他の人のご意見の通りですが、「我々ゲームをプレイするユーザー側」もある意味「変質した」のではないでしょうか。
「私や貴方の様に本格(大作)志向というか、どこか骨太い芯の通った作品を求める層が少数派(マイノリティ)になり、(他の人もあげた)ライトユーザーが大多数派になった」という事です。
しかし「作り手側」とて「貴方の言う様な作品を作りたいと思う人も皆無な訳ではない」のですが、「思っていても、実現できるかどうかはまた別物である」のでしょう。
また、「どうしても守りに入った姿勢や意識が強くなる」のは仕方無いという「現実」が「作り手側にはある」のかもしれません。
そして、何よりも「貴方の言う作品としての質が低い迎合するかの様な作品を作っていれば良い」と「作り手側に思わせている、否現実にそうした作品で充分に満足している層が受け手側の我々の中の大多数になってしまっている」という「現実」があるのです。
「モバイルゲームやオンラインゲーム、それらの基本無料で『アイテムが課金かガチャシステム』のゲームの台頭」と「ライトユーザーの台頭」は「ほぼ同じ、というか密接な関係」があるでしょう。
「パソコン・コンシューマー共に、パッケージ販売のソフトが『絶滅危惧種』的な危機状況に追いやられてしまう程」に・・・。
「ライトユーザー」の多くは「本物」というか「本当に素晴らしい作品を知らない」し、「知りたくないという人が多い」のだと思います。
「知りたいと思う人や知ってヘビーユーザー(真のゲーマー)になる人は少ない」のでしょう。
我々にとっては「ライトユーザーなど減って欲しい」のですが、「ライトユーザーが多くなったからこそ肩身の狭い思いが軽くなったとも言える」ので「複雑な心境ではある」のですよね。