- ベストアンサー
これは履修漏れじゃないの?
こんにちは。 私の学校では、道徳の時間が道徳ではありません。 道徳の時間も、数学の問題をやったり、行事の計画などをやって、道徳のワーク(心のノート)や、教科書は全く使いません。 また、同じく書写もやっていません。 夏休み、冬休みに習字の宿題が出るくらいで、こちらも書写の教科書があるのに、一度も使ったことがありません。 なぜでしょうか? 保健室の先生に「これは履修漏れじゃないんですか?」という質問をしたら、「先生の口からはなんとも言えないよ・・・」とのお答え。 やはり、問題なのでしょうか? 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
教育委員をしています ご指摘の通り 未履修になります。 時間割があって授業がなされていない例が多数見受けられますが 中学校学習指導要領により、道徳も年間35単位(時間)の「授業」をしなければなりません。 道徳のワークを使う必要はありませんが「時間割のなかに、道徳が形のうえで35あればOKという意味」ではありません。ただし評価はしないことになっています。 (1時間は50分と決められています。) 書写の授業は毛筆、硬筆共に授業が必要です。 授業時間は1年生が年間28時間程度、2年3年はそれぞれ年間10時間程度と決められています。 硬筆だけ、毛筆だけの授業ではダメで どちらも必要です。 長期休業中の習字の宿題は 授業時間としてカウントすることは出来ません。 ただ、高校とは違い、義務教育の中学校では履修不足でも卒業することが出来ます。 そのため、卒業に関わらないので補習などの必要が無く、あまり問題にされていません。 しかし教育委員会では、中学校に対し調査と報告を求め、来年度以降、学習指導要領に基づき、確実に授業をするよう指導しています。 書店に行けば、中学校学習指導要領を260円+消費税で購入できますよ。(注文しなければ在庫は無いと思いますが・・)
その他の回答 (2)
- 21hpytesdc
- ベストアンサー率0% (0/24)
>それは、例えば「数学の授業が足りないから道徳は無し」というのもOKということでしょうか? 時間割のなかに、道徳が形のうえで35あればOKという意味です
- cdsdasds
- ベストアンサー率52% (114/217)
日本において、学校がどのような教育を行うかについては指導要領という文書で示されています。 高校卒とか中学卒とかを名乗るためにはその学校で指導要領に従った教育が行われている事が必要なのです。 現在話題になっている履修漏れとは、高等学校の必修とされる授業が講義されていなかったことが問題となっているわけで、講義の内容が十分であったかどうかはこの際問題ではないのです。 さて、質問者の例について見ると 「道徳の時間が道徳ではありません」ということですが、道徳の時間を年間35こまとっているのであれば、ひとまず履修漏れということにはなりません。道徳は教科書やワークをやることだけで身につくわけではないので、多様な教育方法がありえるのです。 「書写もやっていません。」とのことですが、書写はそもそも必修の授業ではありません。必修の国語の内容としての書写なのか、選択としての書写なのかわからないですが、必須の国語の中の書写であるとしても、指導要領の目標である、 ア 字形を整え,文字の大きさ,配列・配置に気を付けて書くこと。 イ 漢字の楷書とそれに調和した仮名に注意して書き,漢字の行書の基礎的な書き方を理解して書くこと。 等の指導を宿題を出す際に口頭で説明してたのであれば、十分な授業であったかどうかは別にして、履修漏れではありません。 なお、授業内容に不満があるのであれば、担当教員や教頭先生、校長に言うのが筋ですし、自分で言うのがはばかれるというのであれば親御さんと相談するのがよいでしょう。 直接教育に関係しない養護教員に相談されても養護教員が困るだけだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「道徳の時間が道徳ではありません」ということですが、道徳の時間を年間35こまとっているのであれば、ひとまず履修漏れということにはなりません。道徳は教科書やワークをやることだけで身につくわけではないので、多様な教育方法がありえるのです。 それは、例えば「数学の授業が足りないから道徳は無し」というのもOKということでしょうか?
補足
>直接教育に関係しない養護教員に相談されても養護教員が困るだけだと思います。 ただの雑談として話をしただけです。 なにも答えをもらおうとは思っていません。