されていました。 人の嫌がることを積極的に行い、努力家で、サービス残業もすすんでやったし、たぶん同期の誰よりも仕事への熱意が違った思います。会社の人からは独自の価値感や優れた創造性に恵まれている、今の若い人には見込めない努力や一途さもある。 いまどきの若者は信用できないが君は責任感もあり、すごく向上心も見える。能力もあると思う、まだ短い期間見てきただけだが今後も頼りにしていきたいというふうにわれました。 もし、こうした言葉がお世辞でなければ仕事はできたということでしょう。 ただ同期との関係が恵まれず結局集団で昔と同じようないじめのような扱いを受けてしまい、半年前やむなく逃げだし退職しました。 その原因がカラオケで歌を歌を歌わなかったことから始まったんです。 というのも、自分は音楽に興味がなく、ひきこもり生活や家庭の事情もあってカラオケというものに接した経験が皆無でした。歌えといわれても機械の操作さえわからず、歌える歌もありません。マイク持つという経験さえ自分にとって初めてだったんです。 カラオケで歌わない私を同期は責めました。でもその場をとり繕う会話技術もなく、私はただ黙ってうつくむだけでした。 自分には絶対的に社交的な能力が欠けてるんです。友達はいないし家族ともろくな話をしてきませんでした。だから半年前に仕事を辞めてから世間的にはニートに。 でも自分なりには知的生き方文庫とかの本を読み漁って、他人との距離のとり方、話し方、コミュニケーション、アイコンタクトとか、第一印象が悪いほうが後になって良い人だと思われる要素が増すという心理学的な対人関係向上法にもアプローチして対人との関係能力を磨くためにニートと蔑まれながらもがんばってきたつもりです。 そして、転職活動の結果小売業ですが奇跡的に内定をいただき、4月から入社が決まりました。自分の計算ではあと仕上げは「カラオケを人並みに歌う」だけで完璧だったはずなんです。 ところが自分のカラオケの認識は間違っていたみたいでこの前一人でカラオケに初めて行ったんですが、私の集めた情報では「声を出せば50点は絶対いく」「カラオケは歌うほど上手くなる」とありそれを信じて、また数ある歌に接するより、数曲の持ち歌を完璧にこなせるほうがかけるプロセスも容易だと思い「桜坂」「世界でひとつだけの花」と森山さんの「さくら」にしぼって練習しました。選曲にたいした意味はありません。自分が少しだけ知っていたからです。 でも何十曲同じ歌を繰り返しても点数が54~57点しか行き来しないのです。音程が37~40%とかでてました。ビブラードとかいうよくわからない単語がゼロでした。 とにかく私の計算だと1曲か2曲歌えば1点くらいあがり、30回も歌えば15点はあがる。何も歌わなくても50点なら60後半くらいなら平均下くらいだろう、これなら人前で歌っても浮かないレベルになる、死ぬ気でやれば一週間もかからないだろう、しょせんカラオケって娯楽であってプロの歌じゃないからだとか簡単に考えてたんです。 でも、結果は何度歌っても点数があがらない。このままではまた以前のように仕事を辞めるきっかけになるかもしれません。 仕事はできるのにカラオケできないから仕事を辞めなきゃいけない、そんな馬鹿な話ないです。それはどうしても避けたいのです。初出社は4月2日からです。どうかお願いします。音楽とはほとんど無縁の世界を生きてきた人が人並みでなくても人前で歌えるレベルに数日で達する方法何かありませんか?場を繕うことさえできれば、上手な歌は望みません。 それとも選曲が悪いのでしょうか。24歳男です。ご教授ください、プロの人。人生かかってます。
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No.4である。まずは丁寧で詳細なお礼文を書いていただき、ありがとうございます。 さて、貴方はやはり高校時代のいじめの体験を今でも引きずってしまっている。私としては、やはりメンタルクリニックでのカウンセリングを受け、将来に向けてその体験とどのように向き合って生きていくべきかを探ったほうが良いかと思う。 >世代が異なればその反応は180度違うものでした。この微妙なバランスをたったひとつの明確な軸足をもつことで保たれるものなのでしょうか。 ポイントはまさにこの点だと思う。「ひとつの軸足」のとりかたひとつで上手くいくこともいかない事もあるだろう。いかなければ、その都度修正していけば良いのだが。最初から完璧なスタンスで人付き合いを出来る人間など居ない。大抵の人は死ぬまで人付き合いの難しさに悩まされ続けるだろう。二人以上の人間がともに参加する社会では(たとえ孤島で二人きりだったとしても)誰もが持つ悩みではなかろうか。 人間は、誰でも目上の人間と同僚以下の人間とを分けて付き合い方を考える。例えば言葉遣いがそうだ。目上の人間には敬語を使い、既知の同僚以下の人間に対しては敬語を使わない。ただし相手との交流が浅かったり(初対面など)、立場上相手のほうが強い場合や(顧客など)、あえて距離をとりたい場合には、同僚以下でも敬語を使うことがある。これは日本の文化である。 言葉と同様に、付き合い方についても目上の人間と同僚以下とで変えても不自然は無いし、むしろ好ましいことだ。これも日本の文化である。その違いがあまりにも極端な場合には嫌われることもあるが、大抵の人は相手によって付き合い方を変えているのだ。 そして、日本の社会は「極端」を嫌う傾向が強い。そして「完璧主義」も大いに嫌われる。 人の心の懐に飛び込むためには、あえて自分の弱さをさらけ出すことも大切である。あえて悩み事相談などを持ちかけることによって自分の弱点を晒して相手との交流を深めるというのは日本社会の中で交流を深めるテクニックのひとつとして古典的なもののひとつであろう。
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まず、点数の高い低いは、人間が聴いて感じる歌のうまさと関係有りません。 あくまで機械が、マイクを通じて拾った声をガイドメロディと比較しているだけです。 また、点数の高い低いは、「人前で歌えるレベル」とも関係有りません。 #1さんも言っていますが、とにかくどんなにヘタクソでも歌えばいいのです。 歌のうまさよりも、「みんなと同じ輪の中に入る」ことの方が大事です。 これはカラオケに限らず、飲み会などについても一緒。 たぶんあなたは、カラオケに限らず、 「○○しなきゃ○○できない!」というような思いこみが、 必要以上に強すぎるように思います。 むしろそっちの方が、カラオケ云々よりも問題なのではという気がします。 ひょっとして、心療内科とか精神科とかで何か言われてませんか?
お礼
この半年間で読んだ本の中に、同じ輪の中にただ入るのではなく、その場を共有することがもっとも大事だと書いてありました。以前の私は「みんなと同じ輪の中に入ろう」と努力しました。しかし、場を共有し、ともに笑ったり考えたりする行動ができていたとは思いません。輪の中に入ること、それ自体に意味があるのではなく、その先に一歩踏み出すことが大事だと今の私は考えます。「輪の中に入る」という文面はそういう意味を含んだ言い回しなのでしょうか? 心療内科とか精神科に通った経験はありません。
- times3
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最後の3行しか読んでませんが 歌の上手下手、まーーーーーーーーーーーーーたく関係なし みんなでカラオケに行こうと言われた時に断らないで参加できる勇気さえあれば充分ですので、特別な練習をする必要は無いです。
お礼
そういうものなのでしょうか。私はカラオケというものの常識が欠けているのだと思います、歌を披露するというのだから、必然的に上手なものを求められる要素を含んでいるはずだと考えていました。 以前の会社でカラオケに行ったときは参加することに意義がある、と信じていて、いやいやカラオケについていき結局歌わなくても参加しているからいいじゃないかと思いました。しかし、歌うことで初めて参加するという目的を達するということだったのかもしれませんね、ついていくだけで参加していると考えた私が浅はかだったのだと思います。
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お礼
こんにちは。まずはお礼文が遅れてすみません。入社前の忙しい時期でなかなか時間がとれませんでした。再度の回答ありがとうございます。 私は確かに過去をひきずってる部分があるのでしょう、自分でもわかっていますが、それが確かに大きな足かせのひとつのなってるのかもしれません。もしそうしたことがカウンセリングなどのひとつの手段でもって排除できるものであるのなら考えるべきなのかもしれないですね。 ただ私にとっては過去の経験を抜きにしても、日本の社会とは、不自由なものだと感じます。そして人間というのはずいぶん不自由な生き物だとも考えるんです。 自分の弱さをさらして相手との距離感を縮めるとか、私はそれを非効率だと感じてしまうし。でも、社会の中で生きるためにはそうした仕組みを理解し、そこに溶け込んでいくすべをもたなければならないんでしょうね。私にはわからないそれらを本能のようなもので理解している多くの人は、ちゃんと笑って生きているようですし。 私はさまざまな面で極端であり、客観的に見たら完璧主義すぎたのでしょうか。弱みを見せるからこそ人とうまく付き合えるのだとしたら、私は弱みの出し方を間違っていたのでしょうか。「軸足」のとりかたというもの、そのバランスを今の私はやっぱりよくわかりませんが、そうしたルールを学びながら生きるテクニックをこれから身につけていきたいと思います。ありがとうございます。