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【秋元康】美空ひばり、AKB48の作曲家、総合プロ

【秋元康】美空ひばり、AKB48の作曲家、総合プロデューサーの秋元康は高校2年生のときにテレビの放送作家としてデビューしている。 とありますが、高校2年生でテレビの放送作家デビューってどういう経緯でなったのですか? 高校2年生で放送作家になれるのですか?テレビの? 何があったのですか?

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  • chiychiy
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回答No.1

こんにちは テレビじゃなくラジオですね。 投稿がきっかけです。 当時を知っている年配の方から聞いた話では かなり発想が面白かったそうです。 >土曜日の深夜に放送していた、せんだみつおさんの 『足かけ二日大進撃!』に投稿したのが最初でした。 受験勉強の合間に聴いていたんですが、 特に募集があったわけでもないし、 ハガキ職人だったわけでもないのに、 平家物語のパロディを書いて送ったら、 放送作家の奥山侊伸さんが「おもしろいから遊びに来ないか」と。 https://www.tfm.co.jp/garage/guest.php?id=273&no=2

asuszenphonemax
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  • smi2270
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回答No.2

こんばんは! 放送作家になった経緯です。(ウィキペディアより抜粋) 高校2年生の冬の夜、ニッポン放送『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした『平家物語』のパロディを受験勉強用に用意したノート20枚にわたり書き上げた(当時同番組には「せんみつ深夜劇場」という名作古典文学のパロディのコーナーがあった)。募集されていたわけではなかったが、同級生の薦めを受けそのノートをニッポン放送へ送ったところ、社員の亀渕昭信(のちに社長)と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まった。このような経緯の後、ニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり同グループに所属した。 余談 作曲家としては、放送作家時に今は亡きやしきたかじんさんに弟子入りを申し込んで断られたが「この歌詞に目を通してください!」と懇願し、たかじんさんは目を通したらしいですが 作詞家としての才能がないと判断されたそうです。 そこで一念発起し作詞の勉強をしてようやく芽が出たのですよ。