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恋人募集は話し相手募集と同じ意味?
ストレスになると目の異常が現れて(視力低下1.0→0.1、光がまぶしい、集中力が落ちる、記憶が飛ぶ)、落ち着くとすべて正常に戻る、肝気鬱結の状態がずっと続きます。 心療内科で3年になります。この1年はカウンセリング治療が中心で、恋人ができると症状が落ち着く理由が分かってきました。恋人募集が本音ではなく、話し相手が根本的に必要なのだと分かってきたのです。毎日、会話が続いているときは体調が改善していきます。でも相手が離れる態度をとり続けると一気に悪化して、二週間ぶりに会っても落ち着くことができず疲れきった表情以外のことができなくなります。そういう状態に一度陥ると、相手は嫌がり別れ話を切り出します。そうして自分が納得できないまま相手の希望を受け入れ別れてきました。この蓄積がいまの病気をシビアにしてしまってる気がしてならないのです。 話し相手として恋人を求める性格を変えることはできません。どのように相手に伝えたら理解されるでしょうか? 家族は自己中で話し相手にはなってくれません。その影響で傍から見たら自分も自己中に見えてるかもしれません。それを踏まえて良い助言をお願いします。
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鬱病でいつの間にか5年になります。 私は、恋人と話し相手はイコールではないと思います。 恋人だったら相手が忙しい時はこちらは支える側に回って、何日も電話で話せなくても、メールでもたった一言しか返事が返ってこなくてもこちらも我慢しなければいけません。毎日会話出来るとは限らないですし、何週間会えなくても相手の都合もあるので仕方のないことです。それで症状が一気に悪化すると言われても相手も困りますよ。 話し相手はどちらかが話したい時に相手の都合がつけば話せる相手だけど、こちらが喋りたい時に無理言って呼び出すのもあり。そんなにお互いに深入りせず(お互いが望めば深入りしてもいいですが)話したい時に話せるならお喋りする。お互いが独立した関係。 話し相手である恋人と上手くいってる時に精神的に安定するから症状が安定して、離れていくと不安になるから症状も不安定になってしまうのですね。 oryaaaaaさんは恋人になった方にかなり頼り、依存され、影響を受けるようですが、でも恋人になった方にしてみれば、全てを受け入れてお付き合いするのは重いのかもしれませんね。せっかく久しぶりに会えたのに疲れ切った表情しかしてくれないのではガッカリしてしまいます。もしoryaaaaaさんがご自分で仰っているように自己中だとしたらお相手はなかなか大変ですね。 > 話し相手として恋人を求める性格を変えることはできません。 ここまでハッキリ言い切れるって言うのも凄いですね。 少しずつでも依存をしないでもいられるようになってみませんか? 話し相手を兼ねた頼れる恋人が欲しいのであれば、自分も我慢をする時はする、体調や機嫌が悪くてもあからさまに表情に出さないとか。努力が必要です。 もしくは話し相手は恋人としてではなく、あくまで話し相手として求めるか。ネットで仲良くなった人でも、友達に日替わりで電話して話してみるとか。 > どのように相手に伝えたら理解されるでしょうか? ごめんなさい、何をどのように相手に伝えたら、と仰っているのか分かりかねるのですが… もしこれが病気に対する理解ではなく、oryaaaaaさんの性格や依存性への理解であれば難しいですね。 あなたそのものを全て受け入れてくれるお相手を探すしかないと思います。 oryaaaaaさんが話し相手として恋人を求める性格を変えるつもりがないのであれば、その性格も含めて受け入れて理解して付き合ってくれる人。 でもね、それよりもあなた自身が少しずつでも変わる努力をなさる方が、恋人としても話し相手としても長続きして体調も安定する近道だと思いますよ。 乱文、失礼しました。
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- sonrisa003
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こんにちは。 厳しい意見です。m(__)m >話し相手として恋人を求める性格を変えることはできません。どのように相手に伝えたら理解されるでしょうか? どのように説明されても、殆どの人は理解できないと思います。 と言うか、質問者様が純粋に話し相手を求めているのであれば、「話し相手募集」で良いのでは? (けれど、話も聞いて欲しいし、性的欲求も満たして欲しい、でも、「恋人」という関係は重くてイヤというのでしたら、自覚されていらっしゃるように自己中極まりないと思います。) 心の苦しみや痛みを抱えている人達の大半は「人間関係」にまつわる葛藤に基づくものなのだと思います。 そして、その苦しみを誰かに吐露することによって、一時的には安らぎを得られる。 でも、それだけでは、抜本的な苦しみから解放されることはないんです。 質問者様は「自分の心の痛み」にはとても目が行き届き敏感だけれど、「自分自身」を見ようとはされていないのでは? 自分で自分を理解しようとせずに他人が自分を理解してくれることを求めている人に、相手を理解することなんて出来ません。 自分は何の努力をせずに、相手が自分を満たしてくれることばかりに必死な人の全てを神様でもない人間が受け入れられるわけがありません。 苦しみの中にいても、勇気を持って「自分自身」を見ようとする人と、「自分自身」と対面することを怖れ目を逸らし「自分の心の痛み」だけに始終する人では、愛に向かって歩いて行くか、愛に背を向けて歩いて行くかというほどの差があるんです。 >相手は嫌がり別れ話を切り出します。そうして自分が納得できないまま相手の希望を受け入れ別れてきました。 納得できなくとも、別れ話を切り出したのは相手の方でも、切り出させた(終わらせた)のは質問者様なのですよね。 相手の方の質問者様を想う気持ちや尊敬を、自分の心の痛みにばかり腐心して、相手を思い遣ることにエネルギーを注ぐことが出来ずに、自分が壊して来た。 本当は、相手が質問者様を傷つけているのではなく、ご自身が自分を傷つけているのに、「あー、みんな僕を傷つけてばかり。恋人なんて面倒だ。僕はただ僕の話を優しく訊いてくれる女性が要ればそれでいい。」という結論に達した。。。 話し相手として恋人を求める性格を変えることはできない(できないのではなくて、楽だから変えたくないのでしょう)のなら、生涯に渡って、満たされない気持ちを抱えながら自分に都合の良い相手(心理的にお母様の代役をしてくれる女性)を次から次と探し求めて行くしかないのだと思います。 嫌味っぽいこと(と言うよりも、嫌味)を書いてしまいましたが、本当は、質問者様は言葉とは裏腹に人の何倍も「誰かを深く愛したい心を触れ合いたい」と心の何処かで強く切望しているのではないのかな??と思ったのですが…私の見当違いだったなら、ごめんなさい。何よりも、厳しいことを沢山書いてごめんなさい。m(__)m 人に頼ったり助けてもらうことは、決して悪いことではありません。 でも、その中で、いつかは自分の足で立ち上がって歩き出そうという気概がなければ、ただの甘えであり依存です。 最終的に自分の中の足りない何か満たされない何かを埋められるのは、「自分」しかいないのですから。
お礼
いいえ、そんな甘えは無いのですよ。私の父にヒントがありました。彼は毎日、物事の基準が変わるのです。昨日の親の教えは、今日だとまったく違う見解になっている。そのような生育環境であれば自分の本音が何なのか分からなく育つ。ボイスレコーディングを毎日行い、あとで聞き返してみると同じ言ってるのにニュアンスがぜんぜん違うのです。文章だと同じなんだけど、会話がとても奇妙であると結論に至りました。-なら、僕が父を嫌うように、恋人もまた嫌っていたんだと分かるのです。ありがとうございます。
お礼
返事がおそくなりました。自分の本音が分からなくなってしまったから、この時の質問は本音ではないかもしれない。半年経ち、家族ですらも信頼できなくなっている自分がいました。いまはボイスレコーダーを使い話して気持ちを記録して、聞き手不在を補っています。自分の声を後で聞くと、どうしてそう思ったのか、本音が分かるのです。時間はかかりましたが、一歩を踏み出せるきっかけになりました。ありがとうございます。