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二次元と現実についての私の矛盾について
- 私はアニメ漫画ゲームが好きで、二次元と現実を区別している矛盾に気づいて反省しています。
- 海外の影響を受けすぎて現実との差異に悩んでいます。
- 自分自身の理想のボディタイプに対する劣等感もあります。
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質問者が選んだベストアンサー
>なぜ、私は矛盾した考えでああいう質問をしてしまったのでしょうか? それは、自分のなかで整理できていないことが整理できていくことが快適だからいったん質問してみたということじゃないですか? あまり気にすることじゃないんじゃないかと思います。 自分にとって楽しめる作品はどこにあるのか?そのために、いろいろな作品を見比べて考えていくことは楽しいじゃないですか。 自分の嗜好の整理をして、作品の作られ方・スタッフの組み合わせがフィットした場合は本当にうれしいでしょう。 どんどんやりましょうよ。 これからの書き方に不安があるなら、こうしてみるというのは、いかがでしょうか。 実際に起きたことと時代を代表する作品の関係を書いて整理し、自分の主観や考察はそのうしろに断定しないように書いていくとそれらしくなると思います。 例えば・・・ 海外と日本では文化が違って教育が違ってと、作り手も受け手も違う前提を持っていて面白いですね。 また、ある国の作り手がある国の絞られた受け手のために作った作品と、ある国の作り手が全世界・全世代の受け手を意識して作った作品の間にもかなりの差があると思っています。 日本では漫画は劇画と漫画にわかれていて、劇画的な絵は80年代からはだんだんギャグ扱いになってきて、いったん消失したのではないでしょうか。例えば『ジョジョの奇妙な冒険』の3部までは劇画のイメージが残っていますが、以降はだんだん違ってきました。 エヴァンゲリオンが流行したあたりからアニメおたくではない普通の人もアニメについておおっぴらに語るようになりました。 今では「ガンダム芸人」とかいろいろいて考えられないけど、昔はテレビに出てくる芸能人たちは「キミはその年齢でまだアニメをみているのか?きもちわるいぞ!卒業したらどうか!?」というようないじりをしていました。 ということは、アニメ自体の需要が広がっているという風に広くとらえられているということになり、だんだん普通の人の目にも耐えられるような作品作りが行われるようになったのではないでしょうか。 日本では絵について単純になっていく方向性というのがあったのではないかと思います。 ディズニーのアニメ作品などが好きだった漫画家の手塚治虫さんが1960年代にテレビアニメにも進出して以降、ディズニーより少ない枚数の絵でお話を伝えていく技が磨かれたと言われています。これは毎週放送というノルマに耐えるために作業量を減らしていく必然性があったからではないでしょうか。
お礼
無知だったから、参考になりました。 アドバイスや指摘ありがとうございます。 やはり、人それぞれなんですかね。 回答ありがとうございました。