どのみだらで薄汚れているオスにも汚されていない綺麗さ、美しさ、純白感というものは、永遠の熱望。
そして多くの女性もそれを望むのは、ウェディングドレスや文鎮高島田の白無垢にもそれが象徴されている。
人間と言うものは、年齢を重ねる毎に不純物に、不純者に浸り汚れて行くもの・・・・キス一つ取ってみても
中年、老人としたいとは思わないものだ。
何故なら、腹の奥深くから湧き出て来るような悪寒の匂い、カス、ウィルス、バイ菌の類を感じるからだ。
そういうものが身体の各部に沈殿している。
そういうものが一切まだその体を蝕んでいない状態と思えるからだし、他の男の精子などの一部を保管して
しまっている状態を一般的にむかしから「汚されている」 と称していたのだ。
多くの精子の遺伝子情報は死んでしまっているとしても、一部の精子遺伝子は、身体の内部や精神的な支柱
として、思い出として、その女性に宿っていても不思議は無い。
つまり、そのような他の動物のオス遺伝子が残っている状態に男は我慢がならないのだ。
身体を洗う、何事でも自分を清める、清潔を保つという行為の中にも、清いものを求める心が私たちの奥底
にはあるのです。
だから全くの純白を求めるのは、永遠なる憧れなのである。
汚れている女性とsexを行えば、その瞬間にまた自分も汚れることになるのです。
良いか悪いかは別にして・・・・大人になる事はイコール純粋な心を失って、汚れて行くとも言えます。
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参考になりました ありがとうございました