- 締切済み
理想の自分と実際の自分の折り合いについて。
誰にでもあると思いますが、私には理想の理想像があります。頭が良くて、可愛くて、性格が良くて、友達に囲まれていて、しっかりしていて、周りからの信用があって… といったような。 可愛くなりたいとか、頭が良くなりたいというのは、それに向って純粋に努力を していけばよい事だと思っています。けれど、性格のというのは、自分ではどうし様もないのでは?と思い、悲しくかんじる事があります。 私は結構、表面でキャーキャー騒いだりしている行動や外見の子供っぽさに対して、結構感情変化の動きが乏しい方だと思います。一つの事に熱くなれる人にあこがれますが、無理にそういう自分を演出してもむなしいです。他にも、友人関係などで、(もし自分の理想としている人物なら、こんな時なんて言うだろう?)と考え、実際自分が思っていないような偽善的な事をいってしまい、これはいい子ぶっているだけなのではないか?と後悔する事もあります。優しい人になりたいと思うのですが、無理に自分を優しくしようと思っても、ただ偽善を繰り返しているだけなのでしょうか。人間性を磨くといいますが、自分の本質的なところは変わらずに、見栄えばかりが「良い人」ぶっているようで嫌になります。けれど本当はありのままの自分で生きたいと思う反面それは自分らしさと言う言葉に甘えているのではないかとも思います。私はとてもわがままで自己中だけど、うわべのいい人を続けていく事で、本当に優しい人になれるのでしょうか。 文章がまとまらなくてすみません。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nintai
- ベストアンサー率31% (401/1269)
回答No.10
- mayuusa
- ベストアンサー率18% (108/579)
回答No.9
noname#3362
回答No.8
noname#50891
回答No.7
noname#4793
回答No.6
- buran
- ベストアンサー率33% (259/782)
回答No.5
- mimosa2001
- ベストアンサー率22% (121/539)
回答No.4
- saririan
- ベストアンサー率21% (8/38)
回答No.3
- fukunokami
- ベストアンサー率30% (243/786)
回答No.2
- freeman108
- ベストアンサー率11% (18/153)
回答No.1
お礼
人の痛みが分かるような経験…というか、人の痛みが分かってあげられなくてもどかしい思いをした経験なら、結構あります。 とてもありがたいことだと思うのですが、私は、今まで17年間家庭環境にも人間関係にも恵まれていたことが多くて、例え何かつらい事があっても、自分の中に自分を客観的に観察している本当の自分がいるような感じで、どうしようもなく落ち込むほどの事が無かったように感じます。 だから、誰かが苦しんでいる時どうすればいいのか分からなくて、自身を持て余してしまいます。そして、そういう時にもし自分の理想像ならどう考えるかを想像して、その行動をとったりしてしまいます。けれどそれは自分ではなくて、本やドラマをお手本にした偽善的な模範解答に過ぎないことが多いんです。 自分の中にものすごく客観的な傍観者が一人いて、だから自分の優しさが偽善だと分かるのだと思います。この傍観者は経験から消せるものなんでしょうか? !!ごめんなさい。気づけばお礼とはかけ離れたものになってしまっています… 書き直そうかとも思ったのですが、kuruminさんの回答を読んで、そのまま思ったことを書いた物なので読書感想文とでも思ってください。ごめんなさい。そして回答どうもありがとうございました。 それから、最後の段落のメッセージ肝に銘じておきます。