fladnug の回答履歴
- 他人の言葉の理解について
自分自身について言葉たとえば「犬」という音がどういう感じを表しているか分かっているときというのは、「犬」という音を聞いて、その音によって表された感じの刺激に似た刺激をもう一度脳内で発生したとき、「犬」という音を聞いて、それがどういう感じだか分かっていると言えるのだと思いますが、他の人が、「犬」という意味を昔知ったからと言って、「犬」という音をその人が聞かないときでも、今の時点のその人に対して「犬という言葉を理解している」と言えるのはなぜなのでしょうか? ご教授お願いします。
- 他人の言葉の理解について
自分自身について言葉たとえば「犬」という音がどういう感じを表しているか分かっているときというのは、「犬」という音を聞いて、その音によって表された感じの刺激に似た刺激をもう一度脳内で発生したとき、「犬」という音を聞いて、それがどういう感じだか分かっていると言えるのだと思いますが、他の人が、「犬」という意味を昔知ったからと言って、「犬」という音をその人が聞かないときでも、今の時点のその人に対して「犬という言葉を理解している」と言えるのはなぜなのでしょうか? ご教授お願いします。
- デカルト and self
今、self, individuality, subject, subjectivity について勉強しているんですけど、今回まずデカルトとselfについて質問があります。 デカルトはまず全てに懐疑的に考え、そこから『cogito ergo sum』に辿りついたと思いますが、彼は体と思考を本当に分けて考えたんでしょうか?彼は”meditation2”の中で蝋燭を論点として論述していますが、その中の一節でこのように述べています。 i comprehend, by the faculty of judgment alone which is in the mind, what i believe i saw with my eyes (Descrtes). 蝋燭に火を灯せば、やがてその物体は以前とは違う形に変わって行きますが、その残り(remain)から、私たちはそれが何であるか想像することができる、と述べた後のこの一節なんですが、”思考により理解する”また”目で見た物”とデカルトは述べていますが、”目で見る”行為はすでに五感の一つであり、これは体と思考の繋がりを述べているようにも思えるのです。デカルトは肉体と思考の関係(二元論)をどのように考えていたのでしょうか? またデカルトはselfとworldを分けて考えていたのでしょか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- ken-deleuz
- 回答数3
- 人間以外の生物は人間のために存在する?
人間以外の生物は、すべて人間のために存在すると考える方に質問です。 私はクリスチャンである親の影響で、小さい頃からキリスト教に触れて育ちました。そして聖書には、神は地上に植物や動物をすべて人間がそれらを支配し、食らうためにをつくったと書いてあることを知りました。 しかし疑問がわきました。 もしそうならなぜ人間を襲う生物がいるのでしょうか。 インドなどのワニは人間を主食のひとつにしており年間何千人も犠牲になっていると聞いたことがあります。犬だって懐いていない人間には吠えるし噛み付くし、蜂も巣の数メートル範囲内に人が入ってきたら刺します。家畜だって殺すときは苦しんで抵抗します。(実際見たことはありませんがそうだと想像します。) なぜなんでしょうか。なぜ人間に自らを差し出さず、生きようとする本能?のまま行動するのでしょうか。 聖書に書いてあることを信じている方、またそれと類似する考えを持っている方、どう思われますか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#35867
- 回答数8
- 邦訳聖書を比較したいのですが
邦訳聖書(文語訳・口語訳・新共同訳・新改訳・新改訳第三版)の節とかキーワードとかで比較をしたいのですが、なにかいい方法はありませんか?
- なぜ教団や宗教法人ができるのか教えてください
なんででしょうかね?もし私が悟りを開いたら、自己満足して他の人に教えたりしませんけどね。やっぱり宗教家といえども社会的評価が欲しいのでしょうか?
- プラトンの視点から見て、ソクラテスにとっての『勇気』とはどのようなものだったか?
こんばんわ。 今『ラケス』を読んでるんですが、そこだけがどうしてもわかりません。 みなさんはどうおもいますか? できれば長文でお願いします。(そのほうが自分としては解釈しやすいんです。) プラトンの視点から見て、ソクラテスにとっての『勇気』とはどのようなものだったか?
- ソシュール: 「もの」が先か「言語」が先か?
ソシュールの入門書などを読むと、以下のように言っているように思えます。 << この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。>> もし、それが正しいとすると、「リンゴ」という言葉がないと、「リンゴ」という「もの」は存在しないということになりますが、それは、おかしいと思うのですが。もちろん、「リンゴ」という言葉を知らなければ、目の前にある「リンゴ」を「これはリンゴだ」とは言えないのは確かです。でも、だからと言って、「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないということはならないと思います。 ソシュールはどういう意味で、上記のようなことを言ったのでしょうか?
- ソシュール: 「もの」が先か「言語」が先か?
ソシュールの入門書などを読むと、以下のように言っているように思えます。 << この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。>> もし、それが正しいとすると、「リンゴ」という言葉がないと、「リンゴ」という「もの」は存在しないということになりますが、それは、おかしいと思うのですが。もちろん、「リンゴ」という言葉を知らなければ、目の前にある「リンゴ」を「これはリンゴだ」とは言えないのは確かです。でも、だからと言って、「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないということはならないと思います。 ソシュールはどういう意味で、上記のようなことを言ったのでしょうか?
- ソシュール: 「もの」が先か「言語」が先か?
ソシュールの入門書などを読むと、以下のように言っているように思えます。 << この世界は、言語によって切り取られるまでは、混沌とした一体であって、個々の「もの」は存在しない。>> もし、それが正しいとすると、「リンゴ」という言葉がないと、「リンゴ」という「もの」は存在しないということになりますが、それは、おかしいと思うのですが。もちろん、「リンゴ」という言葉を知らなければ、目の前にある「リンゴ」を「これはリンゴだ」とは言えないのは確かです。でも、だからと言って、「リンゴ」と名づけられるはずの「もの」そのものが存在しないということはならないと思います。 ソシュールはどういう意味で、上記のようなことを言ったのでしょうか?
- 「弁証法」の使い方
「今日の東京の混乱は歴史と自然との弁証法的関係がもたらしている」 という件を読んだことがあるのですが、これは予備校の現代文担当講師(東大卒)がはっきりと誤用と言ってました。 自分では、対立する概念を高次元でまとめる思考法という弁証法の意味を考えると、「歴史」と「自然」が対立概念でないところが誤用だと思うのですが、皆さんはどこが間違っているとお考えでしょうか? 語弊がないように詳しく言いますと、「歴史」というのは記録、経過であって自然と対立するのは例えば人間そのもの、又は人類の発展、ではないか、と言うのが私の考えです。 また、「人類の発展は歴史と自然との弁証法的関係を包含していることに異論はない・・」という使い方についても同様におかしいと思うのですが、それも併せて回答お願いします。
- 締切済み
- 日本語・現代文・国語
- qwert200x
- 回答数3