miko-desi の回答履歴
- 生きていても生きていなくても同じという見地
この世に生きていてもこの世に生きていなくても同じという見地があるとするならばそれはどこにありますか。 見地といっているのでそこに意識が存在していること自体が矛盾してはいますが。 (まあこの質問も失敗するでしょう。)
- 生きていても生きていなくても同じという見地
この世に生きていてもこの世に生きていなくても同じという見地があるとするならばそれはどこにありますか。 見地といっているのでそこに意識が存在していること自体が矛盾してはいますが。 (まあこの質問も失敗するでしょう。)
- 感性ってなんですか?
ある人から、感性がとても良いので、そういうのを勉強したほうがいいと言われました。感性ってなんですか?Wikipediaや辞典をよんでもさっぱりわからず。。 よろしくお願いいたします。
- 主が蛇を造られた理由
どうして主は蛇を造られたのですか?どうして主は果実を造られたのですか? そもそもこんなもの造らなければ、私の悩みなど無かったはずなのに・・・
- この批判の姿勢についての批判をお願いします。
批判するときには相手の受けていれているドグマ、相手の自己矛盾などなどを基盤として、、、つまり相手の土俵にたって行わなくてはならない。 同意(肯定)するときも同じように相手の土俵にたって行わなくてはならない。 そうでなければお互いが自分の宗教論争と同じく、全くもって何も産まないものとなってしまう。 私ではなくあるところで聞いたのですが、なるほどとは思ったんですね。もしかしたらアタリマエのことかもしれませんが。 これに対して批判があるとすれば問題点の指摘からお願いします。ただ、問題点の指摘の最後にはよりよりと思う批判のあり方について書いていただけると助かります。
- もし過去に行けるとして、親を殺したら……。
もし、過去に行けるとして、自分の親を殺したらどうなると思いますか? 親を殺したら、自分は未来において存在できない。未来において存在できないのなら、自分は過去に戻って親を殺すことも出来ないはずだ。 親を殺した自分は何なのだろうか? もし本当に過去へ行けるようになったら、このパラドックスはどうなるとおもいますか? なお、今回は多世界解釈は無しとします。
- 皆さんが影響を受けた本
皆さんが影響を受けた哲学書を教えて下さい! どんな影響を受けたのか知りたいです。 ただし、いたずらに専門用語を使って自己陶酔する方はご遠慮願います。
- 芸術と大衆文化の決定的な違い
芸術と大衆文化の決定的な違いを一つ挙げるとしたら何ですか? また明確に境界線が引けるとしたら、その境界線を一言で表現すると何ですか? もしくは、互いに密接不可分で境界線など引けないものだというのならその御意見ご教授お願いします。 例 (ゴッホ・ピカソとイラスト・漫画)(バッハ・モーツァルトとJPOP・演歌)など。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- nisihigasi_6
- 回答数13
- 無我のdefault値はnullなのでしょうか?
タイトル通りの内容を伺います。 自己を客体視する設定の主体は,其の客体の外部に佇んでいますので、 其の主体を再起的に客体視する為には、 更に別の主体を外部へ置かねばならなくなるのでしょうけれども、 それ等の主体の初期値が必要になるだろう, と私には思われますから、教えて下さいませ。
- 人生金じゃないという人間ほど金がたまらない
大金稼いだことあるなら説得力あるのですが、稼いだこともないのにこういうこという人っておかしくないですか?
- 年をとるごとに、人生がつまらなくなる気がする
10代の頃は、夢いっぱいで、 今は厳しくて、辛い時期でも無意識に「明るい未来が待っている!」と思えたけど 20代後半の今になって、 厳しくて・辛い時期は全然希望が持てないし どうせ同じ毎日の繰り返し、もしくは今より生活水準が下がるだろう・・・ と絶望的に感じてしまいます。 それは私がそう言う性格になったのか、 大人になるとはこういう事なのか教えてください。
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- その他(恋愛・人生相談)
- ji8uy7t6
- 回答数6
- 決断恐怖症
10代の頃までは、悩んで多少時間がかかっても、決断すべき時にきちんと決断して、あまり大きな後悔はしなかったのですが、いつの頃からか、決断自体をとても苦手に感じるようになりました。 20代以降、あれこれと難しい問題が持ち上がり、決断したことが良い方向に向かったと実感できる場面が減ったことと関係があるかもしれません。不器用なので、決断の際にメリット/デメリットをバランス良く考えられないと、自分で分かっているせいもあるかもしれません。 決断で何がイヤかといいますと、もちろん決断をすること自体の気の重さみたいなものもそうなんですが、それ以上に、決断した後、その決断が失敗だったのではないかという不安にとらわれ続けてしまうことです。Aに決めた途端、Aのデメリットがブワーッと頭の中にわいてきます。Bに決めれば決めたで同じです。 みなさんはこういうことありませんか? どうやって決断の恐怖を乗り越えていますか?
- ベストアンサー
- その他(恋愛・人生相談)
- acrobot
- 回答数5
- 初の海外旅行、バンコク周辺の観光地
今月の末から6日間、初の海外旅行で タイのバンコクに滞在しようかとおもいます 宿はカオサン周辺で当日、適当に手配し、観光は王宮周辺とアユタヤ、水上マーケットやウィークエンドマーケットを見ようかと考えていますが 6日間もあれば、時間もあまりそうですし、他にもバンコクでおすすめの観光地はありますでしょうか? また、初めての海外旅行なのですけど、(もちろん貴重品は常に肌に身につけるつもりですが)何か注意したほうがよいことはありますでしょうか?
- 知的障害者の価値を一般人と同列に置くには
つまり、人間全ての人の価値を同列に、尚且つ、動物と人間を区別する。 これを可能にする今でも否定されていない考え方というのもので知られているもの、もしくは持っている方はいますか? 知的障害者といっても曖昧な言葉ですから基本的に理性側の欠落が大きい人達とします。 平均的な知的障害者と平均的な知的障害者でない人たち(一般人)の対比みたいな感じです。 感情論や人間性云々は何も生み出さないし、回答として不適切ですからご遠慮ください。 また、宗教の教義に基づく理論展開もご遠慮ください。 同列に置くといっても社会的価値にかぎらず。 実存においてなのか、社会においてなのか、、、各回答者様によってどの見地において価値を明確にしようとしているか明確にして話していただけると助かります。
- 知識欲も過ぎると害か?
みなさんの考えを聞かせてください。 この世界では、食欲・性欲などの肉欲はあまりに旺盛だと非難されますが、知識欲に限って言えば寧ろ貪欲な方が望ましいと考えられてはいないでしょうか。 ですが過ぎたるは何とやらで、やはりこの純粋な精神的欲求も程ほどでないといけない気がします。 何故なら食べすぎたら太って健康を害するように、本を読みすぎたり、煎じつめて考えすぎれば、一部の哲学者や小説家の例を挙げるまでもなく、やはり精神に不調をきたすこともあると思われるからです。 もちろん先人の刻苦勉励のお蔭で我々は現代文明が生み出す果実を享受できているのは否定しません。 しかし一市民として生きるにあたってあまりに知識欲が旺盛過ぎるのは悲劇的ですらあります。 ただただ知りたい、しかし偉人たちの様に何を生み出す訳でも無い。雑多な知識と屁理屈だけが積み重ねられ、性はますます狷介となり人から疎まれる始末。 やはり適度に食べ、適度に働き、適度に学び、適度に遊ぶというのが理想ではないでしょうか? そこでみなさんに質問です。 旺盛すぎる知識欲は肉欲同様非難に値すると思われますか?