宗教は 百害あって一利なし。
(1) 宗教は 個人の信仰とはまったく別の社会現象である。
(2) そのオシエが もし《信じる》べきものであると言うのなら それは 精神錯乱に落ち入ることを意味する。
(3) オシエは 命題(人間の思考し判断したもの)としてあるからには 《考える》ものであって そのような思考ないし理性の問題であるものを どうして信じる(つまり 神として受け容れる)ことが出来ようか。
(4) 《信じる》と《考える》とを区別するべきである。
○ オシエは 信じるものではない ~~~~~~~~~
非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。ヒラメキ):信仰
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思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市):宗教
感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)
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(5) 《信じる》とは 神をわが心に受け容れることである。神は 非経験の場だから 《考える》ことも認識することも出来ない。わづかに信仰の何たるかを説明するために ヒラメキから得た知識を理論として形成するとき この説明理論は 神を知るための補助線となる。
(6) この補助線たる説明書きが オシエと見なされ得る。《神は愛である》なり《至高の善である》なりの取扱説明書を オシエとして さらにはこの思考内容ないし概念を神として 信じよと言うのが 宗教である。
(7) この宗教は 信仰としての蝉の 抜け殻である。百害あって一利なし。
これを問います。出来れば 確定させたいと考えます。
補足
回答いただきありがとうございます。 オナニーしていて毛深くなることってありますか?