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「ブチ切れ」という表現の風潮とは?
- ネットなどでよく見かける「ブチ切れ」という表現について、実際の動画や記事を見ると、人物が怒っているわけではなく冷静に反論をしている場合が多いことがわかる。
- このような風潮が生じている理由として、若い世代がきつく叱られる経験をしないことや、笑いや冗談として使われていることが考えられる。
- 実際には真剣な注意が行われていても、若者たちはそれを冗談としてとらえているケースもある。
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>ブチ切れという表現について ここ数年ほど気になってきたのですが、ネットなどを見ていると 誰々が誰それに「ブチ切れ!!」とか 「マジ切れ!」とかいう表現がとても多くなっている気がするのです。 同じような経験や、印象を持っている方はいるでしょうか? 同じような印象をお持ちの方は、どういう理由でこのような風潮が生じていると感じますか? ↓ 同感です! 「オーバーで週刊誌のタイトルみたいな誇大誇張」と割り引いて読んだり聞いています。 ◇劇画やアニメ、ドキュメンタリー番組、週刊誌の中吊り広告の中で、過当競争や売名の為の表現のインパクトやアイキャッチを得ようとしての過剰な演出とかタイトルとかの一環、またはエスカレーションの現象ではないでしょうか・・・ ◇衝撃の告白、激安、超一流、超ヤバイ、史上最強の△△、不世出の逸材とか怪物、?と思う美し過ぎる○○、超常現象・・・と言う風な表現と同根の言葉の独りよがり&オーバー表現や過剰過大な形容でインパクトのある言葉や情景描写を意図しているのでは? ◇中には、語彙や表現力を誇示したい為の意味の無い言葉遊び、内容や語源を離れたウケ狙い、強調したいだけの厚化粧や豪華飾りのような表現の独り歩きも多い。 ◇競争や印象付けの意図&潜在心理。 また、ディベートや討論会での自分有利にペースを持って行く為の手法、漫才で言えばボケとツッコミの話芸や間やテンポによる話芸の面白さよりもアクションや過激な言葉表現での受け狙い…のような即効性とか瞬間芸が多く成った、起承転結や余韻を持った美しい表現や言葉や語り口よりも単純さやアドリブが多く成り、受け手側も分かり易く面白いとかに重きを置いているのでは・・・ その中では言葉の語感・語韻・意味よりも、例えば料理や味付けで言えば、激辛・激甘・超特大盛・激ウマといったハッキリした主張、インパクトのある過剰表現、誇張誇大な言動・表現が増大する風潮&傾向にあるのでは。
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> これは近頃の若い世代が、ほとんど幼少時や学校時代にほとんどきつく叱られるという経験をしないからなのでしょうか? 関連しているかどうかは分からないのですが、「怒られる」ことがあっても「叱られる」ことがないままに育っているのは事実です。近年では「怒られる」ことさえないことも。 > 同じような経験や、印象を持っている方はいるでしょうか?同じような印象をお持ちの方は、どういう理由でこのような風潮が生じていると感じますか? 前者は健全な成熟した大人なら誰しも持っていると思いますよ、その若者達を育ててきた親や教師という以外は。 理由は、きちんと段階を踏んで成長できていないから、喜怒哀楽の感情面が育っていないのに、コミック誌や御丁寧な番組のテロップや、買わせたいだけの大袈裟な見出し、日本語も碌に習得していないのに「ブチ切れ!!」「マジ切れ!」という言葉を先に覚えて使う。「有難う」「御免なさい」が言えないし、注意された時の対処法も知らない。 それは、その若者達だけが悪いのではなく、彼等の環境にいて教育や影響を与えてきた大人が悪いのです。子育てはテレビやゲームに任せっきりで「教える」ことをしてこなかったからです。教えることは止めさせるとかさせないという禁止と履き違えているから、買い物に行った時に「いけません。」しか言わないか、それを親が嫌だから連れて行かない。結果若者は迷惑と思っていないし、謝ることを知らないからへらへらして「なに切れてんの?」となるのでしょう。 この世の中を構成している大人に、「教える」「育てる」という意識がないのが根っこにあって、ただ水を与えられて年齢だけを重ねて、意味も知らず分からず覚えた単語を使う。そうそう、過日新卒者の入社式の後で、「本当は採りたくないんだよ。研修3か月で18年、22年の歳月を取り戻すことからしないといけない奴ばっかりで。」と溢していた役員がいました。 良いも悪いも学習能力がありますから、目が出て成長する間に変な日本語のシャワーを浴びて、注意される・叱られないどころか怒られることもなくいれば、それで良しとなるのは必至ではないでしょうか。
お礼
ご丁寧な回答いただきありがとうございました
お礼
投稿いただきまして、ありがとうございます。 私も、これらの誇大表現について、ふたつの理由を考えていました。 ひとつは質問文に書いたとおり、今の若者が叱られたり、強い意志のぶつけ合いをあまりしないからではないか、という推測。 もうひとつが、回答者さまのおっしゃる、誇大な表現や過剰な表現の乱用によるものです。 それとも彼らにとって、実はさほど意識もなく、単にブチ切れ=多少の不快感 ってれべるの意識で使っているのでしょうか