• 締切済み

自分の感じた事を素直に絵に描ければ、人々を感動させる事ができるんですか?

最近、音楽を聴きながら絵を描いているんですが ふと、思う事があるんです。 どの歌手も同じような事を歌っているなぁ 等身大の自分、日々の出来事・・・・ なるほど、地に足がついた曲が人々の心に同調して ヒットを飛ばすのでしょうか? サイケ・メタル・パンク・トランス・・・などなど 音楽も色々出たけど、結局こういうポップスに 落ち着くのかも・・・ そうすると、絵も同じで、 写実的なものは重すぎるし、かといって 抽象的なものは解らないし、そうすると 具象的なものはどうでしょうか? 皆さんは、どう考えます? 本当は、こんな事、考えないで、素直に描ければ 一番いいんですけど・・・

みんなの回答

  • usagikun2
  • ベストアンサー率28% (52/182)
回答No.12

音楽も絵も各自の好みでしょう、名画と言われる物を見ても感動しない事の方が多かったりします、また、多くの場合生前中は認めてもらえなかった画家がどれほど居たことか、私も数枚お気に入りが有りますが将来名画になるかもしれないと思っています♪  絵も音楽も自己表現だと思います、それを評価するのは自己評価だったり他人の評価だったりしますが、・・・取りあえずは、自分の気持ちを率直に表せば良いのではないですか、評価など気にせず。

  • lokkoop
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.11

ぶっちゃけ絵にしろなんにしろ、人々の好みなんて個々で違ってるし、 しかもそれがかなり、流行などに流されたりしていい加減なので 本当は誰が一番いいのかなんて誰も分からないんです。 じゃあ、どうしてポップスのような定番ジャンルが出てくるのか? どうしてそればっかりがみんなの目を引くようになってるのか。 やっぱりそれは質問者さんの言う通り、「地に足がついた曲が人々の心に同調して」いるからなんだと思います。 自分と「共感」しやすいものが、自分の好みなんだと錯覚してしまう。 ですが、共感=感動ではないと思います。そこらへんは分かりますよね? このようなジャンルで本当に感動できる作品は、作った人がすごく素直に力を入れた作品か、制作会社の意向を巧みに組み込んだ合同作品のどちらかです。 他は自分が共感できるがゆえに、ダラダラと持ち続け手放さないものばかりだと私は思います。 共感しやすいからといって、そのジャンルっぽさを無理に出そうとすると、余計ちぐはぐになって感動なんか生まれてくるはずがありません。 ほかの回答者さん同様、感動させたいなんて思って描いた絵には誰も感動しないですよ。 んで、本題に戻ります。 <自分の感じた事を素直に絵に描ければ、人々を感動させる事ができるんですか? もちろん可能です。というか、そのほうが可能性が高いです。 必ず自分が納得する作品を描くこと。 人間の世界観は一人に一つの世界でしか見れないのですから、 他の人から見た世界観を見たい、それらを表現した作品を見たいという関心はあると思います。 これは、最初に描いた「共感」とはまた正反対な感情で、昔から続いてるものかつ、無限の可能性があります。 だってその人しか体験できない世界を、他の誰が詳しく表現できますか? あなたの見ている世界観は、他の人には真似出来ないオリジナルなんです。その世界で感じたことを素直に表現することは、ほかの人達にとって未知の世界も同然。たとえ同じものを見て同じ感覚を持ったとしても、それをどう表現するかでだいぶ印象が違います。 絵を描く基礎やデッサンは、その表現をどれだけ淀みなく、多くの人に伝えることができるかということで生きてきます。 なんか収拾つかなくなってきたのでこの辺でやめときます。 少しでも参考になれば幸いです。 あと参考までに私が感動すると思う画家の公式HPをいれときます。 自分の中では一番感じた事を素直に絵に描け、人々を感動させる画家だと思います。 この絵が怖いと思うか美しいと思うかはあなた次第です。 この画家さんは絵を描くときに、何も理屈を考えていないそうで、描いた理由もなく、自分でもわからないそうですよ。 ちなみにこの人は普通の人で、見た目ただのおじいさんにしか見えないのに、こんな世界を見てるのは衝撃的でした。 ではでは。

参考URL:
http://bp.cocolog-nifty.com/bp/2007/07/zdzilsaw_beksin_fe0f.html
  • rumsyu
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.10

自分が思うままに突進していけば、自分の分身である作品が出来ます。 私はいつもそうしています(#^^#)

noname#161684
noname#161684
回答No.9

私は 作品を視る時あるいは創る時 写実的,抽象的,具象的 という区別がありません 私が主に基準にしているのは リアリティ という点のみのような気がします それは 真実 というものとは違うようです 等身大 という言葉に近いような気がします 変な例えですが誤解を恐れずに申し上げますと 聖書を持っている人が自身を鏡に写してみた時 鏡に映るのは聖書を読んでいる自分なのです(=自分を見れていない) 等身大 というのは 鏡に映った自分の瞳の奥を凝視する ことのような気がします 自身の持つ欺瞞を見つめると言いましょうか。。。 私が想起するのは宮澤賢治の 心象風景 という言葉です この言葉の地平には 写実も抽象も具象(というテキスチュア)も存在せず あるのは 存在のリアリティ だけのように思えるのです 表現 という言葉を定義することは私にはできませんが どなたかがおっしゃっているようにプロなら感動は与えようと思えば与えられるし かと言ってそのセン狙いが見え見えではイヤらしく感じさせるだけで感動させられません(そうであってはその道の職人とは呼べません)  「同じようなこと」「人々の心」 あなたはマジョリティのことを言おうとしているのではなく普遍性のことを言おうとしているのではないかと 私は解釈します 普遍性 というのは 絶対価値 でしょうか? 流行りであったり一過性のものとしてはあるかもしれませんよね  極端な例で言うなら 人殺しが咎められないケースが時代と国によってあったということです 私が漠然と感じる普遍性というのは DNAであったり地球が存在するということであったり宇宙の成り立ちであったり食物連鎖や化学変化あるいはヒトが持つであろう死生観 というような全ては生き死にあるいは始めと終わりがあろうもの に関連することです 琴線に触れる 感動するポイントは人によって違う ということはどうやら間違いないのでは? 私は思います 「こんな事,考え」ながら 絵描いたって良いんです 「一番いい」描き方なんて 人それぞれなんですから 悩んだりナンカ考えながら絵かいちゃってもいいぢゃない 他人が感動する作品というのは 芸術家の個人的な難産によるものが圧倒的に多いんです それがマジョリティへ浸透していく 長々と散漫に書いてしまいました まとまらず 生意気言ってすみません なんとなく 書きこみたくなって書いてしまいました 参照できるようなことを一言も書けず すみませんでした 言う者は知らず 知る者は言わず つまり私は 通りすがりの知ったかぶり といったテアイです

  • hamathaco
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.8

私も趣味で絵を描いたり文章書いたりしてます。 ときどき自分の中にぶわーっと湧いてくる感情があって それを言葉で伝えたり言葉で伝えきれないときは絵にしたりと 伝えたくなる何かををどうにかして 表現したくなります。 そういうときはあまり誰かに感動してもらおうとか ほとんど考えてません。 ちょっとナルシスト的ですけど 自分で自分の作品に感動して 泣きながら創ってたり、ニヤニヤ笑いながら創ったりと 結構変態的です。(笑) ある種の神懸り状態になったりもします。 かなり楽しんでます。 気持ちばかりが先走って 技術が追いつかず、ド素人な作品になって こんなの人には見せれないわーって自己嫌悪になります。 けれど不思議なもので 本気で創ったモノって、そのときの感情や伝えたいことが まるまんま伝わることが多いのです。 そんなつもりもないのに目の前で 友人を泣き崩れさせてしまったこともあります。 自分でもビックリしちゃいました。 伝えたいことがしっかりあれば どうやったら伝わるかっていうところは 無意識で模索していけるものなのかもしれません。 私も、いろんな音楽や絵やら聴いて見て 表現方法が違っても底辺のメッセージは 同じこと考えてるなと思います。 でも、それは自分にとって感動する部分が同じなんだと思います。 だから貴方が音楽を聴いて感じる感動の中に 貴方だけが持ってる価値感があると思うのです。 その価値観を見つけて表現していけば 貴方に共感してくれる人が向こうからやってくると思います。 同志として応援しています。 創作活動がんばってください。

  • myam
  • ベストアンサー率14% (1/7)
回答No.7

ずばり。言・う・わ・よ。 絵を描くという行動の目的を考えたらいいと思う。 たくさんの人がいいと賞賛してくれるような 絵を描きたいのか (人は誰しも自分の事を 認めてほしい願望を持っているので) それとも 自分が思うがままに自分がいいと思うような 賞賛は得られないかもしれないけれど 自分のやりたい事を貫くのか (簡単にいっちゃうと自己満足の為か) 人間関係でも言えるけれど みんなに好かれようと思って 自分を周りに合わせて ふるまいや服装や言動を行うか それとも 自分のありたいがままの信念を貫いて 結果、自分を理解してくれる人は 少なくても自分のスタイルを貫いて 少ない理解者との共感をとるか あなたのスタイルや価値観 絵を描く意味を考えたら どうすればいいのか見えてくるかも。 流行りに合わせて生きていきたいっていう 感じの価値観ですか? 自分のスタイルを守る価値観ですか? 絵を描けるって、素敵ですよ。 そんな才能があるなんて 私はとても羨ましく思う。 絵を描いて自己表現してみたいです。

  • 160614
  • ベストアンサー率35% (19/54)
回答No.6

質問のタイトルそのものについての私の考えですが、 素直に描かなくても、感動させることはできると思います。 だって、プロの方々は絵に限らず小説に限らず クライアントや出版社の意向に沿った作品を強いられるものだからです。 街角の看板の絵を見て感動したり、 人気小説を読んで涙することもあるでしょう? それらは100%クリエーターの思惑通りの作品であるとは限りません。 おつきあいさせていただいているある小説家の方は、 せっかく書いた小説のど真ん中に、 「この本が売れるためには、このあたりで恋愛のエピソードを入れるべきですね!」 と編集者に命令?されて、 自分にはどうしても理解できないその挿入を泣く泣く引き受けたそうです。 普遍的に自分の作品が受け入れられて、大きな感動を呼ぶことができれば それはそれで嬉しいことかもしれないけれど、 自分の情熱がそのために上滑りになって、本当に描きたいもの、 描いていて幸せだと思う実感が伴わなければ 徐々にストレスを抱えることになりますよ。 そうなると、 どう製作したら人に受け入れられるだろう、 という疑問どころか、 なぜ私は絵を描くんだろう? などと、根源的なところから訳がわからなくなってしまいます。 ほとんどのプロの人は、仕事の陰で、 誰にも口出しされない、自分が製作したいものを思う存分作ってみたいと熱望しているはずです。 プロとなるまであらゆる修行をしてきて、 もういくらでも自己表現するテクを身につけているのですから尚更です。 そのためにはたとえ、体力が尽きていようがあまった時間で自分に贅沢な作品をつくりたい、 それは他人にどう批判されても構わない、というくらいの、 精神的な飢餓状態にあるのではないでしょうか。 制約を受けてこその、自由への憧れなんです。 絵にしろ、彫刻にしろ、音楽にしろ、 ものを作るということは、 自分自身の解放だと思います。 これを描きたい、表現したい!という情熱があるかどうかです。 作品の技巧がどうというよりも、 何よりも大事なのは、そういうメンタルな部分こそです。 作品にそれが反映されていないと、まず人を感動させることはできないし、 抽象画、写実画を問わず薄っぺらい作品になってしまいます。 まず、思いありきです。 その形無いものを、どう表現するかが 絵を描くことの醍醐味ではないでしょうか。

  • rune2
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.5

NO.2さんに賛成です。 人を感動させるもの、ということに固定観念はないと思います。つまり人それぞれでしょうね。 その絵や音楽に触れて感動したかどうかはあくまでも結果であって、それを前提に創るものではないと思います。 また本当は絵に写実だのなんだのという区別はないということです。 もしいうとすれば絵はすべて抽象であるといいます。 そこにただ「物」があるのではなく、描くものの「魂」があるからです。

回答No.4

こんばんは~♪ オイラね、渡米中に「薬草」を経験した事に依って、三次元デザインでA+を取っちゃったのね♪ >音楽も色々出たけど、結局こういうポップスに 落ち着くのかも・・・ オイラは最終的には、フォークに流れ着いたよ♪ メタルやスラッシュは普段は気持ちイイけど、服用中は、過敏になるから、耳がきんきんしてくるのね。 メローな淡いのも良かったけど、やっぱり行き着いたのは、フォークだったよ。 >具象的なものはどうでしょうか? 絵は音楽よりも視覚的に素直に来るので、(音楽はキチンと聞かなくても、どこかで流れていたとしても好みの音楽じゃなければ立ち止まりもしないけど)先ずは絵なら立ち止まって見るから、馴染みやすい印象の何を描いてるか判り易いモノが良いと思うよ。 >どの歌手も同じような事を歌っているなぁ 等身大の自分、日々の出来事・・・・ これは、単純に、『流行』だと思うよ。 流行が大きな波になり、その時代の象徴の音となるんだけど、音楽は絵画よりも輪廻が活発だもんな。 ファッションだって、今になって再び、60年代、70年代のファッションが輪廻してるでしょ。それらは、『一時代を象徴するイメージ』の繰り返しだよ。

  • kn-coro
  • ベストアンサー率25% (49/192)
回答No.3

あなたのおっしゃる通り、趣味として絵を描くのであれば、自分が描きたい物を描きたいように描けばいいと思います。 それが人を感動させるかどうかは問題ではないと思います。共感する人も居れば、何も感じない人も居るでしょう。 私の偏見かも知れませんが、「人を感動させたい」なんて思って描いた絵には誰も感動しないんじゃないでしょうか。