- 締切済み
なにもしてないのにいつも罪悪感を感じてしまう。。
こんにちは、初めまして。 最近、日中罪悪感を感じてしまいます。 特に悪いことをしてるわけでもありません。 いろんなことに罪悪感を感じてしまいます。 自分がいい思いしている分誰かが犠牲になっている とか。。いろんなことを罪悪感で感じてしまいます。 また夕方は特に罪悪感+孤独感が生じます。 今自分はどういう状況なんでしょう。。? いまいち飲み込めません。 半年前に仕事のことから鬱病になりかけたことが ありましたが病院では鬱病とは診断されず、 仕事を辞めたら治ったと思いました。 特に罪悪感で強いのは仕事を辞め来年から 大学 or 専門学校に進学を考えており、 家計が厳しい状況なのに余計な経済負担が増えること が一番罪悪感で感じます。 でも勉強したいのに。。どうしたらいいのでしょう? なんかスッキリしないんです。。
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- 007_taro
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もし良ければ、以下の本を読んでみてください。認知療法の本です。これはうつの人に効果があると言われますが、普通の人でも落ち込みやすい人には良いと思います。 その人、その人の認知の仕方を見直していくことで、自分の生き方を見つめなおす作業(療法)です。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791102061/qid=1133748298/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-2308395-2222612 あと、このサイトをご参考までに紹介します。
- TooManyTroubles
- ベストアンサー率44% (122/272)
<回答者への注意にありますように、直接あなたの治療方針について診察の上、医療上の判断として申し上げていることではないことをあらかじめお断り申し上げておきます。> ごく一般的に言いますと、それも、鬱のひとつかもしれません。 さて、新しい考え方では、鬱病は、脳の海馬の近くの警告中枢の働きが過剰な状態が恒常化したものと考えられています。海馬は近時記憶の中枢で警告中枢はこの近くで機能しているのです。またこのあたりは辺縁系に近く感情と密接に関係します。したがって悲しみの中枢のニックネームもあります。夕方の”まず~い”あるいは”とりのこされた”あるいは”存在価値のなさ”の感じは疲労とともに現れるのがひとつの特徴でしょうね。ハッピーな日には感じないこともあるかもしれません。あまり進むとハッピーなはずが、ひとつもうれしくない、これはなぜ?とおもうようになることもあるかも知れません。 さて、もとにもどって、鬱病では、薬物に反応しなくなった鬱病の老人のその中枢の大きさそのものが大きくなっていることも知られています。これらはMRIなどの画像でわかっています(最近文献多数でました)。ちょうど使いすぎた筋肉の肥大のようにでっかくなるのですが、脳ですからこれらの所見は非常に奇異な感じがしますが使えば発達するという原則どおりですね。これに限ったことではありませんが人の体は実に不出来であちこち不具合があるのは仕方がありません。 で、それを精密に誘導して刺入した電極からの刺激で以上に高進した機能を麻痺させるのがECT(electro convulsion therapy)という治療法ですが日本では、この病気に対する精密なこの治療はほとんど普及していません(でもNHKで特集ありました)。脱線しました。 そういった警告中枢の過剰な働きがずっと続いている状態のひとつが、持続する(根拠がないか、あってもその根拠に見合わない大きさの)罪悪感などです。こういった鬱性の罪悪感の救済には宗教(神は許し給う)や抗鬱剤(SSRI,SNRI:アメリカでは処方箋不要のもある)などが有効ですが、そういった背景を理解するだけでも、根拠のない(根拠に見合わない)思考(罪悪感など)に勝てることがありますね。 もし、大変な思いをしているならば、こういった最新の医療や鬱の本態に理解のある医師を見つけて相談することをお勧めします。 なお、警告中枢は人が反省しながら生きていく上で非常に大切ですし、麻痺させてしまって済みというものではありません。反省、悲しみなどの人間的な機能はここにあるのですから。 ちなみにSNRIをずっと服用している患者が、銃の乱射事件やさまざまな攻撃的な事件を起こして、薬の作用との関連性が取りざたされたのは、まだ1年ほど前にもならないことです。NHKスペでECTが非常によく効いた患者さんの表現はすっきりして頭が空っぽになったようで、非常にハッピーという表現でしたが、おもわず、おとなしくしていてねと手を合わせてしまいました。 自然で人間的な感情を失わずに、あなたが、不条理な苦痛から逃れられるように、お祈りしています。 あと、余談的ですけど、経済負担に見合うかそれ以上のメリットがあれば、やっぱり、進学は買いですね。こういうときって、勉強するんですよ。臨床心理士資格なんてどうです?人助けに自分の苦労した経験も生かせるかもしれない。でも、そのためには、いまの壁をひとつ乗り越えなければいけないけどね。
- true-1
- ベストアンサー率20% (22/105)
>いろんなことに罪悪感を感じてしまいます 世の中の人は、大抵、罪悪感なんて感じない、という方が多い中、感じる心があるというのは、大変感受性が豊かであると思います。 罪悪感を感じるという事は、自分が周りに迷惑や悪い影響を与えている、あるいは、与えているかも知れない、と思うからだと思います。もし、良い影響を常に与えていると過信(勘違い)しているとするならば、罪悪感を感じないと思います。それでは、なぜ、迷惑や悪い影響を与えると思うのでしょうか?それは恐らく、自分がもしかしたらいい子ではないのではないか、と半信半疑の状態にあるからだ、と考えられます。いい子ではない、とすると、周りに対して言動、ふるまいが悪い影響を与える、と認識していて、何をしても不安である、という心持ちになっているものと思われます。ただ、反面、いい子かもしれない、と心の奥底で願っている部分もあるので、「いい子であらねば!」と、頑張っている自分もいるのではないかと思います。しかし、頑張れば頑張るほど、その理想に届かず、「やはり、いい子ではないのかな」とうすうす認識し始めている所もあるかと思います。 他人の評価を得る為に、人は、「いい子であらねば!」と頑張るのですが、人はそんなにいい人ではありません。どんなに頑張っても、いい人には成りきれないし、いい人を一生演じ続けることもできません。ですから、無理していい子になる必要はありませんし、いい子になれない自分に罪悪感を感じる必要はありません。 実際に自分の心を訪ねてみると、あの人笑い者になればいいのに、とか、あの人バナナの皮に乗って転べばいいのに、とか、あの人なんてどうにでもなればいいのに、とか、これが全てではありませんが、少なからず、そういう嫌らしい心を持つ事が人間誰しもあります。そう考えると、いい子って何?、となるのです。実は、いい子とは、世間が作り上げた虚飾の世界であり、実態のない、うその状態なのです。本当は、いい子ではない自分を認め、そのいい子ではない自分がふるまいや言動で外に出ないように、人に働きかけないように注意しながら、行動・言動をすることが大切なのです。これが、他人の評価にすれば、「いい子ね」になるかもしれません。自分自身のいい子でないのを外に出しすぎず、振る舞うのは、演じているとは、異なります。自分の悪さを感じながら、人に対しては精一杯誠意を尽くすので、これはウソでも、演じる事でもありません。少々難しい話ですが。 まずは、自分ってどういう人なの?、という観点で自分を知っていって下さい。自分自身が分かれば、周りへのふるまいの仕方も自ずと見えてきます。自分をしらないのに、人生を歩んでます、という事自体、本来可笑しい話なのですが、大抵の人はそうなのです。人と接触する時に、自分は心の奥底で何を考えているのか、何を感じているのか、をよく観察し、どういう人間かを探求して下さい。嫌な部分が一杯吹き出すとは思いますが、逃げないで、見つめていって下さい。おぞましい自分、嫌らしい自分、自分本位な自分、我が儘な自分、お金に汚い自分、冷たい自分、優しいと見せかけている自分、色々と出てきますが、それが自分であり、世の中の人みんなが持っている心です。 他人の評価、というのも言葉として出しましたが、これは本当にあてになりません。なぜかというと、他人の都合で評価が決まるからです。今日言ったことと、明日言うことが違う人がいるように、人は自分に利益があるのか、不利益なのか、というような部分で評価します。自分に置き換えれば理解が早いと思いますが、絶対的な評価を人は下せないのです。ですから、人の評価に一喜一憂するのは、馬鹿らしいわけで、あまり気にする必要はありません。ただ、良い指摘とかはたまにくれるので、そういった意見には耳を傾けて下さい。 もし、少々うつ的な性格が様々な場面で災いを起こしていると思われるなら、下記URLの自助グループに参加されるといいです。 http://www.get5.net/japan/i/ikikata_main.htm 本当の自分が少しずつでも見えてくると、自分を知っているわけですから、自身も持てるようになります。己を知っている人は強いです。オリンピックを目指すような人は、目標を掲げながら、まずは自分の限界を知ることから始めると思います。そして、その限界に対して、日々挑戦し、能力をアップすることで、オリンピックに近づくのではないかと思います。つまり、まずは、己を知れ、ということです。少しずつですが、頑張っていって下さい。
- russy1
- ベストアンサー率11% (20/178)
罪悪感というのは感謝の気持ちの少し形が変わったものだと思います。この根源はわれわれは皆存在している客観的根拠などないというところにあると思います。だから何か申し訳ない感じがするのは自然なのではないでしょうか。全ての人が持っている感じだと思います。
- souziki
- ベストアンサー率24% (116/482)
病院かカウンセラーが一番いいと思うんですけれど。 誰かに言ってみるだけでもスッキリするから。 うつ病なのかなぁ、なんていう心配もあったり。 何だか、似てるので。うつ病に。 罪悪感を感じているのは、自分が思っているような成果や目標を達成できなかったからなのかなぁ。 もがいている状況で。 貴方はちょっと強くて優しいから、つい他人のことを考えてしまうのかも。 『悪いこと』じゃなくて、自分の『がっかり』っていう気持ちとか、ありませぬか? そういう自分にショックなことやつらいことを、罪悪感で誤魔化しているのかなーなんて。 いえ、別にいいんですからね、そーゆーの。 みんなそうだし。 ただ度合いがきついのかなーとか。 うつ病もそうですけど、早期発見早期治療が一番良いです。 できればもう一度病院に行ってみたほうがいいんじゃないかなぁ。 うつ病初期、って感じがするのですよぅ。
- mm-1
- ベストアンサー率33% (3/9)
質問の上のスポンサーリンクにうつ病や心身症のサイトが出ていたら見てみるといいと思います。 (URL分からなくなってしまい…。すみません。) 再度、病院でカウンセリングなど受けてすっきりさせてみてはいかがでしょうか。。。 一度病院で見てもらった方がいいように思います。(私は。) うつ病でくくらない方がいいと思います。 ご家族に対する金銭的な罪悪感についてですが、ご家族に反対されているのですか? まだきちんとお話されていない状態なのですか。 でなければ「出世返し」程度に軽く考えちゃった方がいいですよ! 「罪悪感まで感じるなんて! 自分て、なんて家族思いでいい人なんだろう!」 と自分に言い聞かせるとか。 うつ病でなくとも悩みや不安がある時は、胃が痛くなったり色々と症状が出ると思います。 身体的に丈夫なのであればやはり病院に「おしゃべり」にいくような感覚で一度いかれる方がいいと思います。 思っている事を「言語化」することで自分の状態がより分かるようになると思います。 しゃべると頭の中で堂々巡りしていた悩みから解放されて次のステップにいけると思います。
- theonti
- ベストアンサー率29% (239/802)
<特に悪いことをしてるわけでも無いのに、罪悪感を感じてしまう。> <自分がいい思いしている分誰かが犠牲になっている> <家族に余計な経済負担を掛ける> まず、人間一人の力ってどの位有るのでしょうか。? 本当に小さなものですよね。 だから、支えあっていかなければ、一人では生きていけません。 あなたもその一員です。 あなたは、みんなに支えられています。 そして、みんなを支えています。 小さく考えて見ましょう。 あなたは、家族に物心両面で支えられています。 あなたが、家族の心の支えになっています。物の支えは出来るようになってからすれば良い事です。 もっと小さく考えて見ましょう。 あなたは、あなた自身を支えています。 また、あなた自身に支えられています。 思いやる気持ち、感謝の気持ちがとても大切です。 しかし、嫌悪の気持ちは必要有りません。 あなたをもっと思いやってください。 今あるあなたにもっと感謝して下さい。 自ずと答えが見えてくると思います。 鬱も、孤独感も、嫌悪感も消えてきます。 今は、家族に甘えましょう。感謝して勉強しましょう。その分何倍にもして返せば良いじゃないですか。 家族はその方が喜ぶと思います。社会もその方を喜びます。あなたもその方が嬉しいでしょう。 誰が嫌がりますか、いません。なのに、なぜ嫌悪感を抱かなければならないでしょう?。 甘える時は、感謝して甘えましょう。 出来ることは、思いやる心でやりましょう。 その方が、自分のためになります。 家族のためになります。 社会のためになります。 気持ちの持ちようで変わります。 気の持ちようで、病気にも、健康にもなります。 今、感謝の気持ちと、嫌悪の気持ちで、どれだけ変わるか実験しています。 同じ釜のご飯を2つのビンに入れて密封して、 毎日、1方には「有り難う美味しかったよ」 もう1方には「だめだね不味かったよ」と言い続けました。 1ヶ月経ちましたが、有り難うの方は、白いカビは生えましたが綺麗です。 まずかったの方は真っ黒になってしまいました。 気の持ちようで、こんなに変わります。 偶然かもしれないので、改めて、再会していますが、「有り難う」の方が先に黒いものが出ましたがそれも消えて、同じ結果になってきそうです。 あなたも実験してみて下さい。 気の持ちようで変わることが、実感できます。 前を向いて、胸を張って進みましょう。