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過程と結果
こんばんは。 タイトルの通り、過程と結果について質問します。 よく世間では結果より過程のほうが大切だと言いますが、私はそうは思いません。 どんなに頑張っても結果が残せなければ意味がない(ちょっと言いすぎですかね?)と思います。 それに、結果が残せなかったときに「でも、頑張っってやったんだ」とか「自分なりに一生懸命やったんだよ」と言っても、結局は言い訳にしか聞こえません。 みなさんはどう思われますか?
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下記回答にも似た意見があるかもしれませんが・・・。 人生において、大概のことは、結果主義であることは間違いないと思います。それが、その過程と直結しているのかどうかはともかくとして、です。 大前提として、【過程そのものには価値はない】と思います。 たとえば、大学受験については、 【受験勉強開始→合格発表】というスパンでみれば、当然受からなければ意味がないです。当たり前です。 しかし、もっと長いスパンでみれば、 【勉強開始→受験失敗→一念発起して料理人を目指す→地道な努力の結果レストランチェーン経営者に→幸せな老後を向かえ、たくさんの身内に囲まれて大往生】という人生もあると思います(ちなみに私の叔父の話)。 叔父曰く、少なくとも受験勉強という【努力するという過程】を経験し、【失敗・挫折という一時の結果】を味わわねば、こういう人生は歩んでないだろう、と生前言ってました。 往々にして、人生はがんばった結果が本人の予想をよくも悪くも裏切ることがままあると思いますが、今努力していることに直接の結果を評価するのか、将来的にその努力を別の形で生かす(生かそうとする)ことができるのか、だと思います。 仕事に関していえば、少なくとも、自分が部下に対して評価する対象は、当然結果を出した者は評価します。そして、出せなかった者も、その失敗にいたる経緯を次のステップに生かす者(次も失敗するかどうかは問題にしません)は、当然将来に期待します。 逆に、その前異常なくらい努力したとして、結果的に失敗し、【こないだがんばったからもういいや】みたいな投げやりな態度でいられたら、間違いなく見捨てますね。
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結果は大事ですが、 その結果が「成功」でなければならないと言うわけではありません。 「失敗」でもいいので結果を出す事が大事です、 いくら大会のために頑張ったとしても、 病気や、日にちの間違いで大会に出る事ができなければ何の意味もありません。 不出場よりは「途中リタイア」でも良いので結果を出した方が良いです。 たとえ「失敗」だったとしても ・今回行った方法では成功できない(失敗する) 等の学ぶ事があります。 ちなみに「大成功」といえる結果を出したのに 本人にまったく「頑張った」という自覚がない場合も有ります。 下のほうに 健常者が100メートル走るのより、 障害者が、5メートル歩くほうが、 「結果=距離」が短いけれど、すごいではないか、 と言う意見がありましたが、 それは「結果=距離」の部分が間違っているのではないでしょうか この場合の私の考える結果は 「普通に歩ける人が、100メートル走る」と 「まったくと言って良いほど歩けない人が、5メートル歩く」 です。
お礼
結果を最大限良くするための努力が大切なのですね。 なるほど。参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
場合によると思いますね。 例えば達成することにより何らかの利益があること(何か作るとか)の場合、結果が出なければ意味がありません。 しかしあくまで自らの満足にやっていたり、楽しむためにやっているようなこと(#3の例とかスポーツとか)だと結果が出なくても、過程が充分であればいいと思います。
お礼
ケースバイケースですか。確かにその通りだと思います。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
こんにちは。 結果というのは、形あるもの・目に見えるもの(評価できるもの)という意味で、物質的なものと思っています。 過程というのは、目に見えないもの・本人だけのものという意味で、精神的なものと思っています。 世の中は物質的なものを(目に見えるもの)で評価する傾向にありますよね。それが一番ハッキリと判断できるから。 物事の基準とするには分かり易いです。 例えば、人生には「愛」が大切(精神)だと言う人と、 いいや、「お金」が大切(物質)と言う人といますが、どちらが”より”正しいというものではないと思います。 どちらも必要だし、バランスが大切なのだと思います。 同じように、過程と結果でもバランスが取れているのが一番だと思います。どちらも大切。 頑張ったね、一生懸命やったね、というのは、確かに言い訳とも受け取れますが、 私は言い訳ではなく、次に繋げるために必要なカンフル剤だと思っています。 完全結果主義であれば、結果を出せなかった人の人生はそこで終わりでしょうか?まだまだ先は長いですよね。 結果がなかなか出ないとしても、いつか結果を出せばよいのだと思います。 そのための言い訳であっても、それはそれでいいと思います。 視点を「今」で見るのか、「長期」で見るのか、それによっても判断は違ってくると思います。「今」だけが全てであれば、「今」求められる結果が重要視されると思います。
お礼
>視点を「今」で見るのか、「長期」で見るのか、それによっても判断は違ってくると思います。「今」だけが全てであれば、「今」求められる結果が重要視されると思います。 視点の変化で物事って変わるものですよね。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
- aqucent
- ベストアンサー率39% (78/200)
「ケースバイケース」と言えば、身も蓋もないかもしれませんが、そういうものなんだと思っています。 例えば、ある学校に入学するために、結果(合格)を求めて猛勉強したとしましょう。 合格 … でも、頑張ったんだから悔いはない。次に生かそう。 不合格 … 補欠合格だけど、「結果良ければ全て良し」だよな。良かった、良かった。 何とも、都合の良い解釈ですね。(^^; でも、これで良いんだと私は思います。 反省は大切ですが、立ち止まってはいけません。 反省しつつも希望を残して頑張る。その方が気持ちも上向きますし、活力が沸いてきます。 プラス思考で、プラス暗示をかけて、前向きに生きる人生が幸せなのだと私は信じています。
お礼
結果と過程がどちらが大切なのかではなく、それらを自分にとってもどう活かしていくかが大切なんですね。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
- Erwin-0-0-
- ベストアンサー率0% (0/3)
こんにちは。 私は、本気で努力した場合なら、結果が得られなくても 自分にとっていい経験にはなると思います。 その経験がほかの機会に生きることもあるでしょう。 でも、「失敗」という結果自体は直接的には 何も生み出しませんし、客観的に評価されるべきものは 結果だとも思います。 ですから確かに「自分なりに一生懸命やったんだよ」などと 言われても、ああそうですかとしか言いようがないですね。
お礼
自分で満足でき、よい経験になる過程なら結果と同様に大切ということでしょうか。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
- Sakulahime
- ベストアンサー率17% (66/384)
これは一概にいえないのでは? 仕事の場合は、「結果」重視になると思います。 ただ、自分の為にする事の場合は、「過程」も大事。 「過程」で色んな事を学べると思います。 粘り強さだったり、失敗することで成功への 道が開ける事だったあります。 失敗がなくては成長はありえないと思います。 もの1個作るにしても、必ず失敗はあり得ます。 過去の人たちが失敗をし、それでもチャレンジをし 色んな事を学び、それを後世の人間へ託してきました。 わかりきった事をするのなら、失敗はしないでしょう。 その場合は「結果」重視で言いと思います。 でも、わかりきった事だけやるのなら、これ以上 進化はしないでしょうね。 失敗も過程も大事だって事ですね。
お礼
どちらも大事、そうですね。 #9の方のように二つを切り離して考えるのは間違いだったかもしれません。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
補足
すみません。 #9ではなく、#8でした・・
過程は自分のために、結果は人のためにあるのです。 ただし、過程が空洞では結果も普通は出ません。 幸運に恵まれたりして「過程がないのに結果が出る」場合もありますが、それはたまたまの奇跡であって、それに頼って生きていくことはできません。 他人が、社会が見てくれるのは「結果」だけです。 その「結果」を出すための努力という「過程」を経ることが必須なのです。
お礼
>他人が、社会が見てくれるのは「結果」だけです。 その「結果」を出すための努力という「過程」を経ることが必須なのです。 なるほど、結果か過程かと二つを切り離して考えていましたが、二つは繋がっているんですね。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
- domaine-espoir
- ベストアンサー率11% (202/1743)
こんにちは。 結果は、結果自体だけを指すなら、 成功だけではなくて、失敗もあるなぁとおもいます。 結果を求める という意味には、 成功すること=結果を出す という意味が含まれているとおもいます。 失敗も含めた広い意味での結果を受け入れるというか、 多面的に、 あるいは”これから”をみるには、 ひとつの結果のほかに、 過程も必要だと思います。
お礼
結果=成功じゃないんですね。 視野が広まりました。参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。
ちょっと考えてみましたが「社会で求められているもの」 と「人生で大事なもの」の間には乖離があるような気がします。 社会ではどうしても「結果」が求められます。 それは結果が最も客観的な事実であり、結局は事実の 積み重ねで物事が進むからだと思います。 悲しいですが、過程は周りからは評価されにくいものです。 (ただ「結果が出ない=何もしていない」という考えに 立脚する社会は寂しいものだと思います。社会は 個々の人格を総合した存在であり、個々人の余裕の無さが 社会に反映されていると考えています) でも、人生を豊かなものにしていく為には、より良い結果を 生み出す為の努力が必要なのだと思います。 それが自我を形成していく重要な要素になり、また 新たなステップを踏み出すきっかけになるのだと思います。 No.3の方が受験を引き合いに出されましたが、高校受験で (特に公立は)内申点を重要視するのは、受験を「努力の過程を 評価する」という教育の一環として捉えている側面が あるのかもしれませんね。
お礼
>ちょっと考えてみましたが「社会で求められているもの」 と「人生で大事なもの」の間には乖離があるような気がします。 その意見、なるほどと思いました。参考にさせていただきます。 内申点はそういった見方もあるんですね。 ご回答ありがとうございました。
- skilldown821
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結果が大事です。 完成を求められている場合、最終結果に到達しなければやらなかったと同じです。 過程を重視し結果を求めないのは完成を求めないケースだと思います。 「過程が大事だ」というのは負けおしみに聞こえます。
お礼
なるほど。 私もskilldown821さんと同意見です。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
>今努力していることに直接の結果を評価するのか、将来的にその努力を別の形で生かす(生かそうとする)ことができるのか、だと思います。 なるほど、目からうろこでした。 参考にさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。