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フォーン・ブースのラスト
映画「フォーン ブース」のラストでコリン・ファレルが死んでないって思った人いますか? 僕は最後あの注射器には筋弛緩剤かなんかが入っててやっぱり最後殺されちゃったと普通に思ったんですが、その事で彼女とすごい言い争いになってしまいました。 僕の根拠としてはラストのキーファー・サザーランド(犯人)の「電話を切ったな」という台詞などからですが、 そもそもそうじゃないと面白くないじゃん?ってことなんですが皆さんどう思います?
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自分もあの脚本のにはかなり疑問がわきました 最初から最後までサイコな犯人に振り回されっぱなし 主人公がどうやって電話だけで犯人を追い詰めて行くのか?と、期待しながら見ていたのですが、完全に裏切られました 何を見せたかったんでしょね? 主人公も善人ではなかったですが、それにしても理不尽 その場しのぎの、期待持たせるだけで何も無し、ひどい脚本だったと思います 脚本しだいでは、もっと面白くなったと思うのですが…
- pojapoja
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いやぁ恐れ入りました。#1さんに対する「補足」を読ませていただいて。 私なんか、あんまり考えずに、「あー、おもろかったぁ」と。。。もうちょっと真剣に、映画、観ます、これから。 あ、それから、すみませんが、「質問のタイトル」に「ネタバレ」と記入しておいて欲しかったですww >そしてとどめに最後の最後「もしそうじゃなかったらまた電話するよ」というのはパート2の含みを持たせての台詞だったわけですね。 そんなこんなで、ココの部分について、私の思っていることを書かせてください。 主人公は、不条理にも(ある意味、自業自得なワケですが)ひどい目にあった。。。警部の機転とかいろいろあって、何とか助かった。。。犯人は死んでいて事件は解決。。。と思ったら・・・実は、犯人は別にいて「オレはおまえをいつでも殺せるんだぞ、なぜなら、オレ(と世間)はおまえを知ってるが、オレのことは誰も知らないのだから」。。。その時、主人公は意識が朦朧としていて犯人の姿を判別することすら出来ない。犯人が誰なのかを知っているのは観客だけ。。。主人公の“不条理”は、これからも続くことを予感させて映画は終わる。。。 犯人が“劇場型の犯罪者”であることがポイントかなぁ、と思っていたのですが。 この映画のラストで主人公が死なないのは、パート2云々ではなくて、 主人公の人生は、これから先もずっと“犯人の思うがまま”で“現実のフォーン・ブース”からは開放されても、“(目に見えない)犯人というフォーン・ブース”にとらわれたままなのだ。。。と解釈していました。あくまでも、私の個人的意見ですが。
- todotodo
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死んでないと思いますが。
補足
いやー早速のお返事ありがとうございます。 あのあと私もう一回ラスト周辺から見直しました。どうやら僕の間違いだったようです。 なんかあの終わり方だと死んでないみたいですね。 ただそうするとちょっとつじつまが会わないというか面白くないですよね。 まず 犯人はサイコであり、頭のいい完全犯罪主義者で、すでに2人殺している。 という点を踏まえると、 ラストでのピザ配達人の死体がオチでキーファーサザーランドの登場がそのドンデン返しなんだから、ここは「死」ななくちゃ。 つまりこれは「死ぬか・生きるか」という映画で、冒頭犯人が「電話を切ったら殺す」と言ったのだったら、最後に犯人か、主人公どちらかが死なないとこの話の約束が壊れてしまう。なのにこれは妻も愛人も誰も死んでない。 脚本的にも主人公の”告白”のあと 主人公「解放する気はない(殺す)んだろ?最初から騙してた。俺はウソをつく奴がすぐわかるんだ」 犯人「そうだ(殺す)」というくだりがある。ここから、 ホテルの部屋突き止める(希望)→主人公「今警察が踏み込むぞ!」(反撃)→犯人「誰か道連れにしてやる!」(狼狽?でもこの狼狽は、のちに仕組んであって、演技だったと判明)→主人公「俺を撃て!」→(銃声)→主人公倒れる→警察踏み込む→ピザ配達人の死体 という展開ですから、 ピザ配達人の死体(問題解決)→主人公の命たすかる!という状態です。つまり、こっちが勝ち!犯人負け!と主人公は思っている状態ですが、ピザ配達人は最初に登場した時にしゃべっていますが明らかに電話の声とは違います。つまりまだなにかある。とドンデン返しを示唆しています。 そこで真犯人キーファーの登場です。 命が助かった!というオチのドンデン返しは、「やっぱり助からなかった!」勝ちの反対は負け。文法的にもこれが正しい。 このオチを、「ファレル(主人公)が告白して改心したから、犯人はファレルを殺すのを止めたんだ」と解釈すると、 じゃあその人は何様?神さま?神さまがそんな処刑なんかしちゃっていいわけ?君も神様に処刑されちゃうから不倫は駄目だよ! という話になってしまいます。これは変。 さらに、犯人があれだけ頭の良い奴なのに最後逆にだまされっ放しですごすご去っていくなんでおかしい。 ホテルの部屋をつきとめて踏み込むという時に、「見ろ、もうお前は捕まるぞ、ざまあみろ」的なことを言われたり、警察のゴム弾トリックにまんまとやられたような描きかたされてたり、さんざんコケにされたのに。 他にも説明のないシーンがあったので (黒人刑事が現れた時、犯人が「奥さんと別れて寂しい夜だろといってやれ」といって、主人公がいうと、刑事フォレスト・ウィテカーの目の色が変わる。つまり事実で、犯人はそこまでも知っているということを物語ってる。用意周到なのだ) ピザ配達人の死体の次のシーンが、注射器のアップから引いたカットだったことを、この注射器に意味があるものだと思ってしまった。 しかも、警察の看護士が、鎮静剤を打ったにしても睡眠薬でも、「ぐっすり眠れますから」とか「楽になりますよ」とはいっても「意識がもうろうとしますよ」なんて普通いうか??という気もしたので、ラストはコリンファレルはあのもうろうは断末魔に犯人の背中を見送る-絵なのかと思って見てましたがセリフが違ってました。 これはもしかして最後の部分、あれヤバいからなんとかハッピーエンドに直してといわれて急いで最後のセリフの部分を付け加えたのではないのか? もしそうでないなら、そうであるにしてもひどい映画だと思った。 そしてとどめに最後の最後「もしそうじゃなかったらまた電話するよ」というのはパート2の含みを持たせての台詞だったわけですね。 この話は電話ボックスだけという定点で展開するというアイディアが斬新だっただけなので、パート2は無理だと思いますね。
お礼
コメントありがとうございます。 映画って受け手の解釈のしかたはいろいろですよね。ただ、なにか自分が少数派だということがわかって、すこしびっくりしています。僕は素人ですけど、脚本について詳しい方、プロの方のご意見はどうなんでしょうか? それから後日談ですが、DVDの監督コメンタリー(監督が映画の進行とリアルタイムで解説を加えた副音声)を見ていたら、「犯人は(要約すると)主人公が改心したから殺さなかった」というような発言をしていました。監督自身の言葉なので、”へ?”と思いました。ということは私が前に書いたような <じゃあその人は何様?神さま?神さまがそんな処刑なんかしちゃっていいわけ?君も神様に処刑されちゃうから不倫は駄目だよ!という話なわけなんでしょうか。 DVDの監督コメンタリーはこのように監督の意外な真意をはかれたりするのでヒマなひとはこれをもう一回みると2度楽しめますからおすすめです。