極楽浄土の思想について
極楽浄土って、いつごろからどのようにして発生した思想なんでしょうか?
仏教におけるポスト天国となる極楽浄土ですが、他の3大宗教に比べるとその位置づけが微妙な気がします。
仏教全体で見ると、あまりにも「極楽」へいく事が目標とされてない機がします(あくまで個人的な視点ですが)。
もっともエンドユーザである氏子からみたら全部同じかもしれませんが。
極楽へ行く事を前提としてる宗派は浄土宗とその派生ぐらい。
他の宗派ではあまり主張されてません。
死生観に関わる事だし、こうも主張が少ないと、浄土宗オリジナルの考え方で本来の仏教思想とは違うんじゃないかな、と邪推してみちゃったりします。
が、経典にも極楽浄土の話はあるそうだから、少なくとも原始仏教の段階で似たような概念はあったのかな?
またその思想があまり仏教っぽくないと思うのも、疑問に思う一因です。
そもそも悟りを得て解脱する、という所から始まったのに、極楽浄土に着陸するというのがいまいち繋がらない。
解脱の果てに極楽に到着するという事でしょうか。
質問が曖昧ですみません。
つまる所、極楽浄土って思想が仏教っぽくないんだけど
その思想が出来た過程があったら知りたいな、という事です。
よろしくお願いします。
(ちなみにこちらは新書数冊で学んだ程度の知識しかありません)