keizai-kunのプロフィール
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わたくしはほんのひよっこですが、少し一言。 まず、前提条件として、マルクスとスミスの労働価値説の違いというのは、明確にする能力を持っていません。それを前提にして、以下に示します。 スミスの自由放任をどう考えたかということを言えば、これはいわゆる実定法と自然法というやつに起因するものだと言われていたように思います。彼の自由放任というのは、確かに経済的な面が大きいのですが、それ以上に国家そのものの働きに対する批判が含意されているように思います。それは重商主義といわれるものです。つまり、基本的な理念は、「国家の働きは人間の交換の性向を妨げる」と考えていたということではなかろうかと思います。交換の性向というのは、人間は本質的に交換するという気質を生まれ持っているものなのだという提言。これ自体は議論されるところですが、おいておきましょう。ですから、今日の簡潔な言葉でいえば、国家は市場に介入するな、自
- 登録日2004/07/12
- アダム・スミスの「国富論」と重商主義について
このうち、一つでもいいから教えてください。 ・重商主義の経済学説と重商主義の経済政策との関連について ・スミス(「国富論」)の支配労働価値尺度論とスミスの重商主義批判との 関連について ・「国富論」の利潤率低下論の内容を説明し、併せてその重商主義批判にとっての 意義について ・「国富論」の資本投下構造(順位)論について 以上の説明ができる方はよろしくお願いします!!!
- アダム・スミスの労働価値説は自由放任の主張と矛盾してないですか?
アダムスミスは、自由放任こそ最善の見えざる法であって、それを解明することこそ経済学であると言っています。資本主義におけるもっとも有用な精神である、自由競争の概念ですね。 一方で、彼は労働価値説を唱えています。 彼は、自由放任の先に資本ではなく、労働を置いています。 これは自由放任は資本主義の心構えのはずが、なぜ労働価値説を唱えているのでしょうか。 自由放任を主張するならば、そのゴールに資本をおくべきではないでしょうか。