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物の存在が認識されるのはそれが役にたたないとき?
人や物が失われて改めてありがたみが身にしみることがありますが、それほど重大な事でない場合では、かえって物が存在することが意識されるのは、それが当座必要でなかったり役に立たないときでしょうか。ご経験からご教示いただけると幸いです。
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邪魔な時じゃないですか?
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- keaget09
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回答No.3
kaitara1さまおはようございます。雨音です(*´∀`*) 元カレさんの影響で 将棋をたしなんでおります。 質問の趣旨と合うかどうかはあれですけど。 歩っていう駒は ないときにそのありがたさがわかるもので、中盤戦では 『歩と交換か。金の方がよかった。』とか思っちゃうのですけど、終盤戦になると『歩がないのか。角であいごま。もったいね~』と思います。 どうでもいいときはたくさん入るのに、ほしいときに1枚もなくて そのありがたさがみにしみます。
質問者
お礼
私も将棋を指しますが、お話を伺い、小銭入れの中の一円玉を思い出しました。
- j3100-pips
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回答No.2
布団に入って雨の音を聞くと、屋根のある家の中で眠れる幸せを感じます。 夏は急に雨が降り出すことがあるのでバイクには雨具を常備しています。備えあれば憂いなしです。 冬、外から帰ってストーブにかじりついて暖まる時、ありがたいものですよ。
質問者
お礼
基本的にはありがたさ、ありがたみが分かる心なのでしょうか。
お礼
おっしゃる通りです。そのものが必要な時は邪魔でないというのはその存在は忘れられているというような感じがしないでしょうかという質問でした。