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才能というものに関して
- 夏の甲子園で注目を浴びた清宮選手について、才能の重要性と努力の関係を考える。
- 野球選手にとって速い球を投げる・遠くへ飛ばせるといった才能が重要であり、努力だけでは報われない場合もある。
- 一方で、努力することで才能を超える成果を出すことも可能なので、才能と努力は相互に関連している。
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isokenさん、こんばんは。 >天賦の才、そのポテンシャルがある人の延長線上にだけ努力に依って報われる領域がある isokenさんのおっしゃる通りだと思います。 以前、和包丁の作り方を外国人に見せるTV番組を見たのですが、 和包丁は(日本刀と同じ)鉄と鋼の合板で、硬さと柔らかさ(しなり)この矛盾する2つの特徴が無いとダメ、硬いだけでもすぐ折れてしまうし、柔らかすぎても上手く切れないとのことでした。 (かなり強引かもしれませんが、)つまり、天賦の才と努力、どちらが欠けても良いスポーツ選手に成れないと思います。 『運も実力のうち』と言いますが、才能のある人は、運というかチャンスも多く与えられるような気がします。 しかし、中には、ほとんどチャンスが無いにも関わらず、与えられたそのワンチャンスを活かしてのし上がっていく人も居ます。 逆に、与えられた沢山のチャンスを、ことごとくつぶしてしまう人間も居ます。 日本サッカー界の至宝、キングカズこと三浦和良選手は、学生時代そう目立つ選手じゃなかったそうです。 つまり、どちらかと言えばサッカーの才能は秀でてなかったということでしょうか。 しかしながら、単身ブラジル留学し、ブラジルでのプロ契約からの日本逆輸入、全盛期のゴール決定力は、皆様もご存じの通りです。 ということで、一番大切な才能とは、与えられたチャンスを逃さないこと、そのチャンスをゲットするためにアンテナを張り巡らせ、準備努力できる才能を持っていることなのではないでしょうか…。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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isokenチャンおはようございます 才能ねぇ? 私は先天性だと思っています 後は周り・本人が気づくか、それを発揮する場があるか? 今、オリンピックのロゴが何かと話題ですね あのデザイナーさんには悪いけど「ださっ」って思いました もっと日本らしいデザインか?はたまた度肝を抜くようなデザインか?あったと思うんです 私の好きな画伯でジュンイチ君と言うドローイング画の鬼才がいます 本名小野純一、25歳~26歳 今を去ること15年前、小学生にもかかわらず朝日新聞に載りまして、慌てて画集を買いに行きました 梅田駅に程近い所に「中津」と言う駅があり、「カンテ・グランテ」と言う有名な喫茶店があります そこでも個展を開くようなスーパー小学生 有名なところではANAのヨーロッパのバスの壁画や大阪国際女子マラソンのイベントポスターを手掛け、多数の芸能人の方ともコラボしています それはそれはあどけない顔をしたフツーの小学生でした 今や立派な好青年 「かわいくないなー」ってのが本音ですが、絵画は続けているようです ちょっとお暇がございましたら「小野純一・画像」で検索してみて下さい なかなかのセンスです 本人曰く8歳の時に自由の女神を見てインスパイアされたそうですが、実力もさることながら、ご両親のサポートも多分にあったかと... 子供の才能は無限大ですから、もしご両親が勉学を優先させたら今の功績はないかも知れません それこそ「二十歳過ぎればただの人」 あと、野球つながりですといつぞや西武ライオンズ黄金期の話をしましたね 昨年までソフトバンクの監督だった秋山幸二さんの身体能力も先天性の才能ではないでしょうか? 選手名鑑に「ドラフト外」って書いてあったから、野球が下手な人と思っていたのです 実は大学進学を表明していたからドラフトはお断りしていたようですね 彼のバック宙に何度魅了されたことやら もし、秋山さんが今現役だったら、メジャーでも充分通用すると思うんですがいかがでしょう? あの並外れた身体能力はどこから来たのか?謎です ご両親がスポーツやっていたって聞いたことないし... 才能ってわからないもんですねぇ(^^)
お礼
みったん、こんばんは。 >才能ねぇ? >私は先天性だと思っています 私もそう思う、努力だけでは近づける限界があるんじゃないでしょうか。 >もっと日本らしいデザインか?はたまた度肝を抜くようなデザインか?あったと思うんです >私の好きな画伯でジュンイチ君と言うドローイング画の鬼才がいます そっちの世界はもう本当に分からない、申し訳ありません。 >昨年までソフトバンクの監督だった秋山幸二さんの身体能力も先天性の才能ではないでしょうか? 秋山さんは、恐らくメジャーで通用すると言われた最初のプロ野球選手でしょうね。 >もし、秋山さんが今現役だったら、メジャーでも充分通用すると思うんですがいかがでしょう? 我が国のプロ野球の尺度で言えば、そりゃもう走攻守 3拍子 も 4拍子 も揃った稀有なプレーヤー、私も正直メジャーで通用すると思ってました。 ところがその後一般化した衛星放送に依るメジャーの在り方を見るにつけ、何か突出した才能が無いと生存競争に残れないんだろうなぁ・・と、考え方が変わって来た、平均的に良いじゃあの国では駄目なようです。 回答ありがとうございました。
- ithi
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isokenさん、おはようございます。 いいじゃあありませんか。野球に熱中しながら、そこそこの安定した生活をしているんですから… 日ハムの斎藤投手なんか甲子園のハンカチ王子とか言われながら、鳴り物入りでプロに入団したけど、プロでは全然通用しない状態ですよ。なまじ才能があるからプロへ行ったら全然通用しないというのもつらいものがあると思います。
お礼
ithi さん、こんばんは。 >いいじゃあありませんか。野球に熱中しながら、そこそこの安定した生活をしているんですから… 逆に言えば、それなりの経済環境にあったからこそ、その方向性が可能であったのかも知れません。 >日ハムの斎藤投手なんか甲子園のハンカチ王子とか言われながら、鳴り物入りでプロに入団したけど、プロでは全然通用しない状態ですよ。なまじ才能があるからプロへ行ったら全然通用しないというのもつらいものがあると思います。 う~~ん、注目度が高ければ高いほど、当の御本人にとっては辛いでしょうねぇ。 まさに佑ちゃんの現状がそれ、ちょっとした何かが切っ掛けとなる環境にはないですね、ドラ1での入団は本人にとって少しばかり酷だったようです。 回答ありがとうございました。
isokenさん おはようございます。 昨夜はひさびさに 涼しい夜ですごしやすかったですね。 我が家は、友人を招いて窓をあけて東京湾花火大会を楽しみました。 「下手の横好き」 「好きこそものの上手なれ」 この二つの言葉の狭間で人は悩みながら生きていくのでしょうね。 大好きなことでも、いくらやっても上達しない。普通はそこで「面白くない」 からやめてしまう。自分に向いてないと悟るのでしょう。 逆に後者は、好きということと鍛錬ということがうまくリンクして 人が苦痛に感じる鍛錬が快楽だから、より上達する。 さて、ここで「器用」「不器用」という差がでてきます。これは 才能や素質というものよりさらに下位の概念です。「器用貧乏」 という言葉があって、なんでも人並み以上に上手にこなしながら 一芸に秀でることのない人のことをこう呼んだりします。一方 不器用は、なかなかコツをつかむことができない人のこと。こういう 人も世の中には結構います。 縦軸に才能の度合い 横軸に器用・不器用を置いて、そのマトリックス のなかでその人の能力を測ると (1)才能があって器用な人 (2)才能がないけど器用な人 (3)才能があるけど不器用な人 (4)才能がなくて不器用な人 これらに、お金と育成環境、周囲の状況、ライバルの有無、目標と志 が関係するのだと思います。 私のゴルフを例にとると、まず技術はカテゴリ(4) それに目標と志の欠如があげられます。 私が目指した建築家という職業は、まさに才能と不可分のものです。 多くの学生が コルビジェやフランク・ロイド・ライト、ルイス・カーンなどの巨匠に あこがれて建築学科に入学し、諦め、構造や設備の技術者や現場監督 として世にでていきます。 その中で、隈研吾さんと安藤忠雄さんそして槇文彦さんが日本の一流 建築家と呼ばれる人々です。 隈さんは、同世代で仕事でも何度かおつきあいしたことがあります。 端的に申し上げて、あの人はカテゴリー(2)の人 安藤さんは(3)ですね。苦節30年、工業高校卒で東大教授になった 努力の人。国立競技場のコスト問題でも「わしゃ、こんな大きなもん やったことないから知らん」と言い放つ「計算しない人、本音の人」 槙さんは3代続く建築のエリートの家系で育ったサラブレッド(1)の カテゴリー。 >まあ野球の世界に限らず才能の有無とは冷酷なものです、努力がちっとも報われないケースも少なくないでしょう。 >さてそんな才能に関して、多方面のお話を賜りたいと存じます。 私は、才能は作品(スポーツなら実績・記録)に結実するものだと思います。 建築は多分に政治的なもの、パトロネージの世界ですから才能がそのまま 作品として実をむすぶかどうかはわからない世界です。一方、スポーツも 音楽も「舞台度胸」がものをいう世界。 才能という宝物を手にしていても、それを育て花開かせるのはどの世界でも 容易ではないです。また開いた花の命がいつまで続くのかもわからない。 ですから、(2)才能がないけど器用な人 がアーチストでなくアルチザン(職人)として生きていく道が 世の中には開かれています。 大学時代、ドローイングがへたくそな地方の秀才たちのなかで、絵が得意な 私は、設計の課題でいつも優秀作品に選ばれていました。同級生は 「お前は設計事務所に就職して建築家になれ」 と無責任なことを言いました。しかし世界中の建築も観たことなくて東北の 政令指定都市で勉強して建築家になれるはずがないと思っていました。 二次オイルショックで設計業界は採用なし。仕方がなく企業営繕に職をもとめた 私は、それでも夢をすてきれずにデザインコンペに応募しました。 これは1等をとったと思った作品が、佳作入選に終わり、職場で注目はあつめ たものの、自分でアイデアの創造性はこんなもんじゃだめだと感じました。 所詮、(2)才能がないけど器用な人は、自分でデザインせずに優秀なデザイナー を使って仕事をすればいい。 方向を変えて以来、サラリーマンとして努力した結果、気が付けばデザイナーに 仕事を依頼してその結果を成果につなげる立場になっていました。 他人の素質を見極めるのも才能のうち。そう考えていました。 公共事業のデザインコンペで会社名義で応募して賞を得ました。いろいろなデザイナーと協同してわかったことは「プロはすげぇ」ということです。 自分が、自分の夢を捨てた代わりにやっていることだから、悔いなくとことん までやる。その気迫でみんな本音でつきあってくれました。 才能の種は花開かなければ、貯めて油を搾って情熱を燃やす燃料に使うのが いいのではないでしょうか。 isokenさんの先輩もそうですけど、isokenさんという仲間がいるかぎり、 情熱は燃やせますよw幸せそうですね。その先輩。
お礼
ex さん、こんにちは。 >昨夜はひさびさに 涼しい夜ですごしやすかったですね。 >我が家は、友人を招いて窓をあけて東京湾花火大会を楽しみました。 いや~本当にそう、たった2~3 ℃ なのにここまで違うかって感じでした。 それはそうとそんなものまで見れますか、東京湾の花火大会は今年で最後かと噂されておりますが、高級高層マンションの上層階にのみ許される法楽ですね、この時期最高に贅沢な瞬間でしょう、ワインなんか開けて楽しまれたのでしょうね、きっと。 >「下手の横好き」 >「好きこそものの上手なれ」 >この二つの言葉の狭間で人は悩みながら生きていくのでしょうね。 好きである事は継続するモチベーションには成り得ますが、その道で成功へと辿り着く決定打とはなりません、仰る通り相反するこの二つの要件の狭間できっと揺れるのでしょう。 >さて、ここで「器用」「不器用」という差がでてきます。これは 才能や素質というものよりさらに下位の概念です。「器用貧乏」 という言葉があって、なんでも人並み以上に上手にこなしながら 一芸に秀でることのない人のことをこう呼んだりします。一方 不器用は、なかなかコツをつかむことができない人のこと。こういう 人も世の中には結構います。 スポーツに於ける私がそうでしてまさに器用貧乏、まあ万能選手ではあったでしょう、野球を始めとする球技は何でもこなしましたし、その一方で野球の合い間に駆り出された陸上の 400 m では都大会のファイナルに残り、駅伝では殆ど練習をせずに区間賞を取るそんな子供、ただこれといって突出した分野が無かったのが良かったのか悪かったのか・・。 もっとも勉学の分野ははなから匙を投げてましたので、関係ありませんが。 それにしても、縦軸に才能の度合いそして横軸に器用・不器用を措いての4カテゴリーと、付帯条件・環境との相関関係そして費用対効果には興味深いものがあります。 建築という分野は皆目見当が付かない為、主としてスポーツの分野で語っちゃいますが、例えば女子フィギュアに於ける浅田真央ちゃんの存在。 一般にフィギュア・スケートを志すジュニアはとってもお金が掛かると言われておりますが、今や彼女の年収は 数億 ~ 10億円 の範囲にあるらしい、つまり勉学に励み一流企業に入った者の生涯年収を遥かに超える額をたった一年で叩き出してしまう訳で、非常に効率の良い投資レベルにある。 それからもう一つ、先年引退した元プロゴルファーの古閑美保さんが、面白い事を言っておられました。 彼女自身何と10億円手前の貯金があるそうですが、賞金の多寡はともかくシード圏内にある女子プロの場合、ちょっと可愛ければスポンサーが付き CM にも恵まれて、雑所得込みで最低1億円程度の収入にはあるだろうと・・。 ゴルフという或る種特殊なスポーツにはお金が掛かります、加えて中学・高校と学校を選ばねばならないといった、他のメジャースポーツには無い勉学との両立を視野に入れない蛮勇を持った教育方針も必要でした。 故に元来女子プロは裾野が狭かったのですが、プロのライセンスを修得する事自体はさして難しい訳じゃない、しかも1億円発言となると、今後我も我もと普通の御家庭の子女が参入して来る事になるでしょうねぇ。 >私は、才能は作品(スポーツなら実績・記録)に結実するものだと思います。 だから余計に冷酷無比な比較環境に晒されるのでしょう。 >才能という宝物を手にしていても、それを育て花開かせるのはどの世界でも容易ではないです。また開いた花の命がいつまで続くのかもわからない。 全く仰る通りで、類稀な才能が開花しない例はそれこそ枚挙に暇が無い、その一方で落ちた天才がドラマティックに語られる事も少なくありません。 >公共事業のデザインコンペで会社名義で応募して賞を得ました。いろいろなデザイナーと協同してわかったことは「プロはすげぇ」ということです。 これは阿佐田哲也氏が、 例の「 ドサケン 」 に彼の作品で語らせた事なんですが、例えば世間一般的に大工はプロと認識するんだろうと・・、ところが素人が片手間でやっても博奕はなんとかなると考える、そこんとこが大きな勘違いだと・・。 >isokenさんの先輩もそうですけど、isokenさんという仲間がいるかぎり、 情熱は燃やせますよw幸せそうですね。その先輩。 私は野球で身を立てる道を早くに諦めてしまいました、一方先輩は己の才能がどの程度か知りながらも行けるところまで行った、つまり情熱の違いなんでしょうが、その先でまた合流して往時を語り合えるというのも悪かないかも知れないですね。 回答ありがとうございました。
- ayzm
- ベストアンサー率17% (187/1096)
* まあ野球の世界に限らず才能の有無とは冷酷なものです、努力がちっとも報われないケースも少なくないでしょう。 それはない。 誰でも才能は持っています、自分の持っている才能を知って、その方向に努力をしている人が、成功している。 自分の才能と関係なく、違う方向で努力をする人は、報われない。 自分の才能を見ぬいてくれる人と、逢えるのはその人の持っている運、良い運もその人の才能のうちである。 努力の天才で有名なのは王貞治選手で、本人はかなりの努力家です、それに良いコーチに逢えて世界一になった人です。 天才で有名なのは長嶋茂雄選手です、長嶋選手は自分を演出できる天才です。 野球のほうは、王選手と同じで練習の賜物です。 エピソードで有名なのは、息子を忘れるほど練習をするということです。 息子を球場に連れて行って、結果が悪かったので、自宅に帰って練習をするということ以外は頭になく、自宅に帰って奥さんに「一茂は」と言われて、息子を球場に置いてきたこと気が付いた人です。 川上哲治選手は、打撃王と巨人軍をV9に導いた監督で有名ですが、川上選手は人との出会いの天才です。 川上選手は巨人には、おまけで入った人です。 巨人軍はある投手が欲しかったで、その投手のキャッチ-をしていただけで、ピッチャーの条件は川上選手と一緒なら巨人軍に入ると言って、川上選手は巨人軍に入団した人です。 その後キャッチャーではなく、打撃や監督で努力をした人です。 才能とは、いかに自分の才能を見つけて育ててくれる人に逢えるかです。 どれだけいい才能があって、努力をしてもそれを生かしてくれる人に逢えないと、ライバルに潰されるだけです、そういう人も結構います。 要は投げる走るなど、身体能力だけが才能ではないということです。 自分の才能にあった、出会いをすることが、その人の才能です。
お礼
ayzm さん、こんにちは。 >それはない。 誰でも才能は持っています、自分の持っている才能を知って、その方向に努力をしている人が、成功している。 才能 = 特定の分野に於いてという意味です、少々言葉足らずだったでしょうか。 >自分の才能を見ぬいてくれる人と、逢えるのはその人の持っている運、良い運もその人の才能のうちである。 それはその通りでしょう、運を含めた出会いが齎すサムシングは非常に大きい。 >努力の天才で有名なのは王貞治選手で、本人はかなりの努力家です、それに良いコーチに逢えて世界一になった人です。 王さんは私が最も尊敬する野球人の一人、彼の真摯な姿勢は一野球に止まらずどの分野にも通じるものがあると思います。 その他個人的に尊敬するのは一人しかおりません、阪急・近鉄他の監督を歴任された故西本幸雄監督がその人。 >天才で有名なのは長嶋茂雄選手です、長嶋選手は自分を演出できる天才です。 >野球のほうは、王選手と同じで練習の賜物です。 天才という名前を課せられた運命を担う人物の苦悩は、我ら凡人には計り知れないでしょう。 その一人が仰る通りの長嶋茂雄、彼の活躍と去就は一野球人の枠に止まらなかった点に於いて、昭和の戦後日本社会を代表する人物でしょう、公人と呼ばれるべき人であったのかも知れません。 >川上哲治選手は、打撃王と巨人軍をV9に導いた監督で有名ですが、川上選手は人との出会いの天才です。 この方は読売新聞務台名誉会長からの信頼が絶大であったと聞き及びます、依って通常はフロントが有する人事権という名の権限の一部が委ねられた最初の監督、故に後の長嶋解任騒動で黒幕の一人と名指しされてしまったようです。 川上氏と長嶋氏では、王者ジャイアンツを立て直す方法論のベクトルが全く違ったものであったのでしょう、まあ御気の毒であったという事なのかも知れません。 >要は投げる走るなど、身体能力だけが才能ではないということです。 >自分の才能にあった、出会いをすることが、その人の才能です。 半分程度はそうかも知れません、ただ指導者との出会いも才能が無ければそもそもその出会い自体が無いはず、世の中の森羅万象は決して綺麗事では動かない、指導者は指導者としてその多くは、自分が為し得なかった己の名声を教え子に投影するものでしょうから・・。 一方で無名の人物が世に出る為の方法論の一つでもある、無論肯定しこそすれ否定は出来ません。 回答ありがとうございます。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>才能というものに関して まあ野球の世界に限らず才能の有無とは冷酷なものです、努力がちっとも報われないケースも少なくないでしょう。 さてそんな才能に関して、多方面のお話を賜りたいと存じます。 ↓ 私の場合は柔道ですが、中学で始め、それなりに攻守に自信がありましたが、高校に入ると他中学からの猛者も入り、地区の高校との対抗戦で全く歯が立たない相手の多さにビックリ、世間の広さ柔道の奥行きの深さに我を知り足らざるを知ったように思います。 そして不敗を信じていたニッポン柔道が→東京オリンピックで神永選手がヘーシンク選手(オランダ)に押さえ込まれた時に、悲しさ悔しさと一緒に世界の広さ厳しさを改めて感じました。 大袈裟かもしれませんが、へーシンク選手の金メダルを通じて、私は柔道の世界に留まらず国際化の現実と厳しさと同時に重要性と必要性を学んだように思います。 https://www.youtube.com/watch?v=6mz0pQZOb-M 他人には言いませんが、個人的には才能とは・・・ ◇才能それは潜在能力と顕在能力の総和がキャパシティと成っており、天賦の才と言われるように運命に相通じる、どれだけ活用発揮できるかは自助努力と自己責任である意思・意欲・努力が決めるのでは・・・ ◇才能の多寡は絶対評価としては目標目的とのマッチングが大きく、相対評価としてはライバルや資格や成績に表れるのでは・・・ プロを目指すのか趣味にいそしむのか、健康管理の一環なのかで取り組み方や必要なスキル&レベルは異なるのでは、そのギャップに苦しんだりチャレンジする事が向上心であり、ひいては心技体の鍛錬、能力アップだと思う。
お礼
lions さん、おはようございます。 >私の場合は柔道ですが、中学で始め、それなりに攻守に自信がありましたが、高校に入ると他中学からの猛者も入り、地区の高校との対抗戦で全く歯が立たない相手の多さにビックリ、世間の広さ柔道の奥行きの深さに我を知り足らざるを知ったように思います。 野球も柔道もそうでしょう、競技の裾野が広いからステージが一つ上がるだけで、途轍もない才能に遭遇してしまいます。 >大袈裟かもしれませんが、へーシンク選手の金メダルを通じて、私は柔道の世界に留まらず国際化の現実と厳しさと同時に重要性と必要性を学んだように思います。 広く世界に門戸を開いた点に於いて、かつて東京オリンピックでの正式種目採用は、柔道の国際化に大きく貢献しました。 ・・と同時に特に重量級にて容易に日本人が勝てなくなってしまった、現在ある相撲の状況に若干似ているんでしょうかねぇ。 >◇才能それは潜在能力と顕在能力の総和がキャパシティと成っており、天賦の才と言われるように運命に相通じる、どれだけ活用発揮できるかは自助努力と自己責任である意思・意欲・努力が決めるのでは・・・ 如何せん才能には抗えない分野もあります、ただ仰る通り全ての人々が持てるポテンシャルを存分に発揮する訳でもない、熱意に依る部分も大きいのでしょうねぇ。 >◇才能の多寡は絶対評価としては目標目的とのマッチングが大きく、相対評価としてはライバルや資格や成績に表れるのでは・・・ >プロを目指すのか趣味にいそしむのか、健康管理の一環なのかで取り組み方や必要なスキル&レベルは異なるのでは、そのギャップに苦しんだりチャレンジする事が向上心であり、ひいては心技体の鍛錬、能力アップだと思う。 御指摘の点の他に、一生を掛ける事が個人的なプロフィットに通じる分野かどうかという点も大きいと思います。 例えば野球ですが、超一流のプロ選手となれば、サラリーマンの生涯年収を超える額を僅か1年で稼いでしまう、無論ほんの一握りではありますが・・。 その一方で勉学とは別ルートで一流企業への門戸が開かれる、指導者としての裾野が広いという他スポーツにはない魅力も確かにあります。 回答ありがとうございました。
- tzd78886
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人生一度きり、好きなことに熱中して終わるのもいいじゃありませんか。才能がないのは本人が一番わかっていることです。才能がなくてもゴルフが好きな人はやめないし、それで飯を食っていこうとすれば「好き」だけではやっていられなくなります。 元ヤクルトの石井一久氏は本来野球よりサッカーが好きだったと告白していました。野球はあくまで飯の種でやっていたにすぎないそうで、いろいろな人がいます。
お礼
tzd さん、おはようございます。 >人生一度きり、好きなことに熱中して終わるのもいいじゃありませんか。才能がないのは本人が一番わかっていることです。才能がなくてもゴルフが好きな人はやめないし、それで飯を食っていこうとすれば「好き」だけではやっていられなくなります。 結局そういう事なんでしょうねぇ。 私なんか悪い癖で直ぐに費用対効果を考えちゃう、本人の充足感という視点が大きく抜け落ちているのかも知れません。 >元ヤクルトの石井一久氏は本来野球よりサッカーが好きだったと告白していました。野球はあくまで飯の種でやっていたにすぎないそうで、いろいろな人がいます。 野球とサッカーを秤に掛けると、我が国でやはり野球という選択になるのでしょう、同じ程度の才能でも収入の桁が1つ違いますから・・。 サッカーは何故コマーシャル・ベースに乗らないのか、この点は興味深いテーマです。 回答ありがとうございました。
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お礼
zico さん、おはようございます。 >isokenさんのおっしゃる通りだと思います。 御賛同頂きありがとうございます。 >以前、和包丁の作り方を外国人に見せるTV番組を見たのですが、 和包丁に関してはよく分かりませんが、恐らく根っ子を同じくする刀鍛冶ってのは、我が国が世界に誇るべき技術の一つだったようです、室町中期以降の主要輸出品目の一つでもありました。 >(かなり強引かもしれませんが、)つまり、天賦の才と努力、どちらが欠けても良いスポーツ選手に成れないと思います。 まさに材質と技術のコラボレーション、恐らくそういう事なんでしょうが、選ばれし者達のみが集い切磋琢磨し合うプロの世界は、血の滲むような努力を抜きには語れない、それはその通りだと思います。 須らくショー・ビジネスの根っこはそこにある、当の御本人達にはその意識が無いかも知れませんが、結局そこに行き着いてしまうのでしょうね。 >『運も実力のうち』と言いますが、才能のある人は、運というかチャンスも多く与えられるような気がします。 >しかし、中には、ほとんどチャンスが無いにも関わらず、与えられたそのワンチャンスを活かしてのし上がっていく人も居ます。 >逆に、与えられた沢山のチャンスを、ことごとくつぶしてしまう人間も居ます。 例えば商店街の福引に於いて、たくさん商品を買ったお客さんにはより多くガラポンを回す権利が与えられる、ただ彼等が一等賞を引き当てるとは限らないのと同じ理屈であろうかと・・。 >日本サッカー界の至宝、キングカズこと三浦和良選手は、学生時代そう目立つ選手じゃなかったそうです。 私にはサッカーの世界がよく分からない、だから三浦選手に関して長い事誤解しておりました、ただサッカーが上手いだけのチャラい田舎のあんちゃんじゃね~かと・・。 ところがいまだ現役でボールを追う彼の真摯な姿勢を見て、或いは草創期の Jリーグへ齎した貢献度の高さを物語る数々のエピソードを知り、己の不明を恥じると共に今では誰よりもカズを応援する者の一人、そう認識しております。 そこには決して名声を得る為 ( それはそれで、私は肯定しますが・・ ) の方法論というだけではない気高さがある、心底サッカーが好きなんですね。 サッカー留学もそう、海外プロリーグへの先鞭を付けたのもそうでしょう、結局コロンブスの卵という栄誉は、初めてそれを立てた人の頭上に輝くべきであって、我が国のサッカー界に於いてはそれが三浦和良選手だった、そういう事であろうかと思います。 回答ありがとうございました。