moritan2 の回答履歴
- アジア選手権のアゲハマの取り扱いについて
質問です。 アジア選手権でアゲハマは相手に返していました。解説者も中国ではアゲハマは関係ないですからねと言っていました。 そうなると、終わりに近づいたとき、あいての陣地に「あたり」として、相手が「つぐ」とすれば、「あたり」とした石は、死に石でアゲハマとなり、ついだ石だけが、陣地に残ることになり、いまいちルールがわからないのですが。 どなたか、このルールの説明の出来る方いませんか。 よろしくお願いします。
- 将棋倶楽部24携帯サイトユーザーの対局後の挨拶
将棋倶楽部24携帯サイトにおける 対局後の挨拶文の自動入力機能の 有無について教えて下さい。 将棋倶楽部24PCサイトで#付きの ユーザーとよく対局するのですが、 対局後、挨拶をせずに去るユーザー をよく見かけます。 PCサイトでは、ボタンを一つ押す だけで対局後の挨拶文を入力して くれる機能がありますが、携帯 サイトにはそのような機能はない のでしょうか。
- 豊臣秀吉と徳川家康の関係について。
豊臣秀吉が「天下統一」をするにあたり、すごく徳川家康のことを気にしていましたよね。徳川家康は実力者だったということは理解できるのですが、なぜ家康は秀吉が死ぬまで天下乗っ取りを待ったのでしょうか。今回の大河ドラマからだとお互いの力はおんなじくらいで勝負は五分五分だったみたいな印象をうけました。 皆さんの見解や、俗説など教えてください。
- 太陽と超新星の末路の違いの要因は?
太陽は赤色巨星を経てヘリウムでできた矮小な天体として安定するのだと思います(?)。この理由は(多分ですが)まぁまぁ分かります。一方、超新星は爆発するといいます。 質量が大きくなると何故、超新星として爆発してしまうのですか。 質量が大きいのなら水素からヘリウムへの核融合に止まらず、ヘリウムからリチウムへ、リチウムからベリリウムへという具合に核融合を繰り返すことによって、より原子番号の大きい物質でできた矮小な天体となって安定すればよいではないかと思うのですが、現実には爆発してしまう理由を知りたいです。 知っていても悪くない程度の知識で十分です。よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 天文学・宇宙科学
- sono-higurashi
- 回答数3
- 囲碁のアゲハマの数え方
囲碁のNHK杯を見ていて思ったのですが、地を計算するとき、相手のアゲハマに見えないくらい石が入っている場合、プロはどのように計算するのでしょうか? アマチュアならだいたいでいいと思うのですが、プロですと1目単位まできっちり計算すると思います。ですが、フタの中で石が重なりあって見えない場合もあると思うのです。その場合、「数えていいですか?」のように言って、相手のアゲハマを数えていいのでしょうか? 少なくともそんな場面をNHK杯で見たことがないです。 盤上の石数を数えれば理論的にお互いのアゲハマの差は計算できる気がしますが、盤上のお互いの石の数をすべて数えているとも思えません。どうやっているのでしょうか? よろしくお願いします。
- 囲碁のアゲハマの数え方
囲碁のNHK杯を見ていて思ったのですが、地を計算するとき、相手のアゲハマに見えないくらい石が入っている場合、プロはどのように計算するのでしょうか? アマチュアならだいたいでいいと思うのですが、プロですと1目単位まできっちり計算すると思います。ですが、フタの中で石が重なりあって見えない場合もあると思うのです。その場合、「数えていいですか?」のように言って、相手のアゲハマを数えていいのでしょうか? 少なくともそんな場面をNHK杯で見たことがないです。 盤上の石数を数えれば理論的にお互いのアゲハマの差は計算できる気がしますが、盤上のお互いの石の数をすべて数えているとも思えません。どうやっているのでしょうか? よろしくお願いします。
- 盤と戦う
「数年前、森内九段は、「先手では盤と、後手では人間と戦う」」と話していた、という文章を見ました。 おっしゃったときの状況や、その真意をお聞かせください。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 囲碁・将棋
- tanakakenji
- 回答数1
- 囲碁のコミについて
自分はもっぱら将棋しか指さないので詳しくわからないですが 囲碁のコミにすごく違和感があります。 先手と後手、勝率が先手が高いからコミを増やそう。 五目半でもまだ先手がいい。六目半にしよう。 そういう考え方をすれば、将棋でいうと多少先手のほうが勝率が高いですから 将来は先手香落ちにしよう、といってるような感じがします。 でも、実際に将棋は後手用の戦法を考えて後手なりの工夫をする努力をしていました。 そういう平手だからこそゲームは面白いと思うのです。 将棋でいう後手用の戦法は囲碁には存在しないのでしょうか? あと、コミも一定で決まっていればわかりますが年々増えるんなら 「じゃ、あの対局はコミ五目半の時代では負けたけど、六目半だったら勝ってたぞ!」という不満はないんでしょうか? 今ですら日本が六目半で中国が七目半であることが理解できません。 生涯対局が先手後手半々ではないでしょうに、後手番が多い棋士が不利になる、というのもゲームとして成立しているのか?って思っちゃいます。
- 囲碁のコミについて
自分はもっぱら将棋しか指さないので詳しくわからないですが 囲碁のコミにすごく違和感があります。 先手と後手、勝率が先手が高いからコミを増やそう。 五目半でもまだ先手がいい。六目半にしよう。 そういう考え方をすれば、将棋でいうと多少先手のほうが勝率が高いですから 将来は先手香落ちにしよう、といってるような感じがします。 でも、実際に将棋は後手用の戦法を考えて後手なりの工夫をする努力をしていました。 そういう平手だからこそゲームは面白いと思うのです。 将棋でいう後手用の戦法は囲碁には存在しないのでしょうか? あと、コミも一定で決まっていればわかりますが年々増えるんなら 「じゃ、あの対局はコミ五目半の時代では負けたけど、六目半だったら勝ってたぞ!」という不満はないんでしょうか? 今ですら日本が六目半で中国が七目半であることが理解できません。 生涯対局が先手後手半々ではないでしょうに、後手番が多い棋士が不利になる、というのもゲームとして成立しているのか?って思っちゃいます。
- 囲碁のコミについて
自分はもっぱら将棋しか指さないので詳しくわからないですが 囲碁のコミにすごく違和感があります。 先手と後手、勝率が先手が高いからコミを増やそう。 五目半でもまだ先手がいい。六目半にしよう。 そういう考え方をすれば、将棋でいうと多少先手のほうが勝率が高いですから 将来は先手香落ちにしよう、といってるような感じがします。 でも、実際に将棋は後手用の戦法を考えて後手なりの工夫をする努力をしていました。 そういう平手だからこそゲームは面白いと思うのです。 将棋でいう後手用の戦法は囲碁には存在しないのでしょうか? あと、コミも一定で決まっていればわかりますが年々増えるんなら 「じゃ、あの対局はコミ五目半の時代では負けたけど、六目半だったら勝ってたぞ!」という不満はないんでしょうか? 今ですら日本が六目半で中国が七目半であることが理解できません。 生涯対局が先手後手半々ではないでしょうに、後手番が多い棋士が不利になる、というのもゲームとして成立しているのか?って思っちゃいます。
- 囲碁のコミについて
自分はもっぱら将棋しか指さないので詳しくわからないですが 囲碁のコミにすごく違和感があります。 先手と後手、勝率が先手が高いからコミを増やそう。 五目半でもまだ先手がいい。六目半にしよう。 そういう考え方をすれば、将棋でいうと多少先手のほうが勝率が高いですから 将来は先手香落ちにしよう、といってるような感じがします。 でも、実際に将棋は後手用の戦法を考えて後手なりの工夫をする努力をしていました。 そういう平手だからこそゲームは面白いと思うのです。 将棋でいう後手用の戦法は囲碁には存在しないのでしょうか? あと、コミも一定で決まっていればわかりますが年々増えるんなら 「じゃ、あの対局はコミ五目半の時代では負けたけど、六目半だったら勝ってたぞ!」という不満はないんでしょうか? 今ですら日本が六目半で中国が七目半であることが理解できません。 生涯対局が先手後手半々ではないでしょうに、後手番が多い棋士が不利になる、というのもゲームとして成立しているのか?って思っちゃいます。
- 二手すきの状態とは
一手すきと二手すきの説明についての質問です。 駒の配置が、 先手:4一竜 後手:1一香、1三歩、2二玉、2三歩 持ち駒は、 先手:銀 後手:残り全部 の局面をA図とします。 A図から、4二竜 3二合 3三銀 2一玉 3二竜で詰みなので、 「A図の後手玉は一手すきの状態にある。」 次に、後手の1一香がないときの局面をB図とします。 B図から、4二竜としても3二金(または飛)3三銀 1一玉で詰まない。 「つまり、B図の後手玉は二手すきの状態である。」 この文章、後手玉を詰ましにいって詰まなかったらすべて二手すきであるといっているのでしょうか? C図から3二竜とすれば必至になるので、それでいいのでしょうか? 詰ましにいって詰まなくても次の一手で詰めろ(または必至)がかかるものなんでしょうか? 詰めろもかからないなんてことがあるのでしょうか? よろしくお願いします。
- 囲碁のコミについて
自分はもっぱら将棋しか指さないので詳しくわからないですが 囲碁のコミにすごく違和感があります。 先手と後手、勝率が先手が高いからコミを増やそう。 五目半でもまだ先手がいい。六目半にしよう。 そういう考え方をすれば、将棋でいうと多少先手のほうが勝率が高いですから 将来は先手香落ちにしよう、といってるような感じがします。 でも、実際に将棋は後手用の戦法を考えて後手なりの工夫をする努力をしていました。 そういう平手だからこそゲームは面白いと思うのです。 将棋でいう後手用の戦法は囲碁には存在しないのでしょうか? あと、コミも一定で決まっていればわかりますが年々増えるんなら 「じゃ、あの対局はコミ五目半の時代では負けたけど、六目半だったら勝ってたぞ!」という不満はないんでしょうか? 今ですら日本が六目半で中国が七目半であることが理解できません。 生涯対局が先手後手半々ではないでしょうに、後手番が多い棋士が不利になる、というのもゲームとして成立しているのか?って思っちゃいます。
- 宇宙が平坦だとすると宇宙の果ての問題は?
「宇宙の果てはどうなっているのか」という問題は考えるとジレンマが発生し、実際はどうなっているのか非常に不思議でした。 宇宙に果てがあるとすると、その果てには壁があるのか、その壁はなにできているのか、岩で出来ているとするとその岩はそれまた無限の体積を持つのか。 宇宙に果てがないとすると、宇宙の大きさは無限なのか、無限の大きさなどというものが実際にありえるのか。 といった具合に、宇宙に果てがあるとしてもないとしても「本当にそんなことってあるの?」的なジレンマが発生し、困ったことになってしまいます。 「無限」の問題と「果て」の問題は同じことの現われ方の違いという気がしますが、いずれにしても困ったことになってしまう。 高校の頃に読んだ宇宙の本の中ではこのジレンマに対して、スッキリした形で回答していました。曰く、「宇宙は正の曲率で曲がっており閉じている」。2次元に落としてたとえると、宇宙は球面のようなものであり、有限であるが曲がっていて一方向へいくらでも行ける。つまり果てがない。果てがないけど有限である、ということで、私の中では宇宙の「無限」と「果て」のジレンマは解決されていました。 ところが最近の観測ではなんと「宇宙は平坦である」というじゃありませんか!? 「宇宙が有限でかつ果てがない」というのは空間が曲がっていて初めてありえることであり、宇宙が平坦であるとすると「無限」と「果て」のジレンマが再発生してしまうではありませんか? それとも「宇宙は平坦である」ということと「宇宙は正の曲率で曲がっており閉じている」ということは矛盾しない別の事柄なのでしょうか?
- ベストアンサー
- 天文学・宇宙科学
- DOSKOI-PANDA
- 回答数2
- この手何目?
どちらが先に、黒が3-Aと打つか、白が2-Aと打つか、という状況です。 中盤の177手目ぐらいに発生した状況で、その後、226手目まで黒も白も放置したままでした。 普通に戦っていれば大石が死ぬようなこともなく、まだ、10目以上の手もいくつかある状態でした。 計算が苦手なので、この2目はどのタイミングでとっていいのかわかりません。 出入りで10目ぐらいありそうだと思うのですが、どうでしょうか?
- ベストアンサー
- 囲碁・将棋
- nantokasensi
- 回答数1