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バルトの楽園 パン職人俘虜の神戸の店

映画「パルトの楽園」で、パン職人の俘虜がバウムクーヘンを作ったり、神戸でパン製造業することを申し出るシーンがありました。 映画の最後に出てくる協賛の場面にユーハイムが記載されていました。 もしかして、パン職人俘虜がユーハイムを興したのでしょうか? もしも、ユーハイムではないのでしたら、このパン職人俘虜の店が現存しているならお教え下さい。 http://www.juchheim.co.jp/group/index.html

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  • hamomile
  • ベストアンサー率17% (18/101)
回答No.1

実は映画は観ていないので、どこまで史実と合致しているのか、はたしてその俘虜がユーハイムをモデルにされて作られた人物なのか別のモデルがいるのかは分からないのですが…。 中華民国の青島に駐留するドイツ人相手にケーキ屋(パン屋?)をやっていて第一次世界大戦勃発で日本軍に抑留されてドイツ軍捕虜と一緒に広島県似島の捕虜収容所に送られた、カール・ユーハイムさん神戸のユーハイムの創始者であることは確かです。 彼は戦争終結後も帰国せず東京でパン屋を始めますが関東大震災で店を失い、神戸に移ってドイツ菓子の店を始めた…ということらしいです。 第一次大戦後のドイツ経済はご存じのように酷い状態だったので帰国しても生活の目処がたたないため日本に残った人は少なくなかったそうです。そういえば、名前は忘れたのですが、比較的有名なハム・ソーセージの名店もこのとき残ったドイツ人職人が創始者だとか、そいう類の話は幾つか聞いたことがあります。

yachtman
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。 質問投稿後、私自身も調べてみたところ次のようなことが解りました。 映画配給元に聞いてみたところ、似島俘虜収容所に収容されたカール・ユーハイム氏の出来事を、バルトの楽園では板東俘虜収容所の出来事に仕立て上げたそうです。 パンの伝承は、徳島県の農業技師が自宅の庭に小屋を建てて俘虜を数人宿泊させ、そこから敷島パンに通勤させてパンの製法を伝授していたそうです。 また、鳴門市内にある『ドイツ軒』というパン屋は、俘虜たちが教えた製パン技術を今も守っているそうです。 ソーセージは、 日本ハムの創業者である故・大社義規氏が食肉加工技術を俘虜たちから学び、徳島市内に日本ハムの前身となる「徳島ハム」を創業したそうです。 さらに、ロースハムの名付け親である俘虜のアウグスト・ローマイヤー氏は、解放後に帝国ホテルでハム・ソーセージ職人として従事し、やがて東京銀座に『ローマイヤー』というレストランを開いたそうです。 俘虜のハインリヒ・ヴェーデキント氏は、解放後に月星ゴムに迎えられ、50余年を勤め上げ、日本のゴム産業発展に寄与したそうです。

その他の回答 (1)

  • rallyzuki
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回答No.2

作品中の収容所と、ユーハイムの公式サイトに出てくる収容所の位置が違うので、調べてみましたが、このようなサイトを見つけましたのでご覧下さい。 作品の登場人物は、ユーハイム創業者をモデルにしていますが、創業者本人では無い、ということのようですね。 映画の方は、静かに楽しめました。もう一頑張りしてもらえれば、もっと良かったのですが。 ユーハイムのお菓子は食べたこと無いんですが、かなり美味しいんですか?。

参考URL:
http://www.flix.co.jp/page/A0001049b
yachtman
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。 ユーハイムのバームクーヘンは美味しいですが、甘いうえに大量生産につき機械化されているため素っ気ないと感じます。(甘さ控えめがドイツ菓子の特徴なのですがぁ......) http://www.palashio.com/gourmet/shop/52.htmlのバームクーヘンが気に入っています。 パティシェは14年もドイツで修行してドイツ製菓マイスターの称号を得ています。 ここのバームクーヘンは、食感が独特のうえ、ふわっとしていて、適度にしっとりして、甘さ抑え目なのです。 バウムクーヘンは、引き出物・企業の記念品・中元などで頂いて、それほどおいしいお菓子とは思っていませんでした。。 しかし、ここのバームクーヘンのおかげで、今までの固定概念が吹っ飛びました。

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