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ドラマ「明るいほうへ 明るいほうへ」の遺書の言葉
松たか子さん演ずる金子みすゞさんの弟に宛てた遺書の全文を知りたいのですが、ビデオに撮った方がいらっしゃったら教えてください。「言いなりばかりの・・・」と入っている文章です。最後の文は「さらば、我等の選手、勇ましく往け」であることは分かったのですが、その前の文章が知りたいのです。よろしくお願いします。
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「私の人生はこれまで人の(※「の」は推定) 言いなりの人生でした。 今度だけは、自分の意志を 通します。 さらば、我等の選手、勇ましく行け」 脚本では以下のようになっています(参考文献…月刊『ドラマ』2001年9月号)。 金子みすゞ(テル)…松たか子 上山正祐…三宅健 上山ミチ(母上様)…中田喜子 桐原稲彦…渡部篤郎 上山松蔵(御父上様)…渡哲也 脚本……清水曙美 テルの自殺発覚直後。 × × × 二階から叫び声がしている。 正祐がよろめくようにして遺書を手に下りてくる。 正祐「(絞りだすような声で)さらば……我等の選手……勇ましく……行け……さらば、我等の選手……テルちゃーん(慟哭する)」 ○テルの写真 テルの写真にテルの遺書の声がかぶる。 テルのN(ナレーション)「桐原稲彦様、あなたがふうちゃんをどうしても連れていきたいというのなら、それは仕方ありません。でも、あなたがふうちゃんに与えられるものはお金であって、心の糧ではありません。わたしはふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。だから、母ミチにあずけてほしいのです。金子テル」 ○仙崎の海岸 松蔵とミチが海岸を歩いている。 それにミチのNがかぶる。 テルのN「御父上様、母上様、さんざんお世話をおかけして先立つ不幸をおゆるし下さい。でも子供はどうしても渡したくはないのです。くれぐれもふうちゃんのことをよろしく頼みます。今夜の月のように私の心も静かです」 悲しさで座りこむミチ。(後略) ※注1……シナリオは映像化されたものとは若干異なります。 ※注2……実際は弟さんは死の知らせを受けて2日後に帰省しました。 ※注3……実際にみすゞは弟、御父(おじ)・母、桐原(仮名)宛てに3通の遺書を残しましたが、内容は当時を知る人の証言に基いており、正確なところは分りません。弟さん宛ての遺書は、結びの一行に「さらば、我等の選手、勇ましく行け」とあったとしか下記資料には記されていません。ドラマでのその前の文は、創作したのか、新たな資料・証言が見つかって使用したのかは私には不明です。 (参考文献:矢崎節夫『童謡詩人 金子みすゞの生涯』JULA出版局、1993)
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- applepie66
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「明るいほうへ 明るいほうへ」はビデオレンタルが されてますよ。 その部分だけの為に借りるのはちょっと…と 思われるかも知れませんが、最終手段にどうぞ^^;
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。そうですか、レンタルされてますか。本放送、この間の再放送と2回見てるのでレンタルして見るのもなあと思いますが、どうにも気になって仕方がなかったら借りて見てみます。ありがとうございました!
- Rafi
- ベストアンサー率28% (138/492)
ビデオで確認したわけではないので文章の詳細はわかりませんが、 言いなりばかりの人生だったが、最後はわがままをさせてもらう。 みたいな内容だったかと。 その程度ならわかってる!とのことなら失礼いたしました (^_^;)
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。「言いなりばかりの人生だった」というところだけに目がいってしまい、その後が全然読めなかったので、ニュアンスも分かりませんでした。それを嘆いたような文だったのかなと思ったのですが、そうではなかったんですね。どうもありがとうございました。
お礼
syuutarouさん!ありがとうございます!!2~3週間様子を見てましたが、全文を書いて下さる方はいないかなあと諦めてました。御礼が大変遅くなって申し訳ありません。そうなんです、文献には弟さん宛ての遺書に関しては「さらば、我等の選手、勇ましく行け」としか出てこないんです。全文を書いてくださった上にとっても詳しく説明していただいて、本当にありがとうございました。締め切らずに待っていて良かった!おかげですっきりしました!