はじめに、少し違うお話を。
見る、というのは目だけの働きではないですよ。科学的にも哲学的にも医学的にも、解明の難しい知覚です。
薬物やアルコールや病気などで分子的に体のバランスが大きく狂うと、
なぜ、あるはずのない物が実体となって目に見えるのか。
また、気分によって、同じものでも違う印象に見えるのはなぜなのか。
好きな色とは、私たちに何の現象を起こすのか。
他人の顔や体つきを見て、わけもなく、好ましく思ったり、不快に思ったりする場合、目はどのような情報を読み取り、分析しているのか。
さて、「見方」はほんとうに、人に伝えたり教えたりできるでしょうか?
あなたがご覧になっている目の前の色を、「色の名前」で伝えることは出来ますが、
眼に映り、脳で判断して、パターン比較している働きは、とても複雑なものです。
温度や触覚や味覚ともつながっています。
つまり、何であれ対象を体系的、類型的に知らないと、判断も比較も出来ず、「見える」ということにはなりません。
気やオーラを、体系的、類型的に知るということについては、経験によってまちまちであると思います。
色や熱や音や形に表現を借りている、たとえている場合が多いです。
しかし、こういう人はこういう色、などの対応コードのようなものについては、グローバルスタンダードには断言できないでしょう。
気功、中国整体、人智学、神智学、各宗教、そのへんの占い師など、さまざまな場所で、対応コードは見つかりますが、
それぞれの論理が10人10色にあると思います。
なので、「見える」か「わかる」という方に師事するしかないでしょう。受信して変換する作業を習う、ということですね。
ただ、私個人的にはあまりススメません。動物の言葉がわからなくていいのと同じかそれ以上に、わからなくていいことだと思いますから。
獣医はね、よくわかりますよ、動物の病気が。
人間の医者もベテランは病気が見えるといいます。
写真が発明された頃、気やオーラは精神科医によって写真にも撮られました。
写真は光を写すので、ほぼ光のようなものであると考えられました。
しかし、現在のよく写り過ぎるカメラでは、なかなかこれを写すのは難しそうですね。
お礼
ありがとうございます。その友達にこのことを教えたいと思います。ほんとにおそろしいですね。悪い霊魂はつねに僕らのことをあの世にいけずに狙っているわけですね。