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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:パーカッションのCDに無音が多いのはなぜ?)
パーカッションのCDに無音が多いのはなぜ?
このQ&Aのポイント
- パーカッションのCDに無音が多い理由とは?
- パーカッションのCDは無音が多い理由とは?
- パーカッションのCDにはなぜ無音が多いのか?
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質問者が選んだベストアンサー
無音も音なんですよ。余韻を楽しむ部分です。 日本人はこの無音や無の部分を大切にします。何も無い部分も大切にします。 お寺の鐘も鐘をついた後の音。ずっと続く音を楽しむ感じでしょうか。 静と動の組み合わせでしょう。 音の揺らぎ、雨音。一定ではない音達。時には激しく、そして静けさがあり突然の変化という流れもあるのでしょうね。
お礼
ありがとうございます。いただいた回答をよく考えてみました。 なるほどそういえば、私は休符を「休むところ」と思い、ピアノで適当に切り上げて 次を弾いてしまったり、音が消えたと思うと鍵盤から指を離してしまって注意された ことがあります。聞く側になったとき「無音」に「何もない」と感じてしまっていました。 確かに、通常の生活でも静けさの中に柱時計が突然なったり、鳥の声が予告なく 聞こえたりします。そんなとき「いいなあ」とか「風情がある」とか確かに感じていますし 静けさがなかったらそんな感じにはなれないかもしれません。 なのになぜ楽曲の音の前の無音を楽しめないのか、なにかに焦っているのか? などなど、いろいろ無音部分には考えさせられます。今、想像の中でCDの演奏の「無音」 部分を聴くと、先ほどとは違った感じがします。「意味を持ち始めた無音」のような 感じ。これは、パーカッションを楽しめるようになる前ぶれかもしれないです。