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人とうまくやっていく自信がありません。
私は、ある部活に所属している高校生です。 部活で何か意見を出すと、いつも周りから非難されます。 または、相手がキレてきて、それに答えてこちらも喧嘩腰になると周りから、お前が悪いみたいなことを言われます。 自分の悪いところがわからないので、どうすればいいかわかりません。 人とうまくやっていけない自分をなんとかしなければいけないと思っているのですが。 今のところ、部活には参加してません。 もし、参加して、自分を否定されたらいやだなとかみんなと仲良くやっていけなかったらと思ってしまいます。
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本当に不思議なんだけど、日本人って意見交換って出来ない人多いよねー。違う意見を言われると自分が否定されたように思っちゃうんだろうね。 でも、実際の社会では自分の意見やポリシーを持っていない人は何を考えているのか判らない奴との烙印を貼られるのだから、感情をコントロールしながら意見を戦わせる練習を学校でももっとすればいいのにねー。(一部の学校ではやっているようだが、試験にないものねー。) でね、自信は無いと思うよ。周りから浮いたら誰だって嫌だモンね。それなら、最初から接点を持たなきゃ良いんだって考えるのも無理からぬ事だと思う。 でもさー、その部活ってご自分が興味があって入ったのでしょ?勿体無いし、悔しいよねー。 出来たらさ、意見が浮かんだ時に、少し言葉を選んでみない?相手の立場になってさ。それを言われたらどう感じるか?って想像してから発言するように心がけてみれば? 本当はね。僕がおじさんだから言うのだろうけど、若い時からあんまり周りに気を使って欲しくないけどね。若い時って周りやら古いものとめい一杯衝突した方がいいんだけどなー。そうしないと世の中発展しないんだけどなー。 あとね、お笑いって有るでしょ?その中でボケとツッコミって役割があるじゃない?これって実は自分達の主張を観客に伝える為の手法のひとつなんだよね。 自分の主張を言った後に相手がそれについてツッコミを入れてきたらボケでやりすごす。ツッコミにツッコミで返したら喧嘩になっちゃうんだよ。(本当はとことん戦うのが僕の好み♪) そうそう、25年程前に学校から演劇を観にいったの。それは日本の文明開化の頃の若者を題材にしたものだっただけど、その頃の若者は熱気盛んで、直ぐ口論になるの。で、その劇中で主人公が意見が違う者に出会うと、だん!ってあぐらをかいて腕をまくって「よし、論じ合おう!さぁ、論じ合おう!」って何回も言うの。面白くてね。ちょっとその後ものまねが流行ったよ。 論じ合って直ぐに意見が集約されるわけ無いよね。でも、そうやって意見交換を繰り返すと、互いの思考回路の中に少しずつ違う回路が組みあがっていくんだなーって感じたな。 とにかく、相手を頭から否定しない事。その上で、自分の意見を出せるように工夫されてください。そしたら、意見が違う人とも仲良くなれますよ。 ごちゃごちゃ書いたけど少しでも貴方の参考になれば良いなー。
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- ginga3104
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ginga再びです。いざとなると感情が先走って・・・との事ですね。うーん、困りましたね。 僕が貴方と同じ頃、失恋がきっかけで、自分の存在意義や他者との関わりが判らなくってしまいました。 また、当時の僕は、今を騒がす少年犯罪者に多く見られる自己顕示欲をもてあましている気の弱い少年でした。 みんなと仲良くしたい。と言う気持ちと同時に皆から認められたい、賞賛されたい、一目置かれたい。と言う自己顕示欲との間で悩んでいる状態。 今から思えば、認められる為には他者とは違うオリジナリティが大切で、そのために最初は他者から排除される危険性があるだけで、そのリスクに恐れを抱いていただけだと判ります。 貴方の場合は、僕と違ってリスクを恐れずに行動して、他者から排除の動きにうろたえているのだと思います。 つまり、僕は協調性を重んじるばかりに個性が出さなかった。貴方は個性を重んじるばかりに協調性を必要とするグループから排除された。と言う事なのだと思います。 前回の書き込みで、若い時は・・と書きました。貴方は今後悔している。そして、どうしたら?と考えて答えを模索している。 この状態が自己の形成の成長過程なのだと思います。自分と言う人間の身体的特徴や思考及び行動パターンを色んな状況を通して認識して、これを社会に適応する為に、更には社会貢献に活かす為にはを念頭において、修正・発展を企画し行動する。 この中で、ご自分がもっと周囲に溶け込みたいと欲求が強く、過去の感情が先立つ行動を後悔するのならば、感情をコントロールする術を身につけられる事を考えられたなら良いでしょう。 術(すべ)と書きました。つまり、色んな方法があるわけです。それは、状況によって違うからです。何故、コントロールできないのか?それが、今回の取り掛かりになりそうです。 例えば、僕は基本的に小心者なので争いが嫌いです。だからけんか腰で大声で怒鳴られるとそれだけで萎縮しました。その根っこには痛みへの恐怖です。でも、今はさほど気になりません。それは、若い頃に身体を鍛えたり、興味本位で空手をかじったりして自分の身体を知ったからです。痛みをある程度経験してさほどの事は無いと判ったから恐怖が薄れたのですね。 貴方の場合は僕とは違うでしょう。何故、感情が制御出来ないのか?再度、自問されてその原因への傾向と対策を立てられたら良いのではないでしょうか? 最後に、協調性と主体性(公と個)は別個で取り扱う物では有りません。あくまでもバランスなのです。状況に応じて己の役割を演じるのが大人です。ちなみに僕は大根役者です。しかし、大根役者は大根役者なりのその他大勢のエキストラとしての出番があるので、それに応じて頑張っています。(いつか主演の舞台がある事を夢見て。)
他の人への質問に対して答えるのもどうかとは思いますが。 何もしなくていいのです。 ただひとつ「正解なんてない。正解は全部だ」と思っていればいいのだと思います。 「ある。ない」みたいなことでわかりにくいのですが、つまり、見方を変えれば正解のことも、違う見方では不正解、っていうこともあるということです。 ひとつの基準、ひとつの見方、ではないのです。 あなたとわたし、彼と彼女、彼女とあなた、あなたと先生・・・みんな少しずつ違っていて、少しずつ同じなのです。 だから、何もしなくていいのです。 どれも正解だし、正解なんてない、のだから。
みんなとうまくやらなくちゃいけないのでしょうか? 一人(独り)でいるのはいけないことでしょうか? 友達はたくさんいなくちゃいけませんか? 大人でも自分の悪いところが分かっている人はそう多くはないと私は思いますし、また、自分の悪いところが分かったとしても、直せない場合も多いものです。 それに、「悪い」というところも、見る角度を変えれば「いい」ところでもある場合が少なくはないのです。 それから自分では「直せた」と思っても、他人(ひと)がそう思うかどうかは不確定です。 他人とうまくやっていくことは、人生を楽しくするひとつの要素ではあります。 しかし、それがすべてではありませんし、他の要素もあります。 今他人とうまくできないから、将来もそうだとも限りません。 私は「大学生になってから親友を見つけた」という人を知っていますよ。 自分が人に優しくしよう、自分のことよりまず人のことを、と思っていればいいのだと思います。 そしてその「優しく」が「自分のために人に優しくしていないか」ということも考えて見ましょう。 以上、全部自分にも向けて書いています。
お礼
アドバイスありがとうございます。 人に優しくするということを忘れていました。 自分のことばかり考えないで、他人のことも考えてみようと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 ginga3104さんのおっしゃるとおり、自分の意見は主観的にじゃなく、客観的になって言うというのをこころがけていました。 いざとなると、自分の気持ちが先走ってしまって、あとで後悔してしまいます。 こんな私は、どうすればいいでしょうか?