#4にいただいたお礼を拝見しました。『エリジウム』のあのシーンなら、大いに意味があると私は思いました。
・それだけ今から遠くない未来であるという切迫感を出すのが狙い。かといって、近すぎると、天上の高度な技術が嘘くさく見える。例えば、2014年から140年前というと、産業革命直後。蒸気機関車を改良して走らせたり、馬車を観光に使うのは一般的。そう不自然ではない。
・地上では、天上とは違った意味で、優れた職人たちが、古い機材を修復しては、やりくりしているということの見本。主人公が腕のいい職人であるという伏線的な役割も果たしている。
・2000年代っ“ぽい”車を適当に創作するという手もあるかもしれないが、より見慣れたもののほうが、状況設定が観客に伝わりやすい。地上および天上の人たちのヘアメイクや衣服、家屋のインテリアやエクステリアについても同じこと。例えば、「ああ、こういう車を好むタイプの人ね」みたいな感覚を、わずか約2時間という上映時間の中で効率よく得られる。
・ファンタジーの余地を残す。『第9地区』があまりにも有名なこの監督は、完全なリアリズムを求めているのではなく、ややお伽噺的な要素を盛り込むことで、親しみやすさと切迫感の独特なバランスを作り出すのが得意。特に、両作品とも、さほど楽観的なラストは迎えないので、ややお伽噺的にしておかないと、暗すぎて、観客は大切なメッセージを直視できないと思われる。
・映像作家として、そういう車を作ってみたかった。こうした要素はクリエイターなら誰もが持っているし、また、それを楽しみに鑑賞するファンもいる。
フィクションですから、解釈は人それぞれであるべきですが、以上の理由から、あのような描写になっているのだと私は感じました。正直、『エリジウム』は監督のデビュー作に比べると、かなりガッカリしましたが、やはりこういうところは手を抜いていないのだなと改めて感じます。
お礼
ありがとうございます。 自分の場合ですが、エリジウムは舞台設定と話の内容的にコレクションを見せる意味がわかりません…。 改造したGT-R(か何か)をいろんなカットで見せていましたが違和感を覚えました。 実写のカーチェイスなら迫力でると思いますが、明らかに手抜き感が否めません…。 まあこればかりは好みの問題なのでしょうかね。 回答していただいたことを否定しているわけではないので、ご意見に感謝しています。