• 締切済み

バトルロワイヤルと彼

たまたま付き合っている彼とバトルロワイヤルの話をしていたら、彼のことを信じられなくなってしまいました。 もし自分に小学生ぐらいの子供がいたとしたら、普通の親は、バトルロワイヤルのようなものを(映画に限らず、暴力的なもの)を見せても問題ないと考えるのでしょうか? 私はなるべくなら見せたくありません。どうしても子供が見たいと言ったら見せますが、絶対一緒に見て、きちんと説明しないといけないと考えます。 しかし彼は、メディアが社会に対し悪影響を及ぼさないという学説は50年も前に証明されているし、そのようなものを見て、もしおかしなことをする子供がいたらその子が悪い(親の教育ではなく、その子の資質がという意味で)、と思うそうです。 私には子供はいませんが、上に書いた自分の意見が当たり前、子を持つ親なら誰でもそう思うだろう、と思い込んでいたので、彼の意見を聞いた時とてもショックでした。 みなさんは、どのような意見を持つのでしょうか? 時間がある方、教えてください。

みんなの回答

  • miki12
  • ベストアンサー率28% (720/2495)
回答No.13

私が小さなとき、親はヤクザものや戦争物を みていましたけど(TVで)私はヒトを殴りたいとも 思いませんし、殺したいとも思いません。 いいつめれば本人次第ではないでしょうか。 その本人(子供)を育てた親がどのように育ててきたか 慈しんだか、それらで違ってくるとおもいます。 暴力?映像問題にかぎらず、大人(親)は 性の問題についてもおなじことですよね。 興味をもったときに目隠しして見せない、知らせない ことは簡単ですがそのあげく妊娠も避妊もわからないで 平気でセックスしてます。 親にしてみれば学校が教えればいいといいますが 親の、家庭のなかで教えなきゃいけないことです。 いやなもの、くさいものにフタをすれば一時的に 存在を忘れることはできますが、子供が興味を もったらどんな方法でも見たがったり、知りたがります。 だって子供は好奇心のかたまりなんだもの! そのときに親がきちんと対処しないといけないと おもうのです。 (できれば、そうなる前にね) 私は思うのですが・・・実写版だからだめですか? アニメだって戦争したり殺したり、またゲームだって ゲームの中でヒトを殺してますよね。 みんな同じですよ。 でも実世界のなかではどうするか、どうなるか どうしてか、ということを知っている子供は ゲームオタクだろうがアニメオタクだろうが ミリタリーオタクだって趣味は趣味として楽しむだけ です。 よくいわれるけど、ゲームのせいで子供が殺人を おかした、なんてありますけどね。 その理由で言うならば100万本うれてるなら 10万、もっと少ないとして1万人?くらいの子供は いつヒトを殺してもおかしくない、ということですから そうこじつけて考えることがおかしいとおもうのです。 バトルロワイヤル、ああいう内容ですけど 所詮、作った(作られた架空の)世界です。 現実にはない、とわかってる子供も多いでしょうね^^

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.12

どうせ、見せるなら、本物の死体、本物の戦争、生の惨劇のほうが自然だと思います。 人間も自然界の生物ですから、やはり受けるストレスも、天然(自然)のもののほうが良いと思います。変な自然派ですが^^ 「作品」というフィクションで育つことは、やはり怖いと思います。 モルモットを使った動物実験のようなものですよね。 と、言ってる、私も、十分フィクションの世界に感化されているんですから、自分自身を信じられないんですが・・・。 やはり作品を見せるからには、成長過程、脳の成長も関係してくると思います。 今や、脳科学も発展していますから、文部科学省も、脳科学を活かした教育システムの研究に入っているようなので、遠くない将来、いろいろな規制も出てくるでしょうし、教育、文化の環境が大きく変わると思います。

  • 160614
  • ベストアンサー率35% (19/54)
回答No.11

ショックだったんですね、お気の毒に。 私も経験があります。こちらがどぎもを抜かれるほど相手と考え方が違うと悟ったときは、 頭の中が真っ白になったものでした。 結婚したら、こういう互いの感覚のずれは日常茶飯事です。 仕事のことや、育児のことや、親戚とのつきあいや、その他もろもろ。 男性と女性の感覚の違いはいかんともしがたいです。それは男女差別という以前の問題として。 バトルロワイヤルを肯定的に見るのは、男性の方が多いんじゃないでしょうか。 (女性に比べて、直接育児に関わる時間が圧倒的に少ないですしね) 私はアンチBRなので、肯定派には食ってかかりたいクチですけれども、 本人が面白い、意義があると感じる以上は、隣りでいくら言っても仕方ないのかな、と ちょっとあきらめています。 感じるものを感じるな、と強いるのは難しいですもの。 肯定派の男性の知人が、私の周囲に何人もいます。(あうう) そうなると、もはや自分だけがカッカしてるのがばかばかしい。 だから、そのときはあなたもショックだったかもしれないでしょうけど、 それほど心配されることはないと思いますよ。 大丈夫、育児の優先権は、たいてい母親が握ってるものですし♪ それよりも、おつきあいが進む中で、こうした感覚のずれが1つ、2つ、3つと増えていったら 心配だと思います。 妥協できなくなるほど増えてしまったら、一緒に生活することはできません。 おつきあいをしている間に、いろんな分野でさりげなく話をして、 トータルしてこういう考え方を持つ人なんだ、と彼を見極めてみてはいかがでしょうか。

noname#7335
noname#7335
回答No.10

こんにちは。 時間のある人なので書き込みさせていただきます。  メディアが社会に悪影響を与えないという学説が50年も前に証明されているというのは知りませんでした。質問者さんの彼に逆に教えていただきたいぐらいです(自分でも調べますが、その学説の提唱者の名前くらいは)。  私は一度義務教育年齢の子どもに接する経験をしたことがありますが、まだ小さいのに、同じひとつの対象物(この場合、単なる「物」でなく、個々に感想を用いる、書籍や映像データと考えてください)に対する感想、またそれを表現しようとする積極性の高低など、多種多様で、あらためて「個体差」というものを思い知らされました。  「教育」という言葉の語源(エデュカーレ)は、その子どもに「教え込む」というより、「引き出す」ということだと聞きます(引き出すために教え込むことも大切ですが)。「子どもの資質を引き出す」と言う見方からいくと、いくら学説が「メディアは『社会に』影響を与えない」となっていても、「メディア(質問者さんの対象は「BR」なので、少々概念が異なると思いますが)が、結果的に、ある子どもが成長過程で十分に知恵が発達しておらず成長していないがために暴力行動をとる可能性のある時期に、その子どもに対して『影響』を与えた」という場合はあると思います。同じ暴力的映像を見せて、ある子どもは嫌悪感を示すが、ある子どもは何も言わないがその本質(暴力)に興味を示すということはありえると思います。  本と違って、映像にはややもすると考える過程はあまり必要とされません。それだからすばらしい感動を呼ぶ作品ももあるんですけど。考える能力をもつ十分に成長した人(これは年齢にあんまり関係ないと最近私は自戒しているんですが)が考えながら映像を見ることはできますが、未成熟な人(子ども)はただ受け入れてしまう。  映画に関しては、絶対見てはいけない年齢の設定されているものと、一定年齢以下の子どもには親の同伴・指導のもとみせると決められているものがありますけど、後者については、質問者さんが親御さんになったら自分の子どもをみて、見せる見せないを決めたらいいと思います。まだ物の見方がふらふらしている子どもが、親の知らないところで変なものを見て途方もない感想を持つのを野放しにするより、まず親がひとりで見て、それから子どもと一緒に見て、ガツンとこの映画はここれこれこういう理由でお母さんはよくないとおもう、と教えておく。相手が子どものうちしかそういうことはできない。大人にこういうことしたら、「管理」になっちゃうかもしれないし。  質問者さんの、どうしても子どもが見たいといったら一緒にしっかり見るというのに賛成です。(世間にはこういうものが、映像に限らず、一杯あって、自分の責任で選んでいかなくちゃいけないということを教えるさりげない上質な映画があるといいんだけどなあ、子供向けに)。  以上、知ったかぶりちゃんの意見でした。書いてて恥ずかしいけど。    今お付き合い中の彼とは、そのときになって、おふたりの子どもをしっかり見て、ある映画を見せる見せないに限らず、「この子には、見せてもいいと思う?」って思い切りお話し合いすればいいんではないですか?  知り合いの人から聞いた話ですが、教育熱心なフランス人の夫婦は、家庭で食事をしながら、自分たちの子どもの教育に関する話、この子は最近こうなのでこれではいけない、こうしたい、とかいう話題だけは、食卓で「英語で」話すそうです。子どもの顔を見ながらっていうリアリティを持ちながら、子どもにはわからない「英語」で子どもに関する意見を交換する。日本にそういう第二言語があればいいんですけどね。  長くなりましたけど、最後に。  北野武映画監督は、「あなたの(暴力シーンのある)映画を見ることによって、子ども達が暴力的行動に走った、といわれる可能性についてどう思いますか」という主旨の質問に、「俺の映画には確かに暴力シーンのあるものもあるけど、(観客が)見て痛みを感じるように作ってあるから大丈夫」というように、自信を持って言い切っておられました。なるほどさすが、と思いました。同じ「人を殴るシーン」でも、こんなふうに自分がされたら痛いだろうなあと思ったら、確かに簡単に人に真似はできないでしょう。いい映画たくさん見なさい、と言った故淀川長治氏がひいきにしただけのことはあるなあと思いました。BRは彼のような人に創ってほしかったですね。    

回答No.9

この映画は「賛否両論」ある有名な映画ですよね。ということは賛と否の意見が当然あるわけです。 それを交際相手の意見が自分と違った!と「彼が信じられなくなる」ほどのショックを受けているあなたが、子どもがどうしても見たいと言ったら見せるんですか?もっと自信を持って「R15指定を受けるほどの暴力的な映画だから小学生のあなたには見せません。」とわが子に言えばいいと思います。 それで夫婦意見が合わなくてもいいと思います。お父さんは自分を信用してくれていると思うでしょうし、お母さんは暴力が嫌いなんだと思うでしょう。 私も痛いシーンが苦手で、バトロワの予告を見た時に不快感があったので、子どもが15歳以下の時には「R15指定だから借りれないんだよ。」と見せませんでした。15歳を過ぎてからは「私が見たくないものにお金は払わない」と言って借りてやらなかったので結局自力で借りて友達と見たそうです。 で、どうだった?と聞くと、暴力的なシーンはあるけれど、それだけではなかったよ。とのことでした。 私は自分が怖くて痛いものが嫌いなので、わざわざ見せないし、見ても、ぎゃ~、怖い、痛い!と横でわめきますが、指定が無い限りとめたりはしません。映画、ゲーム自体が直接凶悪な犯罪につながる悪影響を及ぼすのではなく、育った環境と本人の資質が問題だと思っています。

回答No.8

小学生と中学生の子どもがいます。 メディアが社会に対し悪影響を及ぼさない、というのはかなりあやしいですよ。今回の選挙だって、「小泉はこれでいいのか」とメディアがかなり煽った部分があるはずで、無党派層の民主ながれはその影響が大きいと言われていますから。 それはさておき。 うちでは親ふたりが暴力的なことがぜんぜんダメで、子どもが見たがるTVに暴力シーンがあるときは、「こういうのはよくない、我々は好きじゃない」とコメントを入れています。「少林サッカー」のボコボコにされるシーンですら、わたしが顔をしかめてそむけているのを子どもたちは知っています。 もし両親がバイオレンス映画が好きで、しょっちゅう喜んでみていたら、子どもにはそういった表現に対する耐性ができてくるのではないですか? わたしたちの反応は、どちらかというと過剰で、かえって子どもに暴力に対する拒否反応を植え付けてしまいそうですが(でもイヤなものはイヤなので…)、子どもは親から価値観のベースになる基準を学び、そこから自分の価値観を育てていくのだと思っています。 見せることを否定するつもりはありません。それについて親がどう考えているか、子どもにちゃんと伝わっているか、が大切なのだと思います。その意味では、#5さんの対応はきちんとされているのだと思います。

回答No.7

 確かにメディアは悪影響を及ぼさないという学説も出ています。でも、「メディアの与える悪影響」に関する論文の数はそれに勝るはずです。また、メディアに関する学説は今のところ本当に確実な証明方法がないので様々な考えが氾濫している状態です(メディア論は人類の文明が絶えるまで研究が絶える事はないでしょう)。ですから、そういった学説が全てだということでは決してありません。  年代の話から言ってもテッド・ベア博士などに始まり、ずっとメディアの悪影響は考えられてきたことです。  また、現代社会においてはメディアは悪影響を与えうるものだと解釈されています。メディア規制法案などはそこから生じたものです(私は全体的に反対ですが)。  私はメディアは両方の面を持っていると思います。バトルロワイアルは、決して暴力的な描写だけではありません。 17歳のころDVDで一人で見ましたが、それなりに感じるところはありました。逆説的に暴力の陰惨さを教えられたような気がします。(深作監督は戦争時に自分が体験した事柄によって、生涯暴力についての映画を撮られるようになったのだそうです)  しかし、本当に全ての人が逆説的にそれを捉えられるのでしょうか。その理解力は年齢には関係ないと思います。  暴力の映像を見て暴力をしたくなる人もいれば、暴力の恐ろしさを感じる人もいるのです。(ここに反論のある方は多いでしょうが、あくまで自分の考えです)  その感性に影響を与えるのもまたメディアや身の回りの環境です。(その身の回りの環境というやつにメディアも含まれるのではないでしょうか?小学生だからどうとかいう問題じゃないのです。)  本当は年齢で規制できるほどメディアというのは単純なものではないはずです(だからといって遺伝子的性質などでそれを制限すれば人種差別になりますけど)。  自分の子供にポルノや陰惨な場面を見せたがる親などどこにもいないはずです。多分、彼氏だって本当に親になればメディアについて子供と一緒に考えていくのは親としてのひとつの責任だと気づくはずです。(偏った自分の意見ですが、それは現代の親にとって必要な資格だと思います。)    でも、だからと言って「彼氏を信用できなくなった」というのは、僕はあまり感心しません。なぜなら、luvkuroさんだって、彼氏だって今までたくさんのメディアに影響されて(メディアが全てではないですが)、本であれテレビであれ、たくさんのイメージを与えられてきているでしょう?それによってあなたの考えも個性的なものになるし、彼の考えも個性的なものになる。そんなあなたたちに意見の相違があるのは当然のことです。まして、メディアによる影響を受けてきたあなたたちだからこそ、ことメディアについてはいろんな考えが生まれるのです。  あなたの考えが彼と違っているのなら (1)このまましこりを残したまま付き合う (2)お互いに自分の考えを納得できるまで話し合う (3)意見が合わないので別れる のいずれかの選択肢を選ぶことになるでしょう。(もちろん(2)がおすすめですけどね( ̄w ̄)うまくやって(>_<) )  バトルロワイアルについてのメディア論を書いた本が確かどこかにあったはずなんですがオンラインショップで探しても見つかりませんね… あったとしても大して役に立つわけではないのでしょうけど、そういうものがあったということだけ報告します。 長文になりましてすいませんでした

  • bbmau
  • ベストアンサー率29% (27/93)
回答No.6

暴力的なテレビ、映画等が社会的に問題になっていますけど、そういうものを見た=おかしな子供になる、とは思いません。 メディアが直接的な原因ではなく、子供自身がそれを現実にやっていいことなのかを判断する能力が低いのでは、と思います。 ですから見ること自体を禁止するよりも何が良くて何がいけないのか自分で考えさせるようにすることが育てる親としては大事なのではないかと思います。 と生意気に言いましたが私も子供はいません。

luvkuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。

回答No.5

賛成意見ばかりのようなので、反対意見を述べさせてもらいます。 人それぞれ色々な考え方があり、なにが正しいとか一概には言えません。 例えば、僕には小学生の子供がいますが、暴力的な映画を平気で見せています。なぜ見せているのかというと、親(すなわち僕)がそういう作品づくりをする商売で飯を食っているからです。僕は自分の仕事に誇りを持っていますので、子供には作品からなにかを感じ取って欲しいと思い、ありのままを見せています。世の中には、逆に子供の教育のためにと、そういう映画を見せている親もいるのです。 人にもよるのでしょうが、自分の子供が映画を見て「人殺しをしてもいいんだ」と錯覚するほど、ばかじゃないと思っています。だから別に心配はしていません。

luvkuro
質問者

お礼

アドバイスありがとうございました。 shikakuhonpoさんはすばらしいお父さんですね。 >>人それぞれ色々な考え方があり、なにが正しいとか一概には言えません。<<この考え大事ですよね。 彼氏という近い存在であったせいもありますが、違う考えを受け入れられなかった私は浅はかだったと思います。 貴重なご意見ありがとうございます。

  • capelatta
  • ベストアンサー率53% (292/541)
回答No.4

#3です。 あぁ!自信なしで回答しちゃった。 恥ずかしい。 僕なりの結論という事で、"自信あり"です。

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