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友人が言う「知らぬが仏」の本当の意味というのは
本当かなと思いました。彼が言うには自分が行った善行は、それを意識しないから善行なので意識したとたんに忽ち善行ではなくなるそうです。逆に善行を受けた人も、受けたのが善行だとわかると途端にありがたいものではなくなるとも言っています。昔あるお坊さんが施しを受けた後、お礼を言わずに立ち去ろうとするので不思議に思って聞いたところ、お礼を言ったとたんにありがたみが消えると言ったという話も思い出します。陰徳あれば陽報ありも同じかなとも思いますが本当のところはどうなのでしょうか。
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「知らぬが仏」・・一般に、世間の悪事や親しい人物の 背徳などを知らなければ幸せで居られると、解釈されがちかと思います。 しかし私は、貴殿のご友人の意見に与します。 親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」であったり、 一遍(や空也)の「踊り念仏」に通ずるものが有ります。 明示的に仏に仕えているものより、そんな事知らない人こそ 成仏するべきだ。 や、 我も仏も区別を考えず、ただひたすら踊ること。 など、権威的な古来の仏教に「否」を唱えた先人の姿勢こそ、 「知らないこと」それこそが「仏の境地である」と示唆していると思います。
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- hahaha8635
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回答No.1
知らなければ仏でいられるのに という意味 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AC%E3%81%8C%E4%BB%8F 悪口
質問者
お礼
この友人はそれに満足できなかったのではと思います。
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お礼
大変ためになるお話を伺えました。