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“格差社会”、あなたは賛成派でしょうか?反対派でしょうか?

最近、“格差社会”という言葉がよく言われますが、その善悪について討論をすれば、必ず意見が対立しますね。 “実力のある人間が正当に評価される仕組みを作れば、格差社会は仕方がない”という意見と、“格差社会の上下が、日本人の価値観をバラバラにしてしまうから良くない”という意見です。 まだ未成年の私としては、やはり日本の将来を考えたときに、格差社会でないほうがいいのではないかと思います。しかしながら、優秀な人間が優遇される仕組みの必要性はたぶんに感じますし、日本という国は、その優遇されるような人間に引っ張ってもらい...そう願いもします。 最近、ニュースでフランス国内の暴動について報道されることが多いのは、あの国の中では、完全に富裕層と貧困層が分離していて、政治でさえも富裕層の好きなように動いているということから、貧困層と移民が完全に無視された国づくりが行われていることにあります。政治家になれる家柄の人間は富裕層ばかりなので、無理もありません。 日本も、これ以上格差が広がれば、フランスと同じ道を歩むのではないかと心配なのですが、皆さんは、“だから格差はいけない”と思うのか。“でも格差は必要”と思うのかを知りたく、ここに投稿させていただきました。思うことをどんどん投稿してください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • bo-suke
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回答No.23

どうしようもないのではなく、だから現代の社会制度は不完全であり、改善の余地があり、それに対して全国民は「知る」ことで少しでもそういった格差問題を「自分たちの手で」改善しなければいけないし、それが近代以降の人類に課せられた使命なのです。 私の知っているとある中企業の社長で、使えない本来なら窓際族のような社員でも何とか使える仕事を与えて役に立て、それを大義名分に給料をきちんと与えていた社長を私は知っています。その社長の名言は、「人がいたら使え」です。どんな人間でもとりえがある。それを使ってやれば良い。もし万が一とりえが無かったら、とりえの無い人間でもできるような仕事を作ってやれば良い。それもできなければ懇切丁寧に教えてやれば良い、そいつはきっと裏切らないいい社員になる。それもできない、悪人だったとしても、自分の財布が豊かな限りは、悪事をしないように契約してそいつに金を渡せば良い、そうすれば平穏な日々が獲得できる。だからどんな奴でも何とか使ってやろうとしなさい。そうすれば自分に帰ってくるし、少なくとも自分の場合は帰ってきた。 この話を聞いたとき、「これこそ現代の社長にふさわしい器を持っている人間だ。ただ役に立たなかったら切るといって焦燥感を武器に人に仕事をさせる上司よりずっと上司としてのノウハウを知っている」そう感じました。この人は真の意味で人の上にたつ資格があり、金をもうけて良い立場だ、と感じました。 悪とは、必要悪が元です。必要悪は、不足が原因です。善を前面に押し出しすぎて金を取り上げれば、悪はできたくなくてもやってきます。 ですから、本来あるべき人間らしさを得たいと考えている方がいるなら、体のいい金稼ぎや世間体などそういったことに目を向けるばかりではなく、「仕事を作ってやり、相手が「金をかせ」などという必要が無い状況を作り出してやる」等の、「本来ともに生きるべき同じ命を持つ人間への配慮」を示してやるべきだし、その努力ぐらいは見せておかしくないものです。 それを一人の人間ができずにいると言うことが問題なのです。それに対してしょうがないではなくて、どうにかしなければ、と言う気概は少しも沸きませんか? いえ、沸くことでしょう。あなたが普通の人間なら。 ましてや、人を使う社長クラスの人間なら、経済上の王様のような地位です。自由市場だから人のことを気にしなくていいというのは、体のいい言い逃れには使えるでしょうが、実際に困っている人を目前にしてそんなことを言う人間は、皆から影から軽蔑されることは明白です。だって自分はお金を持っているのに弱者と同じだけの権利をむやみに主張するなんて太っ腹の人間のすることじゃないでしょう。とても社長の器と皆は見てはくれませんよ。「ヤッパ人間だわ。人間。あまりに人間。」と思われますね。それともそれがいいのでしょうか。それがいいならいいですけど。それにしてもそういったことに対して気づかないふりをしないといけない社長の苦労とは大変なものですね。少し砕けて付き合うだけで友達は増えるでしょうに。 努力すれば、と言いますが、その成果がスタートラインによってあまりにも変化しているとなれば、やはり何とかしなければいけないと考えるのが自然な思考の流れでしょう。特に教育に関しては最初が肝心ですから、少子化の世の中、きちんと「社会に貢献できる」人材を上げたいなら、もっと奨学金制度などの機会均等制度は設けるべきです。奨学金制度があるから、などと今ある小さな努力の成果で終わらないで、新しい道をドンドン切り開いて良いに決まっています。 それとNo.22さんは日本の奨学金制度が焼け石に水状態であることをご存じないようですね。 http://www.441-h.com/yakusoku_2.htm ためしに一つ持ってきました。 これはかなりの量の人間が再三にわたって主張し続けていることです。 ためしに検索を掛けてみればすぐにわかりますよ。どれだけ日本の奨学金制度等が、「少しとはいえしたのだから文句は言わせない」と言う言葉を匂わせているか。 あとお忘れのようですけど、議論の中心は格差は必要かいけないか、であって、格差は消せるか消せないかではないですから。しょうがないと言う意見はこの質問に対して、 全くの無意味 と言って問題ないことでしょう。 別に怠けている人間に怠惰を、と言っているわけではありません。 むしろ、腹が減っては戦ができぬ、と言いたいのです。 そしてNo.21サンの苦労話をきちんと読んでから、それでも何か言いたければ、反論をどうぞ。

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その他の回答 (27)

  • bo-suke
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回答No.17

>人間としてしての知識・技術・技能、人によって能力の違いがあり、努力して向上させた人の意見は、努力しない人はどうでも良いと思うと思います。能力を同じすることは絶対にできないです。教育を何とかすれば良いとかいいますが、そんなもの役に立ちません。馬鹿に教えても学びません、学ばないどころか邪魔します。(昔の自分)そうい奴に限って、自分に都合が悪いと周りのせいにしたり、社会・学校・地域の安定を乱します。 全くその通りだと考えますが、ではそれを理由にほうっておけばいいかというと、そのほうがもっと危険なのです。 例えばそういう奴は学校に来なくていいと言う状況にすると、極端に他人との接触を知らない人間になります。それどころか、地元のやくざなどとコンタクトを取り始め、勧誘脅迫をされ、無知を武器に極悪非道の限りを尽くし、ギャングスターになるかも知れません。絵空事ではないですよ。実際われわれがそういった妙な集団に勧誘されにくいのは、学校の中で集団で保護し管理しているからと言う側面もあります。 そしてその中で他人との対決を経て、悪行自体が収まらなくても良心の呵責を多少也とも感じさせたり、自分の行いが悪行としても陳腐であることに気づかせるだけでかなりの量の悪行が消滅します。悪にも悪徳ぐらいはありますから。 ですから、教育機関に一時的に拘束することで、そういったものへの進行をなるべく減らすことが可能になります。 悪だからと言って見捨ててはいけません。それは慈愛の精神からだけではなく、悪はしっぺ返しだけは忘れない存在だからです。かくまいそいつの悪行に耐えながら幾ばくかでも更正することで将来の悪を減らす足がかりになりえます。 こちらが支えてやるだけの、「デメリットの消失」という価値がそこには存在するのです。

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  • bo-suke
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回答No.16

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060324k0000m070162000c.html コンナの出てましたので、もしかしたら参考になるかと思いまして貼り付けました。これは地方分権の問題ですから、少し格差社会と言ってもマクロの視点ですね。

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  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.15

>たとえば支配する側と支配される側の差が開いて、支配される側の人数もそれなりに多いのにもかかわらず、その意見が聞き入れられない とか、そういった社会の中に温度差が生まれてきたときにどうするか ということです。 日本は自由選挙制度だし、発言の自由も就学や就職の自由もあります。 あなたが想定するような状況にはならないでしょう。 現在の状況は、努力したくない怠け者が税金で太ろうとしているだけですよ。

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noname#80187
noname#80187
回答No.14

自分が将来、裕福な生活ができなかったら、格差のない社会の方が良いし、裕福な生活ができていれば格差のある社会でも良いです。 ようは、自分にとって都合の良い方で良いんです。自分にとって都合が悪ければ、おもしろくないですから、何かやらかすかもしれません。 格差が必要か必要で無いと考えるならば、人間のとしての性格、人間としての知識・技術・技能、人間としての幸福というものを考えなければいけないと思います。 人間としての性格、つまり、個人が裕福になって、他人は貧乏で苦しんでいても良いのか、それとも、皆で協力し合い良い環境を作り上げていくのか、 人間としてしての知識・技術・技能、人によって能力の違いがあり、努力して向上させた人の意見は、努力しない人はどうでも良いと思うと思います。能力を同じすることは絶対にできないです。教育を何とかすれば良いとかいいますが、そんなもの役に立ちません。馬鹿に教えても学びません、学ばないどころか邪魔します。(昔の自分)そうい奴に限って、自分に都合が悪いと周りのせいにしたり、社会・学校・地域の安定を乱します。 人間としての幸福、名誉、名声、地位、仕事内容、カッコ良さ、職業に対する評価、高所得を得たいと思う気持ち、さらに自分は自分の生き方で良いと思う以上、格差は絶対生まれます。不幸とは、名誉、名声、地位、仕事内容、カッコよさ、職業に対する評価が得たくても得られない時です。不幸とは苦しいものです。苦しさは、平穏を壊したり、他を傷付けたりします。 ようは、自分のおかれている状況と上の3つの状態の強さで皆は答えるでしょう。だから、まとまることはないでしょう。 質問者さんがこう考えているかどうか解りませんが、良い社会を作りたいのなら、人の意識を良くし、人の性格(感性)を良くし、人の能力を良くし、人の体調を良くし、人の気を強くすることです。ですが、これからのことを変えることは容易ではないでしょう。質問者さんの言葉では精神的バランスでしょうか。 個人的には、今の経済社会に「信頼、安心、良質、協力」という意識があれば良くなると個人的には思います。 初めに書いたことは無しとして、僕は、格差は無い方が良いです。

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noname#61064
noname#61064
回答No.13

条件付で賛成です。 私も11さんと同じで、教育が平等であればいいと思います。今の段階ではお金のある人が大学へ行き、大卒はいい仕事に就け、出世も早いとなっているので、お金が無くても実力のある人は大学まで行かせてもらいたいと思います。少しの奨学金制度だけでは平等とは言えません。 海外に居ましたが、フランスも日本や資本主義の先進国と変わらないと思います。フランスが目立っているのは貧富の格差が大きいからではなく、言い方は悪いですが発展途上国からの移民者が母国でたいした教育を受けられないままフランスに移民して、結果、たいした仕事にも就けず、その子供にもいい教育を受けさせるだけのお金が与えられないことが主な原因です。 中には奨学金や自費で勉強して貧困層から抜け出す子もいますが、教育を受けなかった親や親戚から「勉強にお金をつかうのは無駄。どうせ私達は貧困から抜けられないし、そうしなくても生きていける。義務教育が終わったら仕事するのがいい」と言われて育てば、そこまでして貧困層から抜け出せそうと思う人は少数でしょう。そして貧困のイライラが暴動につながっています。 かといって、日本が移民を受け入れなければ大丈夫というのではなく、今のように登校拒否や中退者など教育を受けない人が増えている状態であれば、フランスと同じようにその子供・孫世代で貧富の格差は今後もっと開いていくと思います。 「みんな一緒」の日本の子供達は「○○ちゃんだけ先生に褒められてずるい」「みんなと同じ××じゃないと仲間はずれにされる」とよく言いますが、海外ではそれはほとんどありません。子供でも人は皆違うもの、実力のある人はすごい、自分もそうなろうと思っています。 それが国の力になるのではないでしょうか。 それに裕福層が多大な税金を払えば国を助けることになります。 大切なのは教育の平等であって、せっかく努力して身につけた実力まで平等にしては何の意味もないと私は思います

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  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.12

なんか格差社会は競争意識を生むとか言っている人間いますけど、一概にそうは言えないと思います。 今の格差はそういった競争意識を虐げるほどに惰性態となっています。 上の階級の人間はそういった競争意識を上手くそぐ方法を知っています。 格差社会にすでになっているのに若者の意欲が無いのは、「どうしようもないと言うことを知っているから」です。 競争意識のそぎ方は簡単です。上の階級の人間でスクラムを組んでじわりじわりと追い出せばいい。居心地を悪くすれば勝手に社会や組織から逃げていきます。世の中では「窓際族」や「世間体」や「よそ者を除け者にする」方法は、マニュアルにできるんじゃないかと言うほどに蔓延しています。 格差社会が競争意識を生むと断定するには、社会ではこういった不可思議な現象が多すぎます。それに気づいているのかいないのか知りませんが、この意見はあまりにも「AがBを完全に決定する」と言う安易な考えにしか聞こえません。 上のところでもフランスの記事を上げているのに、きっと回答者様には読んでいらっしゃらない方もいると言うことですね。完全に論理が矛盾しています。 いい加減、こうすればいいああすれば完璧という「ひとつのことを信じてやればできるようになる」というのはやめて、きちんと複雑な現実を見据えるようにすべきです。そして細かく見ていくうちに何か解決策が出てくるはずです。 そしてその話しをするためにここの質問は立ち上がったはずなのですが。 後教育も「するかしないか」で決めさせるのが正しいとは限りません。 子供は質問します。「なぜ勉強しなければいけないの?」これに適切な回答を与え、無理にでも管理し、きちんとした知識を子供に与える技術と言うのは、そしてその責任を負うのは親です。つまり親の能力が不足していれば、子供はついてこないと言うわけです。とはいえ、この教育機会の均等は徹底することには重要な意味があると私も考えています。子供の頃の基礎教育は非常に重要だと僕も思います。これがあるかないかで推理能力や責任能力や事務処理能力は完全に格差がつきます。 それに低所得層と生活保護を比べるのはそれ以上の階級を比較から除外することを暗に示しているにほかありません。もしそういった貧しい人間がいたら、そういった人にお金が有り余っている人間が雇用の機会を探し、与えてやるのは上のものとしての当然の責務ではないでしょうか。その観点がこの主張からはがっぽり抜けている。それこそ人一人さえも残さぬように使ってやるのが上の仕事だ。金を与えるように促せば彼らだって働きますよ? というと、「わが企業では副業としてオーケストラのチャリティーをやっている」などとせせこましい返答しか帰ってこないんだよね・・・。はっきり言って言い逃れに使っているとしか思えない。音楽聴くよりパンと本と家庭の笑いをよこせ。 今弱者を守るものは誰一人としていない。政府は社会のマクロなシステムに対する安全しか与えられない。かといって強者は「自分のものは自分のもの」と所有権を異常なまでに主張し、目の前の貧乏人に施しも与えない。隣の山田君は口では励ますけれどそれ以上は何もできないししてくれない。最初の二つはまぁ端から相手にしていないかもしれないけど、最後のは異常すぎます。 ですから競争社会の原理をのらくら説明するより、新しい策をめぐらすことで社会に貢献したほうがよっぽど有益だ。 さて、今までの話をまとめると、 格差云々の問題ではなく、「貯蓄」そのものにあまりにも大きな威力がありすぎるのです。それは回ることで発展する。あるもの無いものではえらい違い。金でもコネでも知識でもだ。マルクス主義を肯定するわけじゃないけど、彼らの出した疑問に資本主義は未だに明確な回答をしてはいない。でそれだけならまだしも、これらの貯蓄を誰も「再分配」しようとはしない所にさらに問題がある。 特に教育を分配しないのは大問題だ。頭なくして一人で打開する能力だってあるはずは無いのに。なのに教科書に書いてあることはさっぱりワカラン珍なことばかり。ここに関して文部省はまだ何かできることがあるはずだ。「知識をおろす」努力をしろ。何がユーキャンは文部省公認ですよ、だよ。本当に何にもしてないですからねあの省は。 やはりこのように考えると教育が一番重要な位置を占めているように感じます。 次に貧困層同士のスクラムを組める場所(一般にとっての情報媒体)が存在しない。これはインターネットが徐々に解決していく問題だと思う。実際2chはかなり貧困層にも勇気を与えている場所だ。 ここで頑張れば金も平等に支払われる世の中が来るかもしれない。頑張る方法を与えられて自分たちで立てるようになった中低階層の人間たちが、上階層から独立する。 そしてその時こそ「努力の元で勝ち取った真の平等」を叫ぶ時ですよ。

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回答No.11

教育を受ける機会を均等にして、そこから先は競争の社会で良いのではないかと思ってます。 勉強の機会は与えるが、するかしないかは本人の自由。 努力や才能で差が出るのが平等な社会だと思います。

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  • ikazuti
  • ベストアンサー率27% (130/469)
回答No.10

格差社会、競争社会に賛成です。 競争しようとしない若者が増えている以上、無理やりにでも競争の渦に叩き込むほかありません。 かつての日本が一億総中流なんていわれたのは、皆がある程度の競争意識を持っていたからです。それが失われたのですから、別の方法での競争意識を高めるしかありません。 これは社会の問題と言うより教育の問題で、平等という概念を必要以上に尊いものだと教えた教育機関などが最大の原因だと思います。

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  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.9

どうも皆さん、格差社会が悪だという観念に完全にとらわれているようです。 これが、戦後の悪平等教育の賜物ということでしょうか。 本当に格差を無くした社会がどうなるか、共産主義社会の実態を知れば、 自然と答えは出てきます。 毛沢東の頃の中国がそうでしたが、国民全員が貧乏。それも明日の生活がどう なるかも分からないほどの窮乏さ。これが格差ゼロ社会の正体です。 今の中国は農民が貧乏。都市生活者はやや裕福。官僚は汚職にどっぷり使った 優雅な生活を送っていますが、毛沢東の頃はごく少数の権力者(毛沢東を含む) を除いて、国民も官僚も皆貧乏でした。 官僚は清貧で格差は限りなく縮まったのですが、こういう社会を望むかどうか です。 ソ連も末期になると、働いても働かなくても給料は同じということで、働かず に酒に溺れてアルコール中毒になる人が急増しました。これには当時の最高 権力者だったゴルバチョフも打つ手なしでした。 日本でも一部でその傾向が出てきています。 低所得ながらまじめに働いて年金を受け取っている人よりも、働かずに生活 保護を受けている人の方が得る金が多いという現象が現れてきています。 これが悪平等ではなくて、なんと呼べばよいのでしょうか。 まじめに働いても得るものも得られず、働かずに同等か同じ報酬が得られる のであれば、一部の才能と運に恵まれた人間を除けば、皆働かなくなるでしょう。 今日、安部官房長官が「再チャレンジ推進会議」を設置するというニュースが 流れました。 確かに格差の固定化には、弊害が多くあります。(戦前の財閥主導経済がその 一例です) しかし、健全な競争があれば経済が発展することは、戦後の高度経済成長の 時代が証明しています。 (ただしその後の日本経済は競争の精神を忘れた結果、土地を持っている人  と持っていない人という格差を生み、やがて土地バブル崩壊へとつながり  ます) そうかと言って、アメリカ型の自由競争社会が日本に適していないことは、 多くの日本人が実感している内容ではないかと思います。 自由競争の精神を残しつつも、日本流の新たな道を模索するのが、今後日本 経済が健康的に発展するために、必要な内容ではないかと思います。 参考『和魂洋才による日本復活への挑戦』  http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/yanai.cfm?i=20060110c9000c9

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  • iserlone
  • ベストアンサー率18% (99/525)
回答No.8

条件つきで、格差社会是認派です。 正当な競争なきところに繁栄はないし、逆に変な平等は怠惰を招くでしょう。 昨今、話題になっている「徒競走で同時にゴールさせる」というのは 愚の骨頂以外の何者でもありません。 問題は、機会の不平等である事と、やり直しが効かない事にあると思います。 これらがない、あるいは希少なところに日本の閉鎖性が指摘され、 また否定できないところでしょう。 現状で格差社会の是非を問われれば…かなり迷いつつも格差社会に対して 首を縦に振るでしょうね。 共産主義社会を含めて、格差のない社会なんて存在しませんから。

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