kurinal の回答履歴

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  • 無からはなにも生じませんか?

    無からは何も生じませんか? 無からは何も生じなければ この世の始まりは無からではなく、有となります。 つまり元々すべてがあった訳で 有る、ということが物事の基本ベースとなります。 私達は無が物事の基本ベースであり そこに何かを付け足すことで有になる、 と考えがちですがそれは錯覚であり、 物事の始まりなど存在せず、 有が基本ベースだというアンリ・ベルクソンの考えに賛同です。 どう思いますか?

  • 命と精神 この盟友はどういう環境がベスト?

    命と精神は基本的には別ものと思います。 勿論多く影響し合いますが 言ってみれば命には水が必要 精神には言葉が必要 どの様な環境が、どの様な世界、社会がこの両方にとって必要か? 競争やせめぎ合い 極端には戦争は? 環境破壊 自然へ帰れ(ルソー)理想と快楽 楽しみ。 真理の希求や愛の結晶(結婚して子供が出来て家庭を作る) 人口密度(地球の理想人口は何人?) 温暖化(どのくらいで止める必要がある?) 世界の理想状態と未来など どの様な未来が理想か その為には今何をどうすべきか?? 無理は承知で端的に分かり易く書いて下さい。 当方病人にて長文は苦痛ですので 何卒宜しくお願いします。 部分的で構いませんので。m(_ _)m

  • 無の境地とは、死と向き合う生き様である。

    私はおびえる君達に深遠の恐怖を授ける者。 君達は、人である事を忘れてまでも、おびえることしかできない。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 君達の好きそうな私からの人生訓だよ。 君達はすぐに死を予感する臆病者だ。 すぐに死活問題と言ってわめき散らすね。 簡単に死を口にして、本気で死ぬんじゃないかと不安に陥る。 死活問題ってのは生活の危機の事だよね。 自営で経営している会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい? 破産法が整備されていて、借金取りは命まで取らないだろ。 勤めている会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい。 気楽なことだろ、新しく就職先を探すだけでいい。 これらを釈迦の言う無常として、悲しむようだと落第だ。 世の中は、常に変化している。 それは良い事なんだ。 つまり、勤め先の破たんなりなんなりがあろうとも、前向きであるならば、そうした生活の変化は、死の案内ではなく、人生の前向きな転機となる。 そうした生きる意思が本人にあればだけどね。 私が高校を卒業して家業のおもちゃ屋を手伝い始めたころ、およそ25年前だけどもね、新潟県には調査の結果150件ほどのおもちゃ屋があり、駄菓子屋や兼業店は正確な調査の対象外だが、ほぼ同数、合計300件あった。 その中で、現在を営業しているのは、業種転換しても家業を継続している店の総数で10件以下、昔ながらのおもちゃ屋は、私の家で2店営業しているのを含めて、合計で5~6件かな。 時代が変わって大型店のおもちゃ売り場に主流は変わっている。 この大きな変化で、君たちなら死活問題を感じただろう。 そのように死を予感したら、考えることは死を避ける方法だけだ。 ところが、死を予感しない私は、困難でも生きることだけ考えた。 死を避けようとする事と、生きようとすることは違うのだよ。 生きようとする知恵の働いた私の店は現在も営業している。 死から逃げようとした連中は、実際にはまさか死んだりしなかっただろう。 そうした連中は、幻に翻弄され、無駄な事を考えていたから、幻に敗北したのだ。 この過程で、私が編み出した勝利の法則を教えよう。 競争と一言で言うが、競う事と争う事は違う。 競う事は、小学生のかけっこの様な事で、おたがいの長所を伸ばし合う事だ。 勝者は確定するが、敗者は一人もいない。 本気で競い抜く事が出来れば善人勝者だ。 争う事は、闘争なり戦争という言葉があるね。 足を引っ張り合う事だ。 殺し合いに象徴され、全員敗者だ。 死におびえる者は、争わざる得なかったからこそ、おもちゃ業界から退場したのだよ 競う姿勢で、自己を磨いていたら、気が付いたら争う相手はいなくなった。 これが常に生きる事のみを考えた結果だ。 この果実は、昔ながらの商店街の古びたおもちゃ屋で子供相手に楽しむことにある。 世の中では、金持ちになることが成功だと言うがね、誇り高き、はた玩具店は、そんなことよりも、世の中の価値観より、自分だけの価値観の基づいて、子供たちの笑顔のために働く事こそ、自分自身の人生だと考える。 この心が、私が生きることの実践だ。 君達は金だけが頼りの様だね。 世の中から尊敬されそうな規範を望み、自らの望みが無い。 貧乏しても、子供達を幸福にすることは私だけの誇りだ。 君達は、世の中から尊敬されないと自分自身を誇れない、金で売り買いされる誇りしか持ち合わせていない。 このように自分らしく生きようとしないから、誰かから助けてもらわないと、死活問題という死の予感がよぎるのだ。 助け合っているという美辞麗句に隠れ、実は自分さえ良ければいいから、自らの意思で生きようとする事が出来ない。 私のこのような人生訓で言いたいのはね、自ら生きようとする自覚だ。 ジジイの柔らかい奇麗事、「私は私である」これは私自身においては、いかなる困難もものともしない「俺は俺だー」だよ。 そうしたことが君達には無く、泣きごとの様な奇麗事で、お互いを憐れんでいる。 ここらが、無の境地と係る話だよ。 本題だ。 死の予感をものともせず、生きる事を全うしている私は、君達と違って死から逃れようとしなかった。 死活問題なんて笑える幻だと思っていた。 そうして生きようとする意思が、そのまま死と向き合うことだった。 これは神話性のある、死の悟りという経験談で表現することができる。 死から逃げなかった私に対して、死の幻をもたらしていた悪魔が和解を申し出た。 それは、セレビィが2001年7月に映画上映という形でポケモンデビューしたことをきっかけに。2001年8月にもたらされた私だけの滅びの宴だ。 死よ阻もうとするからこそ悪魔を名乗った神の姿からの和解を受け入れ愛を結んだ。 そこで私は、悪魔が隠し続けた死を理解した。 観念上で、ファイト一発死の儀式をしたんだ。 これがそのまま無の悟りである。 それが世界に自らを開放することだった。 この解放が、自らを滅することだと言われていた。 イデアなり、涅槃と言われた観念世界を、君達は死に染めた。 その死と邂逅することが、死の儀式であり、死なんてとんでもない、それでこそ生きる事を実感し、自らが神と共に永遠である事を自覚するのだ。 観念世界に心眼を開く事が目覚めた者なのだ。 君達にとってはそれは死を象徴することだ。 そのように逃げている。 私に言わせると、死活問題として引用した、死の幻は、悪魔の演出ではない。 君達の恐怖が見せる幻だ。 悪魔は受け入れてくれるとも、何故なら生命をもたらす神の姿の一つだから。 結論は死活問題なんてあほらしいと言う事だ。 さて質問趣旨だが、私は西洋的神学と結びついた西洋から輸入された哲学とは別に、「実在する妖精の捕まえ方」という、一人ひとりに寄り添う神の姿、精霊崇拝の延長を哲学的に完成させる研究をしている。人と人がお互いに人間であると自覚するためには、すなわち社会を形成するためには、神の由来を正してそこから知性の根源を探る手法が採られていて、人と人が和解する哲学を標榜としている。 そんな独自研究の論説であり、それに対するご意見募集だ。 学問のカテゴリーなんでね、

  • アラーは神ではなく、アルケーが神

    ジハード、自爆、首切り。 アラーは神ではなく、アルケーが神ってこと、そろそろ分かってもいい頃ではないんかな。  

  • ランキング

    お世話になります。 自分の好きな●●ランキングを作るとします。 映画でも音楽でも本でもなんでもいいです。 AとBならBのが上、CとDならCのが上、BとCならCのが上、、、とやっていき 出来上がったランキングを一通りチェックして保存したとします。 しばらく経ってから見直すと「なんか違うな」と感じるのは何故でしょうか? よろしくお願いします。

    • akaneh
    • 回答数3
  • 無の境地とは、死と向き合う生き様である。

    私はおびえる君達に深遠の恐怖を授ける者。 君達は、人である事を忘れてまでも、おびえることしかできない。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 君達の好きそうな私からの人生訓だよ。 君達はすぐに死を予感する臆病者だ。 すぐに死活問題と言ってわめき散らすね。 簡単に死を口にして、本気で死ぬんじゃないかと不安に陥る。 死活問題ってのは生活の危機の事だよね。 自営で経営している会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい? 破産法が整備されていて、借金取りは命まで取らないだろ。 勤めている会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい。 気楽なことだろ、新しく就職先を探すだけでいい。 これらを釈迦の言う無常として、悲しむようだと落第だ。 世の中は、常に変化している。 それは良い事なんだ。 つまり、勤め先の破たんなりなんなりがあろうとも、前向きであるならば、そうした生活の変化は、死の案内ではなく、人生の前向きな転機となる。 そうした生きる意思が本人にあればだけどね。 私が高校を卒業して家業のおもちゃ屋を手伝い始めたころ、およそ25年前だけどもね、新潟県には調査の結果150件ほどのおもちゃ屋があり、駄菓子屋や兼業店は正確な調査の対象外だが、ほぼ同数、合計300件あった。 その中で、現在を営業しているのは、業種転換しても家業を継続している店の総数で10件以下、昔ながらのおもちゃ屋は、私の家で2店営業しているのを含めて、合計で5~6件かな。 時代が変わって大型店のおもちゃ売り場に主流は変わっている。 この大きな変化で、君たちなら死活問題を感じただろう。 そのように死を予感したら、考えることは死を避ける方法だけだ。 ところが、死を予感しない私は、困難でも生きることだけ考えた。 死を避けようとする事と、生きようとすることは違うのだよ。 生きようとする知恵の働いた私の店は現在も営業している。 死から逃げようとした連中は、実際にはまさか死んだりしなかっただろう。 そうした連中は、幻に翻弄され、無駄な事を考えていたから、幻に敗北したのだ。 この過程で、私が編み出した勝利の法則を教えよう。 競争と一言で言うが、競う事と争う事は違う。 競う事は、小学生のかけっこの様な事で、おたがいの長所を伸ばし合う事だ。 勝者は確定するが、敗者は一人もいない。 本気で競い抜く事が出来れば善人勝者だ。 争う事は、闘争なり戦争という言葉があるね。 足を引っ張り合う事だ。 殺し合いに象徴され、全員敗者だ。 死におびえる者は、争わざる得なかったからこそ、おもちゃ業界から退場したのだよ 競う姿勢で、自己を磨いていたら、気が付いたら争う相手はいなくなった。 これが常に生きる事のみを考えた結果だ。 この果実は、昔ながらの商店街の古びたおもちゃ屋で子供相手に楽しむことにある。 世の中では、金持ちになることが成功だと言うがね、誇り高き、はた玩具店は、そんなことよりも、世の中の価値観より、自分だけの価値観の基づいて、子供たちの笑顔のために働く事こそ、自分自身の人生だと考える。 この心が、私が生きることの実践だ。 君達は金だけが頼りの様だね。 世の中から尊敬されそうな規範を望み、自らの望みが無い。 貧乏しても、子供達を幸福にすることは私だけの誇りだ。 君達は、世の中から尊敬されないと自分自身を誇れない、金で売り買いされる誇りしか持ち合わせていない。 このように自分らしく生きようとしないから、誰かから助けてもらわないと、死活問題という死の予感がよぎるのだ。 助け合っているという美辞麗句に隠れ、実は自分さえ良ければいいから、自らの意思で生きようとする事が出来ない。 私のこのような人生訓で言いたいのはね、自ら生きようとする自覚だ。 ジジイの柔らかい奇麗事、「私は私である」これは私自身においては、いかなる困難もものともしない「俺は俺だー」だよ。 そうしたことが君達には無く、泣きごとの様な奇麗事で、お互いを憐れんでいる。 ここらが、無の境地と係る話だよ。 本題だ。 死の予感をものともせず、生きる事を全うしている私は、君達と違って死から逃れようとしなかった。 死活問題なんて笑える幻だと思っていた。 そうして生きようとする意思が、そのまま死と向き合うことだった。 これは神話性のある、死の悟りという経験談で表現することができる。 死から逃げなかった私に対して、死の幻をもたらしていた悪魔が和解を申し出た。 それは、セレビィが2001年7月に映画上映という形でポケモンデビューしたことをきっかけに。2001年8月にもたらされた私だけの滅びの宴だ。 死よ阻もうとするからこそ悪魔を名乗った神の姿からの和解を受け入れ愛を結んだ。 そこで私は、悪魔が隠し続けた死を理解した。 観念上で、ファイト一発死の儀式をしたんだ。 これがそのまま無の悟りである。 それが世界に自らを開放することだった。 この解放が、自らを滅することだと言われていた。 イデアなり、涅槃と言われた観念世界を、君達は死に染めた。 その死と邂逅することが、死の儀式であり、死なんてとんでもない、それでこそ生きる事を実感し、自らが神と共に永遠である事を自覚するのだ。 観念世界に心眼を開く事が目覚めた者なのだ。 君達にとってはそれは死を象徴することだ。 そのように逃げている。 私に言わせると、死活問題として引用した、死の幻は、悪魔の演出ではない。 君達の恐怖が見せる幻だ。 悪魔は受け入れてくれるとも、何故なら生命をもたらす神の姿の一つだから。 結論は死活問題なんてあほらしいと言う事だ。 さて質問趣旨だが、私は西洋的神学と結びついた西洋から輸入された哲学とは別に、「実在する妖精の捕まえ方」という、一人ひとりに寄り添う神の姿、精霊崇拝の延長を哲学的に完成させる研究をしている。人と人がお互いに人間であると自覚するためには、すなわち社会を形成するためには、神の由来を正してそこから知性の根源を探る手法が採られていて、人と人が和解する哲学を標榜としている。 そんな独自研究の論説であり、それに対するご意見募集だ。 学問のカテゴリーなんでね、

  • 嘘から出た誠(真)? 平和憲法。

    競争社会はある程度仕方ないですが どうして戦争までして争わなければならないのか? 日本国の太平洋戦争を考えても 300万人の犠牲者を出し 街は焼け野原になり、原爆まで落とされて沖縄は米国になり それでやっと「平和な国を作りなさい」という憲法を与えられ 我々が指針にしてきた日本国憲法を 変えようと言う。 なぜ日本は世界を平和に出来なかったのか? 阿部さんは集団的自衛権とセットでしか各国歴訪出来なかったのか? なぜ戦争という手段をこの世界からなくして ロシアが折れた様に徹夜16時間の議論で解決できなのか? 成る程イスラム国はテロを起こしただろう。しかしその何倍殺してるんだアメリカは? その上今から本格的に地上からも戦争をするという。 自分の蒔いた種じゃないか 中東の人を何人殺した? 本当に戦争で解決できるのか?根絶やしにして恨みは残らないのか? そんな恐ろしいことが本当に出来るのか 否か? 誰が狂ってジハードとかするか 戦争はテロより悪い アメリカは早く停戦の為の方法を考えるべきだと思う イスラム国にはアメリカこそ悪魔だと見えてないか? 勝った方が正義という 救いのない戦争という外交手段を 永久に放棄するために日本も発言するべきではないのだろうか? 日本国憲法はまさにそういう憲法だった筈です。 みなさんはどう思いますか? できれば短文で簡潔に分かり易く書いて頂けるとありがたいです。 よろしくお願いします。

  • 宇宙も終わる?

    竹内均さんでしたか 「宇宙も終わる」という本が出てました。 宇宙も終わるのでしょうか? 宇宙も終わるならその前に人間の努力の集積 生命の40億年の魂も 終わってしまうのでしょうか? 宇宙が終わるという根拠は矢張り宇宙の物質やエネルギーのエントロピーは増大する という熱力学の第二法則が根拠と思いますが 本当にブラックホールも蒸発して消えてなくなるのでしょうか?(熱死?) 私にはその仮説(ホーキング氏)は信じられません エントロピー増大則を絶対化する為に付けた理屈のように思います どうせ秩序も文化文明も崩壊するのなら何の為に必死に生きているのでしょうか? 引力に拠って循環が生まれ物質が実現しています 引力がなかったら全ては崩壊して、秩序も何もなくなって エントロピーは激増するでしょう それならば引力がエントロピーを減少させてるとも考えられるのではないでしょうか? 未来が絶滅なら 今何をしても結果は同じということではないでしょうか? 道徳も文化・文明も、人生観も世界観も価値観も 未来の永遠か崩壊かによって 大きく違ってくるのではないでしょうか? みなさんはどう考えますか?とても重要なことだと思います 生憎私が病人なので 出来れば端的に分かり易く書いて頂けるとありがたいです よろしくお願いしますm(_ _)m            

  • 無の境地とは、死と向き合う生き様である。

    私はおびえる君達に深遠の恐怖を授ける者。 君達は、人である事を忘れてまでも、おびえることしかできない。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 君達の好きそうな私からの人生訓だよ。 君達はすぐに死を予感する臆病者だ。 すぐに死活問題と言ってわめき散らすね。 簡単に死を口にして、本気で死ぬんじゃないかと不安に陥る。 死活問題ってのは生活の危機の事だよね。 自営で経営している会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい? 破産法が整備されていて、借金取りは命まで取らないだろ。 勤めている会社がつぶれて、だからと言って死ぬかい。 気楽なことだろ、新しく就職先を探すだけでいい。 これらを釈迦の言う無常として、悲しむようだと落第だ。 世の中は、常に変化している。 それは良い事なんだ。 つまり、勤め先の破たんなりなんなりがあろうとも、前向きであるならば、そうした生活の変化は、死の案内ではなく、人生の前向きな転機となる。 そうした生きる意思が本人にあればだけどね。 私が高校を卒業して家業のおもちゃ屋を手伝い始めたころ、およそ25年前だけどもね、新潟県には調査の結果150件ほどのおもちゃ屋があり、駄菓子屋や兼業店は正確な調査の対象外だが、ほぼ同数、合計300件あった。 その中で、現在を営業しているのは、業種転換しても家業を継続している店の総数で10件以下、昔ながらのおもちゃ屋は、私の家で2店営業しているのを含めて、合計で5~6件かな。 時代が変わって大型店のおもちゃ売り場に主流は変わっている。 この大きな変化で、君たちなら死活問題を感じただろう。 そのように死を予感したら、考えることは死を避ける方法だけだ。 ところが、死を予感しない私は、困難でも生きることだけ考えた。 死を避けようとする事と、生きようとすることは違うのだよ。 生きようとする知恵の働いた私の店は現在も営業している。 死から逃げようとした連中は、実際にはまさか死んだりしなかっただろう。 そうした連中は、幻に翻弄され、無駄な事を考えていたから、幻に敗北したのだ。 この過程で、私が編み出した勝利の法則を教えよう。 競争と一言で言うが、競う事と争う事は違う。 競う事は、小学生のかけっこの様な事で、おたがいの長所を伸ばし合う事だ。 勝者は確定するが、敗者は一人もいない。 本気で競い抜く事が出来れば善人勝者だ。 争う事は、闘争なり戦争という言葉があるね。 足を引っ張り合う事だ。 殺し合いに象徴され、全員敗者だ。 死におびえる者は、争わざる得なかったからこそ、おもちゃ業界から退場したのだよ 競う姿勢で、自己を磨いていたら、気が付いたら争う相手はいなくなった。 これが常に生きる事のみを考えた結果だ。 この果実は、昔ながらの商店街の古びたおもちゃ屋で子供相手に楽しむことにある。 世の中では、金持ちになることが成功だと言うがね、誇り高き、はた玩具店は、そんなことよりも、世の中の価値観より、自分だけの価値観の基づいて、子供たちの笑顔のために働く事こそ、自分自身の人生だと考える。 この心が、私が生きることの実践だ。 君達は金だけが頼りの様だね。 世の中から尊敬されそうな規範を望み、自らの望みが無い。 貧乏しても、子供達を幸福にすることは私だけの誇りだ。 君達は、世の中から尊敬されないと自分自身を誇れない、金で売り買いされる誇りしか持ち合わせていない。 このように自分らしく生きようとしないから、誰かから助けてもらわないと、死活問題という死の予感がよぎるのだ。 助け合っているという美辞麗句に隠れ、実は自分さえ良ければいいから、自らの意思で生きようとする事が出来ない。 私のこのような人生訓で言いたいのはね、自ら生きようとする自覚だ。 ジジイの柔らかい奇麗事、「私は私である」これは私自身においては、いかなる困難もものともしない「俺は俺だー」だよ。 そうしたことが君達には無く、泣きごとの様な奇麗事で、お互いを憐れんでいる。 ここらが、無の境地と係る話だよ。 本題だ。 死の予感をものともせず、生きる事を全うしている私は、君達と違って死から逃れようとしなかった。 死活問題なんて笑える幻だと思っていた。 そうして生きようとする意思が、そのまま死と向き合うことだった。 これは神話性のある、死の悟りという経験談で表現することができる。 死から逃げなかった私に対して、死の幻をもたらしていた悪魔が和解を申し出た。 それは、セレビィが2001年7月に映画上映という形でポケモンデビューしたことをきっかけに。2001年8月にもたらされた私だけの滅びの宴だ。 死よ阻もうとするからこそ悪魔を名乗った神の姿からの和解を受け入れ愛を結んだ。 そこで私は、悪魔が隠し続けた死を理解した。 観念上で、ファイト一発死の儀式をしたんだ。 これがそのまま無の悟りである。 それが世界に自らを開放することだった。 この解放が、自らを滅することだと言われていた。 イデアなり、涅槃と言われた観念世界を、君達は死に染めた。 その死と邂逅することが、死の儀式であり、死なんてとんでもない、それでこそ生きる事を実感し、自らが神と共に永遠である事を自覚するのだ。 観念世界に心眼を開く事が目覚めた者なのだ。 君達にとってはそれは死を象徴することだ。 そのように逃げている。 私に言わせると、死活問題として引用した、死の幻は、悪魔の演出ではない。 君達の恐怖が見せる幻だ。 悪魔は受け入れてくれるとも、何故なら生命をもたらす神の姿の一つだから。 結論は死活問題なんてあほらしいと言う事だ。 さて質問趣旨だが、私は西洋的神学と結びついた西洋から輸入された哲学とは別に、「実在する妖精の捕まえ方」という、一人ひとりに寄り添う神の姿、精霊崇拝の延長を哲学的に完成させる研究をしている。人と人がお互いに人間であると自覚するためには、すなわち社会を形成するためには、神の由来を正してそこから知性の根源を探る手法が採られていて、人と人が和解する哲学を標榜としている。 そんな独自研究の論説であり、それに対するご意見募集だ。 学問のカテゴリーなんでね、

  • 宇宙も終わる?

    竹内均さんでしたか 「宇宙も終わる」という本が出てました。 宇宙も終わるのでしょうか? 宇宙も終わるならその前に人間の努力の集積 生命の40億年の魂も 終わってしまうのでしょうか? 宇宙が終わるという根拠は矢張り宇宙の物質やエネルギーのエントロピーは増大する という熱力学の第二法則が根拠と思いますが 本当にブラックホールも蒸発して消えてなくなるのでしょうか?(熱死?) 私にはその仮説(ホーキング氏)は信じられません エントロピー増大則を絶対化する為に付けた理屈のように思います どうせ秩序も文化文明も崩壊するのなら何の為に必死に生きているのでしょうか? 引力に拠って循環が生まれ物質が実現しています 引力がなかったら全ては崩壊して、秩序も何もなくなって エントロピーは激増するでしょう それならば引力がエントロピーを減少させてるとも考えられるのではないでしょうか? 未来が絶滅なら 今何をしても結果は同じということではないでしょうか? 道徳も文化・文明も、人生観も世界観も価値観も 未来の永遠か崩壊かによって 大きく違ってくるのではないでしょうか? みなさんはどう考えますか?とても重要なことだと思います 生憎私が病人なので 出来れば端的に分かり易く書いて頂けるとありがたいです よろしくお願いしますm(_ _)m            

  • 神様が「人を殺せ!」と命令した時どうしますか?

    旧約聖書には神様が「カナンの土地はおまえたちにやるから住民を殺して奪え」という話が出てきます。連行してきた異民族について「男は子供も含めて皆殺しにして、女は処女だけ残して、あとは殺せ」という話もあります。神様が殺せという言うときどうしますか? (1)神様のお考えは人間の知恵をはるかに超えている。悪いことの気がするけど、神様のお考えからしたら良い事なのかもしれない。神様の視点では現世の人間の生き死により天国での暮らしのほうが重要と考えているのかもしれない。わからないけど、神様の言葉に従おう。 (2)神様がそんなことを言うはずがない。なにかの間違いだ。自分の良心でそんなことはしない。 (1)だとイスラム国みたいになってしまします。 (2)の考えだと自分の判断を神様の判断の上に置くことなります。それは神様に対して傲慢ということにならないのでしょうか?神様を信用しないということになりませんか?

    • stmim
    • 回答数24
  • 人生における「無駄」

    タイトルのとおりです。長いのか?、長くないのか?さえも分からない自分自身の人生ことを考えて、貴重な人生なのに、ずいぶん「無駄なこと」と思えることもしてきたし、終末が近くなっているのかも知れないにもかかわらず、まだ「無駄のこと」をしているような気がします。 これ以上「無駄なこと」はしたくないと思います。しかし、よくよく考えてみると、そもそも人生において、『「無駄なこと」というのは、どんなこと』なのかが分からなくなりました。 この質問を読んでいただいたお方に、お伺いいたします。 『人生における「無駄」』とは、どんなことだとお考えでしょうか?

    • noname#205122
    • 回答数14
  • ニーチェの没落について

    ニーチェは、没落という言葉にマイナスのイメージをもっていないことはわかりました。でも、詳しいことが全くわかりません。没落とはどこに没落するのですか? 橋を渡ったら超人になれるということですよね?

    • 12ad
    • 回答数2
  • イアンフもんだい

     1. これは 民族の虐殺を目的とする強制収容所とそこへの連行の問題でないとすれば――ないと考えますが―― 徴兵制の下にある戦争にかかわる国家をめぐってうたがわれる人権侵害の問題ということではないか?  2. 国家どうしのあいだに戦争を起こす主権が国家にあるとすれば その《権利》によって敵国のであれ自国のであれ《人間の命を人為的に消すという人権侵害》を侵してよいか。という問いが成り立つと考えられる。  3. 有無を言わせぬ徴兵は 国家主権のもとでなら ひとごろしという人権侵害を侵してよいのか。といううたがいが挙がって当然である。  4. 慰安婦は 当地の娼婦を《利用》するものであれ国が募って集め慰安所をつくって利用するものであれ 現在からはやはり人権侵害なる違法行為と見なされる売春婦である。これを どう考えるかに収れんするのではないか?  5. 徴兵制のもとで行なわれる戦争におけるヒトゴロシとそしてあたかもその兵士たちにかかわって来る売春と これらふたつの行為は ともに人権侵害の問題として同列に捉えられるのではないか?  6. そういう意味において じんるいにとって普遍的な問題であるのではないか。  ご批判・ご教示ください。

  • 感覚は怨恨になるのか?

    感覚から怨恨へと変化するのでしょうか?

    • noname#207067
    • 回答数1
  • マルクス主義について

    二十代でアカくならないのはバカだという言葉があるみたいですが、 みなさんはマルクスやマルクス主義の文献と出会い、 どう感じてどう受け取りましたか? くだらないと感じた、今でもマルクスやマルクス主義の理論を 尊敬している、共産党に入ったなどなど。 みなさんのマルクスとの出会い、経験について教えてください。

  • 神様が「人を殺せ!」と命令した時どうしますか?

    旧約聖書には神様が「カナンの土地はおまえたちにやるから住民を殺して奪え」という話が出てきます。連行してきた異民族について「男は子供も含めて皆殺しにして、女は処女だけ残して、あとは殺せ」という話もあります。神様が殺せという言うときどうしますか? (1)神様のお考えは人間の知恵をはるかに超えている。悪いことの気がするけど、神様のお考えからしたら良い事なのかもしれない。神様の視点では現世の人間の生き死により天国での暮らしのほうが重要と考えているのかもしれない。わからないけど、神様の言葉に従おう。 (2)神様がそんなことを言うはずがない。なにかの間違いだ。自分の良心でそんなことはしない。 (1)だとイスラム国みたいになってしまします。 (2)の考えだと自分の判断を神様の判断の上に置くことなります。それは神様に対して傲慢ということにならないのでしょうか?神様を信用しないということになりませんか?

    • stmim
    • 回答数24
  • なぜ戦争を止めようと言う発想にならないのか?

    イスラム国の支配している地域からして、イラクが半分ですから。 戦争を終わらせるためには まずアメリカが空爆を止めて 交渉のパイプを作り はっきり言えば アメリカがイラク人10~50万人を 殺した事を正式に謝罪し、大量破壊兵器はなかったことを認め、賠償するしかありません。 もちろん賠償しきれるはずがありません。死んだ人間は生き返ってこないのですから。 一人1億円としても10万人で10兆円です。 イラクの調査では50万人ですから50兆円 アメリカが出すでしょうか?出しません けして出さないでしょう。 少なくとも10万人以上の「誤爆」を謝罪しなければなりません。 そしてイスラム国が話し合いに応じたら 後藤さんは帰ってくるかもしれません 子供が考えれがこうなるはずです。 なぜこうならないのでしょうか?なんで空爆しながら非難して 卑劣なテロだ 断じて許せないと言えるのでしょうか?不思議でたまりません。

  • 音楽って何のためにあるの?

     っていう問いは成り立ちますか?  わたしが音楽を聞くのは 心地よいからですが ほかに目的や効能などがありますか?  あるいは理屈を言えば 音楽も絵画美術などとともに芸術として いわゆる真善美の体験にかかわる――それによって わたしは我れに還る――ものだと考えるのですが 美としては 心地よい感覚の問題だと言ってはいけませんか?  音楽についての哲学ってありますか?

  • 人生を歩む上で大事にしてること

    人生を歩む上で大事にしてることは、何かありますか? ちなみに私は、笑顔を想い出すことです。

    • a_hona
    • 回答数16