なぜ、筆記体が達筆な文字であると言われるのか
以前に「英語の先生に、筆記体で書かないで下さい、と言われました。筆記体を使うことは望ましくないのでしょうか」と質問させていただきました。「望ましくない」「読みづらい」という回答が多く寄せられ、「達筆な字で書かれると読みづらい」という答えもありました。しかし、納得がいきません。筆記体=達筆な字ではないと思います。たまに筆記体で書く先生や学生を見ますが、読めなかったことは一度もありません。
Micheal Jacksonのアルバム"Thriller"のLPレコードのケースの裏に筆記体で曲目が書かれていますが、普通に読めます。
中学生の時からずっと筆記体で書いていますが、全く注意されたことはありません。学生(生徒)からも「読めない」と言われたり、文句を言われたこともありません。なぜでしょうか。たまたま、筆記体を読める先生だったからということでしょうか。それとも、筆記体が読めないにしても、生徒の答案を読まないといけないという義務があるからでしょうか。または、「筆記体は読みづらいけれど、1人か2人くらいだったら読んでもいい」と思われたのでしょうか。もし本当に筆記体を書くことが望ましくないのであれば、中学生あるいは高校生の時に注意されたはずです。そして、使うことをやめていたと思います。
ブロック体でも読みづらい字を書く人はいます。なぜ、筆記体で書いた字が達筆なのでしょうか。字体は関係なく、誰が見ても読みづらい字を達筆というのではないでしょうか。
フランス語やスペイン語などでも、「筆記体は望ましくない」とされているのであれば、まだ理解できます。しかし、英語だけとなれば、なおさら納得がいきません。
詳しく教えていただきたいです。宜しくお願いします。