No.8さんをうけて回答します。
私は、先に回答したように、植物の写生をしてますが、独学で、まだ達観したわけでなく、偉そうなことを言えませんが、私の画力に影響を与えた、日本画家の山口蓬春の写生の極意を書きます。
「写生は、作者の観たまま、感じたまま、知ったままを、そのまま残らずそこへ描き込んだものでなければ、完全な写生とはいえない。その三つのなかの一つを欠いてもいけないのである。(中略)畢竟するに、このことは自然に対してどこまでも忠実になければならぬことを意味するのである。(中略)「観たまま」とは客観的の視覚作用を通しての描写で、感情の動きによる主観的な解釈を加えずに視覚で捕らえたありのままを描きだすのである。(中略)然しながら、「観たまま」の写生には個性というものがこもらないし、また生命に触れ、その生命の造形の上に躍動させることはできないのである。そこで「感じたまま」の写生、即ち対象物に対する自己感動が併写されて、その人の個性に根ざした独自の写生といわれるものが出来るようにならねばならぬ。(中略)然し、この「感じたまま」の写生が誰にでも簡単にできるかというとなかなかそうはいかない。これが立派に出来るには、「観たまま」の写生時代を相当長い間の訓練が必要である。(中略)知るといういうことは、教えられることでもあるが、それよりも自分で発見して知ることの方が、はるかに意義が深い。梅の美しい枝を発見した人達は、梅樹を構成する美しい要素が何であるかを、自分の力で知ったわけである。このようにして、「観たまま」の写生、次いで「感じたまま」の写生が、それから更に進んで「知ったまま」の写生にいたるのであるが、ひとつの写生が、この観たまま、感じたまま、知ったままを一つにの写生の中に包括することができるようになれば、その写生は立派な写生であり、このような写生によって初めて立派なタブロウが創作されることになるのである」
山口蓬春素描集 山口蓬春記念館発行
書くのに疲れました(笑)。私の独学の植物の写生は未熟で修行はまだまだですが、人物画のデッサンにおいても参考になればと思い、回答しました。御一助になれば。