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小さい頃のトラウマ・・・長文です(とても悲しいとんでもない事件)
小さい頃の話なのですが ある日 家で法事か何かあってうちは本家なので親戚の人とかも何人か集まっていました。 私がふと玄関の外を見ると飼っていた仔犬が腰を抜かしてはらばいになって倒れていました。 母親に「仔犬が」って指差すとそばにいたおばが「病気だからほっておけば治る」と言いました。 おばは、義父の姉で母親にとっては、自分は嫁なので口出しが出来ません。 しかも忙しい時だったので仔犬の事はあまり頭になかったのでしょうか 雨も降ってきたその中で仔犬は、口から泡を吹き始め・・・心配で見ている私のそばでおばは、「雨でお腹を冷やしていれば治る」とも言いました。 私は半信半疑でしたが・・・その仔は勿論亡くなりました。 原因は、誰かが(後で義父だと解ったのですが)仔犬を家の中に入れてしまい田舎なのでネズミ駆除の為のねこいらずを食べたらしいのです 一緒にいた期間も短く私も小さかったので犬の名前も覚えていなく種類も解りません 黒くて目の上に白い斑点があって胸にも多少白い毛があり全体の姿は、柴犬の様でした。その白い毛が十字架の様だなってよく思ってなでていたのを覚えています。 とても悲しい経験なので今でも時折何かやるせない気持ちになります 何か供養になる事はないでしょうか。何人も大人が傍に居ながら放置したなんて今考えると恐ろしい人達ですよね 様々なご意見をお願い致します
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こんにちは。 小さい頃の体験と言う物は、なかなか記憶から離れませんが、小さいころの判断と言うのも当てにならないものです。 幼少期の記憶は、ある一部が強調されてしまって、他の部分が消え失せてしまう事が良くあります。 お家の方の行為がショックだったことは良くわかります。 今、自分が大人になって考えなければいけないことは何でしょうか。 過去の人(親や祖父母も含めて)が、何をしていたのかという認識とその事への自分の判断だと思います。 ここで考えなくてはいけないことは、子供心に映った一方的な状況ではなく、大人になった自分が経験した事や身に付けた事柄を生かしての再考ではないでしょうか。 これをすることで、正確な判断が出来ると考えます。 この事を実行した上で、今の自分の考えや意見をまとめて、自分のやれる事やりたい事を実行することではないでしょうか。 一昔前までは、日本という国や人々に余裕がありませんでした。犬は、家族の一員でしたが、今と違った認識での家族でした。 今、犬を取り巻く環境も変わり、犬に対する考えも変わってきています。今の考えだけが優先すると考えるのは危険です。 日本人は、過去の事から見ても判るように、様々な事を未消化のまま受け入れてきております。 ある事は、判断も無しに鵜呑み状態、ある事は勝手な解釈で受け入れると言った事柄が殆どです。 その結果として、日本の独自性が損なわれてきております。日本独自の考えや文化がいつのまにか失われてきており、かえって外国の人のほうが関心を持っており、賞賛の言葉や習得をしようと行動しております。 昔の犬の扱いが良かったと申し上げている訳ではありません。 医療に関しても同様の事が言えると思います。 東洋の医学は、どちらかと言うと自然との共存を考え、西洋の医学は、人為的な行動を中心としております。 犬の飼育に付いても言える事ではないかと思います。 どちらも賛否両論有るかと思いますが、私は、自然に生き、自然と共存したいと考えており、過去の事を思い、新しい事実を冷静に考え、自分で判断して受け止め様と言う考えを持っております。 この様なことを記載致しましたのも、小さい頃の記憶に対しての判断があった上でないと、活動するにしても、毎日の生活を送るにしても、あまり良い結果が出ないと考えるからです。 今、犬に対する行為の中で、一番問題に成っているのは、深い考えや冷静な判断が無いままに飼育している事だと思います。 犬にとっての生活や幸せと表現しておりますが、人の考えた幸せや生活です。 もう一度犬との関わりを考える必要が有ると思います。 どの様な歴史を辿って犬が人と共存する様に成ったかと言う事です。 幼少期のつらい記憶のままに犬とかかわりを持つと、その事が障害となり、犬との健全な関係が築けないことが多いです。 私にもっと悲惨な経験が有ります。 一つを挙げるなら、何も知らない犬を呼び寄せ、後ろ手に隠しておいたハンマーで頭を殴り、即死させ、その犬をごみを捨てていた川沿いの高い崖から落としたのです。まだ、幼少期でしたが、今でもはっきりとその場面を覚えております。その人の顔を覚えております。 犬とのかかわりを深く持つ上では、強い記憶に左右されない考えが必要です。そうしないと自分が犬にとって同じ人間に成りかねない存在となってしまう危険があります。 この事は、意識していない事ですから、最も避けなければいけない事だと思います。
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- mango05
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小さい頃では、ある程度仕方ないですよね「無力」である事は・・大人に逆らえない部分もありますし・・ でも、失礼ながら田舎の方は今尚、動物の飼い方に無頓着で無知である方は多いと思います。 ご質問内容の症状で放置、有り得ないですよね。愛犬家の方々にとっては(私は犬と暮らした事はないですが、常識的に見てすぐ病院ですよ!) 先ず、その子の事を今でも覚えている。これが第一の供養です。誰の心の中にも無くなってしまったら、生まれてきた意味が全く無いですよね。 それから更に、とお思いであれば全部なんて欲張るのはムリですので、ご自身の目に見える範囲の子を出来れば幸せにしてあげて下さい。 他の方々も書かれてる、ボランティア等に参加する事でお互いに癒されると思います。 私自身は、去年17年間全力で愛した愛猫を末期癌で亡くしてしまい=もっと早く気づいていれば、あんなみじめな姿で逝かせなかったのに・・と生涯悔やむ出来事です=せめて救えるならば・・とペット厳禁マンションでこっそりとウサギとネコを二匹づつ育てています。もっと欲しいんですけどね
お礼
回答有難うございます 確かに田舎の人は無知な人が多いと感じずにはいられません あるペット雑誌で犬の寿命の統計が載っていて都心より郊外の方が短命だという結果が出ていました せっかくの自然に恵まれた環境で(犬が自由に走り回れる)何故だろうと思ったのですがそれらの要因があるのかもしれません ほんとうに一部の人だけならば良いのですが 回答しつつ思ったのですが 田舎ではネズミの駆除とか各家庭でやったりします ネズミ捕りでとったネズミを生きたまま川に入れて殺します 家畜農家も身近に有ります それら日常的に行われている行為なので動物の死にたいする気持ちが多少希薄になっているのでしょうか 有難うございました
補足
皆様あたたかいメッセージを有難うございました 私としては、少なからずも加害者になってしまった過去を思い出すとつらかったのです 皆様の回答を基にワンコに限らずとも優しい人間になれるよう精進致します 有難うございました!!!
- bennieklovelove
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とても辛い出来事でしたね。 これも何かのきっかけを作ってくれたかもしれませんね。 例えば動物ボランティアに参加したり、動物愛護に関する署名に協力したり。 ネットだけでも、またネット以外でも色々出来る活動がたくさんあります。 その子の御供養にたくさんの動物を救う、これも供養のひとつになるかもですね。
お礼
回答有難うございます ここで皆さんに告白する事で多少心が落ち着きました 有難うございます 参考に致します
- Stella_Maris
- ベストアンサー率29% (102/345)
とても哀しい出来事ですね。 そして、nyannmageさんはとても優しい方ですね。 私は、以前生後1ヶ月半の飼い猫を、自分の足で踏んでしまったことがあります。 不慮の事故と言えばそれまでですが、その時一瞬その猫は仮死状態になり、奇跡的に蘇生しましたが重い後遺症と闘い続けながら3ヵ月後に死んでしまいました。 死因(腎不全)は怪我とは関係ないと獣医さんは言ってくれましたが、たとえそうだとしても自分が殺したと言う気持ちからは逃れられません。 だから、いつもその猫のことを思っては時々泣いてしまいます。 うちの祖父も、nyannmageさんのおば様と同じようなことをしたことがあります。 私が小さい頃に家にいた犬を、もう年をとって身体も弱っているのに大雨の日に外に出したままで、結局それが原因でその犬は死んでしまいました。 私は小さすぎて死んだ時の記憶は無いのですが、後からその話を聞いてとても悲しくなりました。 でも、そうやって命の大切さを覚えておくことが、一番の供養だと思います。 そのわんこが「天国で楽しく遊んでいますように」と心の中でお願いしてあげてください。 私は、死んだ猫に模様がそっくりの猫をもらってきて、今その猫と暮らしています。 死んだ猫の分まで元気に生きてもらいたいと思っています。 nyannmageさんがもしも動物を家族に迎える機会があったら、昔亡くなったわんこの分も可愛がってあげてください。
お礼
優しいお言葉有難うございます 猫を踏んでしまった・・・相当なショックですよね そんな悲しいお話をわざわざしていただいて恐縮です おじい様のお話で思い出したのですが やはり田舎の近所の家で犬を飼っていて長生きしてしまって困ったので 殺すわけにもいかないのでごはんの量を減らして散歩も行ってないって・・・ 一回私が散歩に連れていった記憶が有ります 悲しい事ですよね 健康で丈夫で長生きして邪魔にされるなんて 今は念願のペット可のマンションに住みやっと可愛いワンコと再会し、仲良く暮らしています 有難うございました
- yuki0624
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こんにちは、悲しい体験をされましたね。 私の過去の記憶にも同じような事がたくさんあります。 今でも忘れられませんし、きっと今でも進行形で同じような事がその家では行われているのだろうと思うといたたまれないです。 偏見かもしれませんが田舎の方に行けば行くほどそういう感じが強い気がします。(私の周りだけなのかもしれませんが…) 私の体験はすべて母方の実家の方での出来事ですけど、牛など飼育しているせいか、「殺すな殺すなと言うけどもお前は牛も豚も食べないのか?」というような答えが返ってきそうです。私としてはペットと家畜を同じ土俵で議論できるものとも思えないのですけどね。 またペットを病院に連れて行くというのも「お金がもったいない」事だと感じているようです。 病気になったら死ぬまで放っておけ、子供が生まれたら捨ててくればいい、そんな考え方が許せないです。 意見もかなりしましたが、結局聞き入れてもらえずに今となっては祖母の家に行く事はなくなりました。 一体何の目的でペットを飼っているのでしょうか。苦しんだり捨てられたりした犬や猫の気持ちって考えないのでしょうか。あの人たちの考え方は私にはさっぱり理解できません。 周りは私を過剰に反応しすぎると言いますが、自分では決してそうは思いません。 もっと適正飼育のあり方を広めてほしいです。 最期に亡くなったわんちゃんへの供養ですが、あなたがそう思っている事で十分供養になると思います。 またそのわんちゃんを忘れないこと、同じような酷い仕打をご自分のペットにはしない事、これが一番ではないかと思います。 長くなってしまい申し訳ありません。とても他人事と思えなかったものですから(;;
お礼
おっしゃる通りです 動物病院の数にもよるのかもしれませんがよく言えばおおらか。悪く言えばほったらかし 他にも犬を飼ってましたが 狂犬病の注射は、役場から連絡が来るのでやっていたみたいですがフィラリアの予防はいつからあったのか知りませんがうちの親なのどはやってなかったのではないでしょうか? 今更聞くのも怖いので聞けませんが・・・ えさは、ほんとうにごはんに味噌汁(残飯) 散歩も気が向いたときだけ(勿論外飼い) あるいみ犬もたくましかったですが 海だ~~~ほらおよげ~~って投げられて泳いでました 同じ環境の方がいたのかと思うと多少救われました 有難うございます
- lifeplusone
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こんにちわ、 >何か供養になること それでしたら、「里親探し」で検索するとたくさんでてきますが、保健所に保護されてもうすぐ安楽死を迎えなくてはならない動物(多くは健康な犬、猫です)を引き取って心からの愛情をもって育てるというのはどうでしょうか? 里親さんを探している団体もいっぱいありますよ。 みんな人間の勝手な都合や思惑で悲しい思いをしている動物ばかりです。 その当時は助けられなかったけれども、今ならできるのでは?きっと良い供養になると思います!
お礼
有難うございます 今犬を飼っています その仔の愛おしさと共に昔の事が思い出されます 参考に致します
- garouz
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私は無神論者なのでこう考えています. > とても悲しい経験なので今でも時折何かやるせない気持ちになります このお気持ちがすでに供養になっていると思います.また,あなたがこう思われたことで,その仔犬もうまれてきた価値はあったと思います.
お礼
優しいお言葉を有難うございます 小さいながらも(自分が)自分の犬だと思うと自身に罪の意識を感じるのです 捨て犬で私をせっかく頼ってきたのにと思うと切ないです
お礼
回答有難うございます 確かに小さい頃の記憶はあいまいな所も有ります しかし、見殺しにしたのは事実でその見内だという事がとても嫌なのです(自分もですが) その経験を生かし二度とかわいそうな事は全ての動物にはしたくありません そう思うと共に安易に可愛いからと言ってペットショップで動物を買っていき吠えてうるさいからと言って虐待する人達 平気で道路に糞をさせる人達 とても深い憤りを感じます >ハンマーで殴り・・・崖ですか 想像も出来ない状況ですよね しいていえば生きたままでなかっただけ優しさがあったのでしょうか 会社の同僚で(女性)猫を外で飼っていて子猫が増えたので箱に入れて川に捨ててきた(勿論生きたまま)って平気で言われた時は、さすがにこの人大丈夫なのだろうか?と思いましたが 大変参考になりました