- ベストアンサー
世界の中心で、愛を叫ぶについて
はじめまして。 ネタバレを含んでいますんで、まだ見ていない方はこの先を読まないでください。 1 柴咲こうの役について 原作には登場しなかった人物ですが、この人物は必要だったのかと今でも思います。確かにカセットテープの渡し役というのはいいにしても、大沢たかおの恋人役までも必要だったのかと首をかしげてしまいます。 むしろ彼女がいることによって亜紀と朔太郎の関係が薄れているような気がしたんですが、皆さんはどう思いましたか。 2 ストーリーそのものについて 誤解されないように言っておきますが、それなりにこの映画は楽しめたつもりです。 ただ、二人の仲がやたらにプラトニックなものになっていたのはどうなんだろうとは思いました。原作の中では、朔太郎君はもっと『男子生徒』という面を出していたような気がするんですが。 ただ、亜紀が発病してからはあまりにも感動させる意図で作ったストーリーが多すぎて、原作とかけ離れていくのが僕の中では残念でしたけど、皆さんはどう思いましたか。感想を聞かせてくれればうれしいです。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
律子 確かに律子に関するエピソードは設定に少し無理があり、できすぎているように感じました。しかし、この映画の主人公は基本的には現在の朔太郎(大沢たかお)で、サク(森山未來)とアキ(長澤まさみ)は朔太郎の回想にすぎないというとらえ方をすると、少し見方が変わってきます。 朔太郎と律子(柴咲コウ)が婚約者同士であり同じ出身地ながら、亜紀のことを全く話題にしたことがなかったということは、朔太郎は亜紀の思い出を封印してしまっており、一方、律子は朔太郎と真に打ち解けられない何かを感じて悩んでいたのではないかと想像しました。 朔太郎は亜紀のことを思い出さないようにしようとしていたため、重蔵(山崎努)言うところの心の「後片付け」がまだできておらず、律子との生活に向かえなかったのではないでしょうか。 テープの運び屋さんとしては別の人物でもよかったと思いますが、現在の朔太郎が悲しみを乗り越えてその先に進めるかどうかを描くには、律子に相当する登場人物が必要だったと感じました。 サクとアキ サクとアキの描き方がかなりプラトニックよりだったことについては、二人のシーンの多くが実際には朔太郎の思い出の映像化だったのだろうと感じたので、ふさわしいと思いました。 思い出はしばしば美化され、細かな点はあいまいになる一方で感情は強烈な印象を持って残ります。大人になった朔太郎にとってサクとアキの思い出は清く悲しいものとして残っており、それを映画は描いていたのかもしれません。 映画を全体として見たとき、主役は朔太郎で、サクとアキは準主役、律子は脇役の一人ととらえると、朔太郎の心の動きがつかみやすいように思います。そしてラストシーンでの朔太郎のあの一言にすべてを集約するためには、律子の存在と、サクとアキの美しい思い出が必要だと感じました。 もっとも、上記のことはひとつの見方にすぎません。映画情報サイトでもいろいろな意見があり賛否両論のようです。(教えて!goo、OKWebは質問と答えを趣旨としているので、広く感想を語り合うには映画情報サイトの掲示板が適しているのではないでしょうか) 「世界の中心で、愛をさけぶ」公式サイト http://aiosakebu.yahoo.co.jp/ 「映画生活」映画情報サイト http://www.eigaseikatu.com/title/5065/
その他の回答 (3)
- oshietechan
- ベストアンサー率31% (28/90)
はじめまして、こんばんは。原作も映画も見ました! 原作を読んでから映画を見たからなのでしょうか 原作ほどの迫力がなくて、少し期待はずれでした…。 namu7676さんがおっしゃっているように「指先の花」という本があって それを読めば少しは映画の内容が理解できる、と友人に言われましたが… いろいろな、ちょっとした場面を省きすぎではないですか? けっこう重要なシーンがあったりするのに、ほとんどなくて かわりに、あまりいらない場面が増えてたりして。。 あと、朔太郎の心の中のことが原作にはたくさん書かれていますけど 映画ではあまり表現しきれてなくて、朔太郎のアキへの想いが 私は原作より弱く感じられしまいました。 あまり、映画に対して否定的な意見は言いたくないのですが 私としては、原作の方が好きです。
- namu7676
- ベストアンサー率0% (0/7)
はじめまして。私は映画も原作も見たものです。 律子についてですが、これは「指先の花」という、朔太郎が大人になったときの話を描いた小説に出てくる人物です。 この小説を読んでもらえば、朔太郎と律子が出会い、婚約にいたったいきさつがわかります。 映画で、亜紀が入院中に手品を練習しているシーンがありますよね。その小説の中で律子は、亜紀からある手品を教わっており、大人になって、その手品をバーで連れに見せていたところ、朔太郎が亜紀を思い出して興味を持ったというのがきっかけなのです。 この「指先の花」は、原作の片山恭一氏ではなく別の人が書いたものなので、多少違和感があるかもしれませんが、律子の存在の疑問は解けると思います。 あと映画についてですが、私も同じような感想を持ちました。原作の、二人の会話や細かい描写がなく、物足りなく感じました。映画が「指先の花」と原作を融合させて作られているためですが、どっちつかずで、中途半端な印象を持ちました。 とりあえず、暇があれば「指先の花」を読んでみてください。出会って婚約してオーストラリアに行くまでが詳しく書かれています。 長々とすいませんでした。失礼します。
1について。 映画では、律子が突然の失踪が切っ掛けで朔太郎が実家に帰り、そして昔の封印していた「アキ」への思いを復活させる事になるので、「律子」という存在も仕方なかったのかも知れませんね。 原作の最後にも朔太郎には今の恋人が出来ていますから、まぁ現恋人はいてもいいんじゃないかなと僕は思います。 ただ、先の方がおっしゃるように朔太郎と律子が恋人同士になっている、そしてその律子が朔太郎・アキの顔見知りであって10数年後の朔太郎の「心の片付け」を手伝うキーパーソンになっていた、というのは少し出来すぎなんじゃないかなと僕も思いました。 2について。 僕も同感です。特にキスシーンなどはアキが病してから隔離されたビニール越しに1回しかなかったですよね。 あの演出は「何だかなぁ・・・」という感じがしました。 後、個人的に、原作では「アジサイ」の花の事でアキとの絡み、そして現恋人との絡みが少しあったのですが、それが映画には全然なかったのが残念だなと思いました。 ただ、平井堅の主題歌はかなりいい感じでこの作品(原作・映画含めて)にマッチしていると思いました。(思わずウルっと来ましたから。)
お礼
回答ありがとうございます。 2について少し話し合ったことがあるんですが、あれは「女性の客を意識して作ったから、ああまでプラトニックなものになったんじゃないの」みたいなことをいっていましたが、どうなんでしょうか。 ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 tny2003さんの深い読みには感心しました。 僕自身が表面的にしか見ていなかったということを思い知ったような気がします。 そういうサイトがあったんですね。ではそちらのほうを見てみたいと思います。 ありがとうございました。