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忘れられない電車体験!遠い昔の松江市から京都への旅
- 松江市の荘原駅から京都の馬堀駅まで乗った電車の思い出は忘れられません。
- オレンジ色の凸型の電車で、客車は木製の椅子でした。
- 乗り降り口が車両の後ろについていて、外に乗り出せるため、楽しく遊ぶこともできました。
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以下のサイトに1980年の山陰本線の長距離鈍行の一覧があります。 この年だと荘原から馬堀まで通しで走るのは夜行列車の826列車しかないようです。この列車は寝台車を増結した旧型(寝台車はナハネ10などの軽量客車)客車列車で、寝台券をマルスで扱うため「山陰」という列車名が与えらていました。「眠れなかった」とあるところから多分、この夜行列車だったのでしょう。 それ以前の昼行鈍行の存在は不明ですが京都口だとそれほど変わっていないはずです(急行だいせん等大阪から福知山線経由の列車もあったと思います)。 http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/local80/sanin.htm #2の御礼にあった景色のよい区間というのは旧山陰本線の嵯峨~亀山間で、現在は路線改良によりトンネル経由の新線になっています。現在、旧線には嵯峨野観光鉄道としてトロッコ列車が運行しています。
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No.2です。 「山陰本線 1970」で検索してみました。 出版社が作っているサイト 鉄道ホビダスに いいアーカイブ記事がありました。(参考URL) 山陰本線は 京都市から馬堀駅間では 保津川沿いを走ってました時期がありました。 新線が作られ 旧線は嵯峨野観光鉄道としてトロッコ列車が走ってます。 何だかんだ言って 山陰本線には大抵の国鉄型ディーゼルカー(北海道形を除く)が居たんだと思います。 さすが山陰本線 一杯居すぎて特定出来ません… 普通・キハ10系など 急行・キハ58系など 特急・キハ82系、キハ181系 です。 赤い客車 50系も居たようです。 蛇足 なんてこったい ディーゼルカーも基本的に電動じゃないから 電車じゃない…
お礼
ありがとうございます。 参考URLを見てたら、忘れていた遠い記憶がよみがえりました。 おばあちゃんの家は線路沿いにあったのですが、 列車で到着するときや、帰るときはいつも家の畑から手を振ってくれました。 もう亡くなりましたが、自分の祖父母は島根のおばあちゃん一人だけでした。 ちょっと目がしらが熱くなりましたね。 ありがとうございます。
当時の山陰本線なら ・DD51型ディーゼル機関車 ・茶色/青色一色塗りの客車 32系/35系/43系/60系61型などでしょうか。 これらは旧型客車と呼ばれます。 標準ではクーラー未装備です。 DD51型は今でも頑張ってます。 減車されても各地(四国を除く)にいますし 北海道に来る寝台特急を重連で引いてます。こいつは北斗星塗装で青いです。 旧型客車は 激減しました。 今ではSL同様 主に観光用で動いています。 蛇足 カタい事言うと 電動じゃないので 電車と呼ぶより 列車と呼んで欲しいところです。
お礼
色は茶色だったのを覚えています。 あと電車と列車を同列に考えていました。 話は変わるのですが、 同じ時期に、京都市から馬堀駅に行く列車もよく乗りました。 川沿いを走ってとても景色が良かった記憶があります。 これは普通の電車だったと思うのですが、この列車はわかりますでしょうか? ついでに答えてもらえると幸いです。
電車でなくて、列車ですね。 オレンジ色の凸型の電車=ディーゼル機関車です 形式名はおそらく DD51型 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84DD51%E5%BD%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A 客車は椅子が木で出来ている=形式名 スハ43系またはオハ33系、ナハ10系 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%B9%E3%83%8F43%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%AA%E3%83%8F35%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A など。
お礼
言われてみればこんな感じだったかな~?ぐらいの記憶しかないのですが 色は茶色だったのを覚えています。 ありがとうございます。
お礼
すごいですね!びっくりしました こういう記録が残っているんですね! ご指摘の通り、夜行列車でした 特に鉄道が好きという訳ではないのですが、 この列車に乗った事は大きな思い出になってます。 今は栃木に住んで、京都の親戚とも疎遠になってしまいましたが いつかは嵯峨野観光鉄道に乗りたいと思います。 本当にありがとうございます。