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【華道、生け花】古流と池坊はどちらの方が歴史が古い

【華道、生け花】古流と池坊はどちらの方が歴史が古い名門になるのでしょうか? 華道、生け花における古流と池坊の違いを教えてください。

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  • chiychiy
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回答No.2

>聖徳太子による創建 いけばな発祥の地とされる六角堂の正式名称は、紫雲山頂法寺です。用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖徳太子が、霊夢によって六角形の御堂を建て、自らの護持仏である如意輪観音像を安置したと伝えられています。 池坊の名の由来 六角堂(本堂)の北側は、聖徳太子が沐浴した池の跡と伝えられるところで、その池のほとりにあった僧侶の住坊が「池坊」と呼ばれるようになりました。太子に仕えていた小野妹子が出家してここに入ったといわれています。 六角堂住職は華道家元 室町時代、六角堂の執行(しぎょう)として寺の実務を担っていた池坊は、専慶・専応らがいけばな成立期において大きな活躍を見せ、華道家元の地位を確立していきました。執行は現在の住職にあたり、家元とともに代々池坊が務めています。 https://www.ikenobo.jp/ikebanaikenobo/rokkakudo/ 六角堂と池坊 用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖徳太子により、六角堂が建立されました。 正式名称は紫雲山頂法寺しうんざんちょうほうじといいますが、その形状から六角堂と呼ばれることが多く、古くより下京の町衆を始め、多くの人々から信仰を集めるお寺でした。 初代の住職を遣隋使で有名な小野妹子が務め、朝夕仏前に花を供えました。それを代々の住職が受け継ぐ中で洗練され、今日のいけばなになったと伝わります。 また住職は、その住坊を境内にあった池のほとりに構えたことから「池坊」と呼ばれるようになり、現在でも六角堂の住職が池坊の家元を兼務しています。 https://www.ikenobo.jp/hana_no_koushien/history/ 日本には多くの流派があり、3大流派である「池坊」「草月流」「小原流」 https://www.hanamonogatari.com/blog/2026/ >生け花が成立したのは室町時代。この時代の文献に初めて、「生け花」としての花の構成と鑑賞が登場しました。 室町時代といえば、茶の湯、能楽、書院造りなど、文化芸能が花開いた時代でもあります。 今まで、文化の担い手といえば貴族が中心でした。しかし、平安時代の終わりと共に武士が台頭。時代の移り替わりとともに、文化の担い手も武士たちになっていきました。彼らは大名などをパトロンに持ち、積極的に新しい芸術を模索していったのです。 https://www.hanamonogatari.com/blog/1995/

redminote10pro
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noname#259815
noname#259815
回答No.1

華道の流派は「池坊・草月流・小原流」で三大流派 孫派まで入れると現在300以上もあると言われています。 生け花の起源は室町時代に遡り、六角堂の「池坊専慶」という僧侶が確立しましたので「池坊」とは、日本最古の華道の家元(その流派の本家としてその技術を守り正統を継承する家)となります。 池坊といけばなの関連についての文献上の初見は寛正3年(1462年) 池坊が華道の元祖そのものなので池坊では“池坊流”などの呼び方はしません。他の流派は1900年代に入ってからです。

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