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「全てを受け入れることです」とは言いますが・・・なかなか難しくないでしょうか?
以前 質問で「あのことがあったから今があるんだ」 でお世話になった者です その節はありがとうございました 「運命を受け入れることです」 って聞きますが、なかなか難しいです。 私は自分の過去の嫌な思い出を、なかったことにしたいんです。 記憶から消したいとも思ってます。なるべく思い出さないようにしてるんですが、自分が失ったものを他人がうれしそうに持っていると悲しくなります。 どうしても今の段階では、あの嫌な思い出をよかったことにするのが難しいです。長い人生で振り返ってみれば、そうでもないってよく聞くのですが。 そこで、嫌なことをこれからの「自分の活動力のバネ」にする方法も考えましたが、余計過去を悔やむようになってしまいました。その怨念は凄まじいものがあります。 「過去を実は思い返してみれば、実はよかったことだった」 と思えるようになかなかなれないです。 たとえ、「実は楽しかったんだ」って思おうとしても、 潜在意識が「過去はつらかった」と気づいてるから、 無理があると思うんです。 また、その過去を忘れようとするのも無理があるって最近気づきました。ちょっとでも思い出させるようなキーワードにひっかかると、沈んでしまいます。実は楽しかったと無理やり思い込む・・・それこそ偽りの過去。自分は失ったが、他人はうれしそうに持ってる・・・。 その運命への怨念(怒り)が、何年にもわたり蓄積されてきたんで、相当巨大なものになってます。このままでは忘却できないんでは?って思いはじめました。 (悲しいことにつらい過去を後悔することが習慣化してしまってます) みなさんは つらかった過去をどうとらえてますか? たまに思い出しては沈んだりされてますか? (過去をひきずってますか?) 少々愚痴っぽくてすいませんでした 過去ばかり振り返らずに前向いて生きていきたいです
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#1です。度々すみません、追加です(^^;) 「運命を受け入れることです」とありますが、 消し去りたいほどの、過去の嫌だった事を 「実は楽しかった」とか「良かったことだった」と思い込むことは 運命を受け入れてるとは言えない気がします。 逆に「消し去りたいほど嫌な事だった」と自然に思っていることが 運命を受け入れてると言えるのではないでしょうか? 「良い方に思いこむ=運命を受け入れてる」というのは違うのでは?? 「嫌な事だったけど過ぎたことだし今さらどうしようもないから別にイイや。 いまさら考えたって、これが運命だったんだから仕方ないか!」 みたいに思うことが運命を受け入れたと言えるのではないでしょうか?。 >悲しいことにつらい過去を後悔することが習慣化してしまってます 「後悔先に立たず」といったものです。 例えば「10回後悔したら後悔する前の状態に戻る」とかなら話は別ですが 実際は、いまさら過ぎてしまった事を何度後悔してもどうしようもないので またそうならないようにするには、どうすればいいのかな? ってことを考えていればいいんじゃないですか?(^^) もはや気持ち(気合い?)の問題、というようになってくる気がします。
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- hamakkotarou
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>つらかった過去をどうとらえてますか? つらかった過去は過去の出来事なのでどうすることも出来ませんからそのまま放置しています。 >たまに思い出しては沈んだりされてますか? たまに思い出してしまうことはあります。 でも、いまさら考えたところで何かを変える事は出来ませんので、なるべく早く考えることを止めるようしてしています。 また、つらかった過去のことを思い出して考えることは無駄な時間を使ってしまうとになるので、しないようにしたほうがいいと思っています。
お礼
ありがとうございますy
- ribisi
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辛い体験を糧にできるのは、原則それがやり直しができることに限られます。例えば恋愛での失敗談などがそうです。 やり直しがきかないのは、生死に関する事柄です。死んだ人を生き返らせることはできないし、生んだ子を産まなかったことにはできません。また、あまりに強烈な、生命が脅かされるような体験も、それをよい経験として受け入れることは困難です。例えば戦争体験や震災体験、刑事事件の被害者となってしまった場合などです。加えて、人格形成に重要な幼少期の体験もやり直しがききません。 こうした、取り返しのつかない辛い体験をも、「あれはよかったことなのだ、運命なのだ」などと思えるようになるのは、よほどの悟りを開いた人格者でなければ不可能のように感じます。少なくとも私には無理です。 親を亡くして親のありがたみを知る、というように、取り返しのつかない辛い経験をして、初めて身にしみてわかるということは言えます。そういう意味ではどんなことでも人生を豊かにするひとつの経験だとも言えます。こうした経験をなかったものにするということは、その分の人生の豊かさも亡くしてしまうということです。 ただ、そうしたことを頭ではわかっていても、心は決して平穏にはなりません。辛い経験はそのままずっと抱えて生きていくしかなく、長い時間をかければ心の傷は少しは癒えていきますが、完全にきれいになることはないでしょう。こうしたことを徒然と書いていることからわかるように、私もよく辛いことを思い出してはしんどい気分になります。
お礼
>辛い経験はそのままずっと抱えて生きていくしかなく、長い時間をかければ心の傷は少しは癒えていきますが、完全にきれいになることはないでしょう ・・・私もそう思います でも回答者さんもしんどくなったりするって聞いて私だけじゃないんだって思いました ありがとうございました
- ri-zyu
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あのときがあったから今がある」っていう意味がわけわかりません←当たり前だと思います、そう思える人は過去は苦しかったが今は、そこから、脱したからです。あなたは今も苦るしいからです。 「全てを受け入れる・受け入れる・」は世の中でよく使われ言葉ですが、「「心の問題を受け入れると言ってるんですよ」」過去に嫌な事があった、そして今も心が・・・その心のままの心で良いのですよ(それが宗教の救いです)。 宗教臭いのがお嫌なら、人の記憶とは過去の嫌な事か・楽しい事しか残らないと思いませんか、平々凡々な時(日常に何気ない生活)は記憶に残りにくいですね、嫌な記憶が蘇ったそれを穿り返さないで、あるがままにしていれば。嫌な記憶が蘇ったそれを穿り返さしますと、それがまた記憶として残ります(精神交互作用)。 こころは、あるがまま(自分の心で有るのに、コントロールできません・今あなたこころが、苦しい、楽になりたい、成れないじゃないですか)の世界です、違う言い方をすれば、神仏の世界、また他に言い方をすれば解らない世界です。 訳の判らない事をと思われるかもしれませんが、何かあなたの機縁になればと思います。 http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/saiti.html 浅原才市と言う無学な人ではありますが宗教の本質を掴んだ人かも解りません。 当流の安心は 善いのがでても それをよろこぶじゃない また悪いのがでても それをくやむじゃない ただ仰いで 頭をさげ 尊むばかり
お礼
ありがとうございました あるがままですね・・・あるがままでいきたいです
- begoot
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イヤな思い出は 忘れること です。 これは、どんな立派な本にもカウンセラーも言ってはいませんが、私がたどり着いた究極の安定剤です。難しい自己弁護をくっつけて心が安定するならそれも良いでしょう。学校では「覚える」ことしか教えてくれず、忘れると叱られて、予習・復習を繰り返してきました。 しかし、他人に意地悪されたり、昔の恥ずかしい失敗など思い出しても何も生まれません。忘れることは大切です。 忘れるのには時間がかかるかもしれませんが、思い出すたびに、「もう忘れよう。」と心でつぶやいて考えたりするのを止めるように心がけます。すると自然と思い出せなくなります。 あと、人間は心を常に動かしていないと生きてはいけないと思います。現在の生活が充実していないと、過去の出来事ばかりを思い出して、心を動かそうとする傾向にあると思います。その過去が不幸としか呼べず辛いものでも、苦いキャンディーのように思い出しては、心を動かそうとします。こういった、習慣を身につけると、「不幸癖」が付き、「嫌われ松子の一生」のような人生になってしまうかもしれません。 その悪循環を断ち切るためにも、失敗やいじわるされたことは、忘れて、毎朝、笑顔で「おはよう」の挨拶ができる状態に持っていくこと。その過去が病気やけがのような障害であっても同じです。 失敗しても次の日にはサッパリできる思考習慣を身につけることを勧めます。
お礼
ありがとうございました 忘れることですね・・・私もそう思いますが、むずかしいです
- hurusatoku
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hurusatokunです。 すべてを受け入れるとは、過去の良かったことや嬉しかったことはもちろんのこと、ここで問題にしているのは、いやな事やつらく苦しかった過去を受け入れると言う事ですね。これは、理屈の上では分かっていても感情がそれを許しません。忘れようとすればするほど、過去のいやな場面がふつふつと湧き上がってくるのです。これは、たとえば、静かな湖面に石ころを投げ込んだ状態です。最初は、大きな波紋がたくさん出来ますが、放っておくと、やがては小さくなり消えてしまいます。でも、その消えかけた時にまた、石ころを投げ込むのです。また、大きな波紋が出来て、いつまで経っても静まりません。これがあなたの心の動きなのです。いやな過去を思い出さないようにすればするほど、いやな過去が思い出される状態と言うその心の動きは、まさに、静まりかけた湖面に石ころを投げ込んだのと同じなのです。これに対処するには、忘れようとするのではなく、思い出さないようにするのではなく、そのまま感情を込めないで、ボーッと出て来る過去の映像を、他人のごとく眺めるのがコツです。それは、ある簡単な訓練をすればすぐ出来るようになります。参照ブログ、カテゴリ「心と体」を参照ください。
お礼
ありがとうございました 見させていただきます
- Tori_30
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あ、あと連投申し訳ありませんが、出来たらコピペでも良いので、点数だけでなくお礼とか返答を書いてもらえると嬉しいです。 一応、回答した全員に本当にコピペだけでも良いので、せめて返答が欲しいと前回思いました。 ここで言う事ではないかもしれませんが、気になったので・・・。面倒な事言って本当に申し訳ないです。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
多分、前回も回答させて頂いた者です。 「全てを受け入れる」ってのは本当に「全てを受け入れる」って事なんですよ。ありのままに、って事ですかね。 なんていうか質問者さんはある種のフィルターにかけて「受け入れようとしている」感じがしました。”良かったことだと思い込む”とか。 いやいや、貴方にとっては辛い過去なんでしょ?それなら辛い過去なんです。”良かった事””楽しかった事”では決してないし、”どうでも良いと思える事”でもない。それをそのまま、自分の体験としてありのまま受け入れる、ってのが「全てを受け入れる」って事なんだと思います。 また、それが”過去”なんだと受け入れる事も「全てを受け入れる」という事です。過去は変えられない、それも心に留めておいて下さい。 例えば、後悔するのも良いと思います。ただ、同時に何故そんな事になってしまったのか?という事も振り返る必要があると思います。そして、自分にはどんな事が出来ただろう?という事も振り返るべきだと思います。でないと同じような事が起きた時、またそれが辛い過去になってしまいますから。 悲しむのも良いでしょう。でも、またそんな悲しい思い出を作りたいですか?嫌でしょう?なら、どうすれば悲しくならなくて済むのかを考えるのも良いと思います。 そして、いつかそれを忘れるなら、忘れるで良いと思う。それも「全てを受け入れる」という事。でも、無理に忘れようとはしないで。あくまで自分の感情に正直にそれを受け入れるんです。忘れられない、忘れたくない内は忘れなくて良いです。それは多分、貴方が同じ過ちを繰り返したくないという心の表れなのだから。
お礼
ありがとうございました
嫌だったことは「嫌だったなあー!!」としみじみ味わって納得したほうがいいように思います。 嫌なものを、「いや、そうじゃない、いいことなんだ、嫌だなんて思う自分が馬鹿なんだ、いけないんだ、間違っているんだ」と一生懸命否定しようとすると、余計に辛くなることがあります。 「誰が何と言おうと、自分はこれを嫌だと感じているのだ」と自分自身に宣言してみたら、私はだいぶ楽になったことがあります。 辛いときは辛いときで仕方がないです。 嫌だった、と認めてから、じゃあどうするんだ、という話です。 一足飛びに考えるのは無理なときがありますよ。 一人でやるのが難しかったらカウンセラーを利用するのも手です。 どのカウンセラーでもピッタリ来るとは限りませんので、途中で変えたほうがいい場合もあります。相性が合うカウンセラーが見つかるといいのです。 http://2.csx.jp/~counselor/counseling http://www.forgiving.jp/counseling.html http://www.f5.dion.ne.jp/~with/kinyoubi.htm この本はご存じですか?いろんなところで紹介を書き込んでいるので自分でも忘れてるんですが・・・ http://www.amazon.co.jp/gp/product/476082586X 嫌悪感や怒りもまた自然な感情なのです。 だからそれにいきなり蓋をしようと思うと、自分に無理を強います。 荒れ狂っていいわけでもないんですが。 バランスの問題ですね・・・・。 http://www.kato-lab.net/mental/2-1.html 適切に怒ることができない人が「怒れない」のは、適切に怒れる人が「怒らないにしよう」と選ぶのとは違う、とも言われます。 向き合って解消して昇華できれば理想的ですが、慌てて向き合わなくてもいいような気もします。 逃げるのもひとつの手です。 ずっと逃げっぱなしではかえって辛くなるんじゃないかと思いますが、たまには逃げるのも有り。 ずっと直面してるのも辛いですから。 「後ろに下がるのは助走のため」と言った人がいます。 体勢の立て直しのために一時退却が必要なときもあります。 岡本太郎さんはどうでしょうか。 ダメな自分はダメでいいんだ、そのままやれ!と言ってます。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413090101/ ただね、本を読んで頭で理解できても、腑に落ちていないと納得はできないです。 私は本を読むのも役に立っていますが、カウンセラーに会ったのは大きかったです。私にカウンセリングというものが向いていたせいもあるんでしょうけど。 それと、インスタントに解消しようと考えないこと。昔から「時間が解決してくれる」と申します。 時間は必要です。
お礼
ありがとうございました
- kote-
- ベストアンサー率33% (62/187)
こんにちわ。 >分の過去の嫌な思い出を、なかったことにしたいんです←よっく分かります! 私も元々ネガティブな性格ではあるのですが、特に最近(30歳を超えてから)ひどいです。 私の場合、運命というのではなくて自分自身の色々な選択のミス、失態、他人への愚行など。思い出せば悔しくて涙も出るし、「何であの時あんなことをしたんあろう」と反省から穴があったら入りたい(自分自身でさえ消し去ってしまいたい)衝動に駆られます・・・それが通勤時などの割とヒマで考える時間がある時にふと思い出し、そのまま落ち込んでしまい泣きながらチャリをこいでいます(笑) 思い出さないようにした時期もありましたが、その反動が今出ているような気もします。テレビを見ていて、本を読んで、景色を見てて、人と話している時に、悔しさや怒り、反省や情けなさが一気に押し寄せてきます。きっとひとつずつ、その時その時に解決せずに来たからなんだろうなと思います。 過去を振り向かない・・・きっと性格もあるし、生活の状況もあると思います。過去を振り向いている暇がないほど忙しい生活をしてれば忘れています。 一時、仕事に遊びにと忙しく睡眠時間にも困る時期がありました。そのころは生活するだけで精一杯!結婚して落ち着いてから過去を思い出すようになりました。ふとしたことで嫌なことを思い出したら、そこから一気に流れ出てきました。 なので、よく言う「後で後悔するくらいなら」とか「後悔しないためにも」その時その時をせいいっぱい頑張ろう。言いたいことははっきり言おう。やりたいことはやる!謝るべきは、きちんと謝ろう。などなど心がけるようにしています。。。。。私の場合、過去を引きずる卑屈な性格は、今のところ治りそうにありません。 あとは、ホントぼろぼろになるまで寝る時間もないくらい働きまくるか・・・
お礼
ありがとうございました
- bapstash
- ベストアンサー率26% (55/208)
うまく言えないんですが、 「あの時があったからこそ今がある」というのは 「あの時は辛くて苦しい事だったが、その経験を今、活かせている」 ということだと思います。 その経験をしていなければ気づけない事(分からない事)だった という意味ではないでしょうか?。 質問者様はその過去を思い出さない様にしたり、記憶から消したいと思って いるということは、まだその過去を活かす場面に遭遇してないという事だと思います。 「あの時があったからこそ今がある」と言えるのは、逆に言えば 「その経験をしておいて良かった!」みたいな事だと私は思います。 ↓ ↓ ↓ 「その経験をしておいて良かった!」と、今はまだ思わないのならば 「あの時があったからこそ今がある」とは言えないと思います。 だからと言っておかしいワケでも何でもなく、それが普通だと思います。 活かせた時に初めて「良かった」と思えることでも十分じゃないですか。 普通に生活していれば、そのうちそう思える日が来ると思います。 人によっては(私もそうですが)「何事も経験だ!」というように考え、 失敗しても反省したスグあとにはケロっとするタイプもいます。 そのタイプであれば確かにラクなことはラクですが、 だからといって全ての人がそのタイプである必要もないですし、 質問者様だって時期がくれば「あの時があったからこそ今がある」と 思うハズですから、そんなに急ぐこともないと思います(^^) たまに思い出してしまって切なくなるかもしれませんが、 毎回毎回ただ辛く悲しくなるだけなら「思い出し損」です。 たまには沈んだり悲しみに浸ったりするのもいいと思いますが、 「またその時みたいにならない様に気をつけないと!」というように 自分に気をつけようと考えるだけでも全然違うと思いますよ! 考えすぎも良くないです。考えてもしょうがない事は まいっか~!ってな感じで軽く流しておけばいいのでは?(^^)
お礼
丁寧な回答をありがとうございます
お礼
ありがとうございました