こんにちは。
読ませていただきました。
そうですねぇ、それほど困ったことにならなければよいのではないでしょうか。
統合失調症とはいえ、これらの行動には目的があるのだと思います。
どういう目的かは人それぞれだと思いますが、歩き回るということは、それなりに力のいることですから、無目的に歩き回るということはないのではないかと思います。
沖縄のユタという祈祷師や霊媒のような人たちがいるのですが、この人たちがユタという仕事をする前には、島中をあてもなく歩き回るという行動をするといわれています。
島民もユタになるのだろうと思い、温かい目で見守るといわれています。
また、琉球王朝においては、首里城の周りに迷路のように張り巡らされた修行の歩道があり、神聖な場として立ち入りを制限されていました。
ほかの例としては、古代ギリシャのアリストテレス学派は、逍遥学派といわれ、逍遥とは歩き回るという程度の意味ですが、歩きながら考えたり議論をしていたといわれています。
インドのヨガには走禅といわれるものがあり、歩く事もまたヨガなのだという考えがあります。
私の住んでいる四国では、お遍路が盛んですが、仏教の修行でも歩き回ることは大変重要な修行であり、実は歩くこと自体がセラピーのプロセスと同じだと私は考えています。
東洋人は大変良く歩く人たちで、多分欧米の人たちよりも長距離を歩くのではないかと思います。
すこし横道に入りました。
脳のネットワークは、歩いている時に相当活発に機能するのだといわれており、この時活動しているのがデフォルトモードネットワークDMNといわれているものです。
多分、統合失調症においても、歩き回っている時にかなりこのDMNが活発に機能しているはずで、歩くことで内面の何かを統合しようという目的が働いてるのではないかと考えられます。
当の本人はどういう目的で歩いているのか自覚がないでしょうし、そのため周囲も理解に苦しむのですが、温かい目てみて上げられればいいなぁと思います。
なかなか難しいとは思いますが。
吉田 修(@osamucom0409) プロフィール
産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会)
吉田修(株式会社Dream・Giver)
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