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街で見かけた人の容姿を、掲示板や日記に書いてあることが気になる
インターネットの掲示板なんかで、街で見かけた人の容姿についていろいろ書いている人がいますよね。 私は病気で薬を飲んでいて外見にけっこう特徴があった時があって、(今は少し良くなった)その時に「これは自分のことかも」と思うような感じの不快な文章を偶然見つけたことがあります。本当に自分のことなのかはわからないんですけど・・・。 他にも気に入らない人の服装、容姿をかなり細かく悪く言う人もいるし、その人から見て容姿のレベルが低い人を許せないというような人もいる。 人って他人を見ていないようで見ているんだと思いました。 時々こういうことを考えると、街ですれ違う人が怖いし気持ち悪くなって出かけるのが怖くなります。 気にしなければいいとはわかっているけど、何かアドバイスをお願いします。
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よくこのような質問をされる人に対して、 「人はそんなにあなたのことを見てないわよ」というアドバイスをされる人は多いですね。 それは一時的な慰めにはなるかもしれませんが、この質問者さまのように掲示板や日記を見ただけで、その慰めはガラガラと崩れてしまうのです。 ですから私はもっと「現実を直視しましょう」と言いたいです。 人が、他人のことに興味を持って見るか、見ないか。 それは見る人もいるでしょうし、見ない人もいます。 いつも見るわけでなく、見る場合もあれば見ない場合もあります。 他人が自分を見ているかどうかではなくて、自分自身がしっかりするかしないかの問題です。 もし、自分が見られていて、その人に「容姿のレベルが低い」と評価され、そしてネット上に書き込まれたら、あなたはどのように困りますか? それを自問してみてください。 確かに気分のいいものではありませんが、所詮、人の主観によるものです。 私だったら、人の容姿をいいとか悪いとか内心は思いますが、自分も同じようにいろいろ言われてるんだろうなーと思ってます。 所詮、街ですれ違う人にどう思われようと、特に自分に不利益になることなんてないと思うのですよ。 街ですれ違う人は「見た目」だけのつきあいです。 あなたの人間性まで評価されてるわけじゃありません。 その人と友達になるなり知り合いになるなどした時には、見た目だけで評価されるわけではないのです。
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- NIWAKA_0
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再び。 リンカーンは「男は40になったら自分の顔に責任を持て」と言いました。 質問者さんがお若い女性でしたら失礼になっちゃうかもですが、 要は心構えが容姿に出る、ということです。 卑しい顔にならないよう、卑しいココロを持たないように。 その掲示板のひとのような。
お礼
心構えが容姿に出るというのはなんとなくわかります。 私は人を警戒してしまいがちなので、もう少し気を楽に持ちたいです。 二度のアドバイスありがとうございました。
- kyoutoukyo
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あなたが街中の目立たない人を気にしてあげましょう。 他人の容姿をあれこれ言ったり書き込みするほど気にしている人は、 かなり、相当に自分に自信の無い人です。断言しちゃいます。
お礼
断言してもらってすっきりしました。 ありがとうございました。
- arikitarilady
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質問者のお話しの中には登場人物が二人います。 一人は、「現実」の質問者のswimmingさん。 もう一人は、 人に見られたり、その評価を掲示板に書かれた(かも知れない)の質問者のswimmingさん。 さて、この二人は同一人物でしょうか? わたしは違うと思うのです。 ちょっと例は違いますが、 掲示板とかに書込みしてると非常に反発を受けて個人攻撃される事があります。 あることないことというか、あくまで書き手の想像で適当な罵詈雑言が飛んできます。 わたしは、そういうのは一切聞き流してしまいます。 だって、掲示板に現れたわたしと、現実のわたしは、違うものですから。 せいぜい、掲示板に現れたわたしは、現実のわたしの操り人形でしょう。 質問者のswimmingさんは、これと逆になっていて、 現実のわたしと、他人に見られているわたしが、すごく強く結びついてしまっているのだ と思います。 だから、他人の視線や評価が、現実のわたしを直撃してしまう。 その直撃から現実のわたしを守るためには、現実のわたしと、他人に見られているわたし を切り離す。切り離さないにしても、結びつきを弱くする。 そのためには、街中で視線を浴びたりした時は、 「今見られたの現実のわたしじゃない。わたしの表面だけ。」と思うようにしましょう。 所詮、街中で行き交い視線を投げる人は、その人の本質(現実のわたし)までは到達でき ません。他人に見られているわたしの上を素通りするだけで、現実のわたしにはキズ一つ つけられません。 そして、その時でも現実のわたしは、しっかりと存在し生きているのです。
お礼
街で他人が見る自分は自分の表面で、見る人の気分や考え方で印象が変化するという事でしょうか。 見られている自分と、本質は同じではないんですね。 ありがとうございました。
初めまして、うつ病20年のおじさんです。 私は、次の様に質問から感じるのですが?的外れで有れば申訳有りません。 貴女は、感覚的に少し過敏に成って居ませんか?他人の言動等が。 私の過去の日記の一部分を少し紹介させて頂きます。 ===== 前略 ===== I.「他人への依存と自己逃避」について 自分の気持ちと言うものは、自分の考え方次第でどうにでも変化してゆくものですし、他人の指図によって動いてはいけなかったのだ。 しかし今考えると、私が求めていた「心のケア」は自分で考え、自分で矯正していかなければ解決しようが無かった部分で在った様な気がする。 自分の気持ちは自分で正しく理解し、自分の力で修正して進んで行かなければ駄目だったのだ。その事にやっと気付いた。 ===== 中略 ===== 例えば、「私が貴方をこんなに愛しているのに、貴方だって私を愛しているのなら私の気持ちが分かるでしょ」この様な考え方を、どのように感じますか? 今の私が思うには、表現が適切か分からないがこれは「愛の押し付け」でしかなく、愛という抽象的な言葉を借りて「自分を中心にしか、物事を考えていない人」の態度であると考える。 又、「私の愛」と「貴方の愛」と言う比較出来ないものを、比較しようとすること自体無理なのだ。 つまり、基準が違う物を比較する事は出来ないのだ。無理を押し通すと、矛盾という形でしか結果は出て来ない。 実際、昔の自分がそうだった。 妻に依存し要求する自分が、実は自分の安心を妻に求めていた事に気付いた。今思い返せば、それは妻の心に対する言葉の暴力でしかなかったのだ。 それでは「自分中心の人」と「自分自身を持っている人」と、どの様に違うのか? 今迄の自分を省みて、はっきり言える事は I.「自分中心の人」は、 ・考え方に歪が出やすい(矛盾が多い) ・自分の考え方が常に揺れ動いている(不安定) ・自分の考え方を確認しようと、常に相手に求める依存行動に走る II.「自分自身を持っている人」は、 ・自分一人でも自分の考えで、自信を持って他人に依存することなく生きてゆける ・相手の感情や言葉に左右されること無く、自分の気持ちが常に正しく前向きである ・自分の最も良き理解者が、自分自身であることに気付いている では無いだろうか? と言っては見ても、私が「自分自身を持っている」訳ではない。 唯、自分の気持ち・考え方として、その様に出来たら良いと考えるからだ。 ===== 後略 ===== 以上が、私の日記の一部です。 他人の言動・思考を気にしていると「自分の気持ち」が次第に見えなくなって、「自分の気持ち」が「他人の言動」で揺れ動いてしまう。 之は、本末転倒では有りませんか?「貴女の気持ち」が主で「他人の気持ち」が従でなければならないのです。又、貴女の気持ちを決めるのは、他人の言動ではなく「貴女の気持ち」なのです。つまり、他人がどの様な発言をしようが、貴女の気持ちが「其れは、尤もだ」と思わない限り、貴女の気持ちには何も影響は与えないはずですが。 私は自分の経験上、以上の様に考えますが。 ご参考に成れば幸いです。 御自愛の程、宜しく。
お礼
確かに今の私は、他人から見た自分に過敏だし、「自分自身を持っている人」という面が少ないみたいです。飲んでいる薬も精神科の薬で、過敏さを抑えるような薬です。 でも、いろいろな回答を頂いて質問したときより楽になっています。 「貴女の気持ち」=「私の気持ち」が大事なんですね。 ありがとうございました。
気にしないことが一番ですよ。他の回答者の方々が仰るとおり、人は何かしらの目的を持って日々過ごしているはずですから、通りすがりの人々を見てチェックする暇はないはず、そう思います。 見知らぬ人にあれこれ言う人たちに限って自信がないのではないですかね。自分は完璧、なんて勘違いして心が満たされない原因を探ろうともせずに、幼稚なことをして心の穴を埋めようと、ある意味必死なのでしょう。 そう言った程度の低いサイトへ足を踏み入れちゃいけません。そんなものに影響を受けてはいけませんよ!気にしないでくださいね。
お礼
ありがとうございます。 見た目にこだわる人は結構他人を見ているような感じがします。 でも、わざわざネットに書き込む人は少数派かもしれませんね。 ひどい書き込みには、なるべく影響受けないようにしようと思います。
>人って他人を見ていないようで見ているんだと思いました。 そんなに人を気にしてみている人のほうが少ないと思いますよ。 細かくチェックしてブログに書いてる人がいたら、私も気持ち悪いと感じます。 逆に、書いてる本人も人のことをよほど気にしてるんでしょうね。 気にしてなかったら知らない人の文句を細かく書こうとは思わないです。たとえ町なかで「あれっ」と思ったとしても、PCの前に行くまでに興味も記憶も持続しません。 >他にも気に入らない人の服装、容姿をかなり細かく悪く言う人もいるし、その人から見て容姿のレベルが低い人を許せないというような人もいる。 と言っても、その人たちの意見が正しいとは限りませんでしょ。 それは書いている人の個人的意見であって、「正しい意見」や「正解」ではないです。 正しい意見だと感じて気にするか、「容姿のレベルが低いってなんだよ、失敬な人だ。おまえがそれほど美形なのか??」と心の中でツッコミを入れるか、「こんなこといちいち書いて、嫌な人だな」と呆れるかは、読者次第。 気になるなら気になることを書いているブログは読まないようにしたほうが良いですよ。 ネット世界にはいろいろな人がいます。 取捨選択して、意地悪な記事は読まないようにするのが良いです。気分を害するだけですから。
お礼
ありがとうございます。 気分が悪くなるようなところは見ないようにしようと思います。
- NIWAKA_0
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>その人から見て容姿のレベルが低い人を そういう人は容姿のレベルが高くても こころのレベルが低いです。
お礼
そうですね。 誰かにムカついてもそれは自分自身が反映されてるということもあるみたいだし。 ありがとうございました。
- sorasora178
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先日極普通の書店でかわいくお化粧した男性店員さんに応対されました。 失礼ながら一瞬、え?と思ったものの、 周りの店員さんがごく普通にその店員さんと一緒に仕事をしていたし、その店員さん自身、女の子らしいそぶりでの応対がごく自然に出てきたので こっちがすとんと納得してしまい、堂々としていながら人に不快感を与えないって、すごいことだなと思いました。 とってもきもちよく一生懸命に応対してくださったので、ああいう店員さんがいる本屋さんはありがたいよなー。と帰る時はそう思ったくらいです。 病気やくすりの服用で外見が変わるのはつらいと思います(これには経験がある)。 そういう状態であるときに、果たして自分が堂々としていられたか、思い出しても自信がありません。 が、本屋の店員さんのような、堂々と・周りに不快をあたえない常日頃のそぶりが大事なんだろうなと思うこのごろです。 だって、ネットなんかであれこれ書いている人とは日常を共にしているわけではないじゃないですか。周りの店員さんがふつーにしていたように、身近からゆっくりと自分であることを認めてもらい、自信をつけていけたら、どうでもいい距離にいる人のことを気にしなくなれる強さが身につくかもしれませんね。
お礼
書店の店員さんの話は、読んで勇気がでました。 身近からゆっくりと自分であることを認めてもらい自信をつける、というところは自分にとって大事なことだと思いました。 薬の服用で外見が変わるつらさもわかってもらえてうれしいです。 ありがとうございました。
お礼
冷静に考えたら、本当にそうですね。 自分では全然こういう風に考えられなかったので、とても参考になりました。 ありがとうございました。