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空手と思いやりの繋がり。
よく空手の稽古を通して相手への思いやりを学ぶことができるとか言いますよね?ネットで検索してもたくさんヒットします。 けど具体的にどのように思いやりを学ぶことができるのでしょうか? 稽古のでこで思いやりの“お”の字が出てくるのかが分かりません。 例えばの具体例をまじえて教えて頂けませんか?
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- tokyomac
- ベストアンサー率32% (87/267)
空手は強くなる事、相手に勝つ事がひとつの目標ではあるけど、それだけではだめなんだよ。 例えば、組み手の稽古をする。道場生には自分と同じような(体格、強さ)人間もいるけど、自分より弱い人もいる。それは、初心者の時もあるし、女性であったり、小学生、中学生、年輩者、少し体が不自由な人等々。そんな人と組み手の稽古をする時、どの程度の力加減でやるのか、それが思いやりだと思う。 あと、初心者には空手の動き、道場での作法など間違った事があれば注意して教えてあげる、それも思いやりだと思う。
柔道の小川直也さんが「スポーツは、相手のイヤがることをしますからね。」とコメントしていました。 確かにスポーツは、相手の弱点を攻めたり、相手側がミスすると観客もワーッと喜んだりしますからね。 空手で思いやりを学ぶのは無理なのではないでしょうか。
- heyhey111
- ベストアンサー率27% (49/176)
空手に限らず武道全般は基本的には思いやりを重んじていますよ。 でも、初めの頃はそれが分からないので試したいこともあり、思いやりを欠いてしまうことが多いですね。 私見ですが空手は試合があるので、闘争心が先に出てきてしまうと思います。 それに、稽古でも殴り合って相手を倒すことを目的にしますので、思いやっていては倒せないと思いますね。 ですから、思いやりは相当強くなって余裕が出てこないと無理かもしれませんね。 それと、武道をどのように考えるかにもよります。 護身術や武器として考えると思いやりは二の次になりますが、精神鍛錬と考えると思いやりも出てくるかもしれません。 結局、本人の考え方や師範の考えによります。
- ACHE
- ベストアンサー率23% (4/17)
どの程度やれば死ぬ、障害が残るかを判断できれば思いやりになると思います。