下に着るもの = 上に着てはいけないもの = 見せてはいけないもの
だからだと思います。そういう共通の感覚が植え付けられているからだと思います。
もともと、人の羞恥心としてプライベートゾーン(乳房、性器、臀部)を晒されないことと、ファッションやモチベーションとして肌を露出することを前提とする水着の関係もあり、どのような感覚、文化があるかによって違いがあります。
そしてその感覚は、人によって、あるいは場所によって、大きく違います。
いくつかの例を挙げてみますと、
(1)下着が衣装の場合
下着が衣装としてある場合は、「下に着るもの」ではなく、「上に着る」ことが前提です。下着のファッションショーなどがそうですし、AKBのPVも下着は衣装なので、見せてはいけないものではなくなります。だから、この場合は下着なのに「下着」ではななくなりますので、見せても恥ずかしくありません。
もし衣装でない下着、つまりいつも「下に着ている」下着で出演してくださいというとNGなのはそういう意味でしょう。
本人も見る人も共通の約束で、「この人の下着でない」ということです。
だから、このシチュエーションである限りは、水着がOKな人は下着もOKということになります。
(2)水着の「下着」の場合
水着の下にアンダーショーツをはく方がいますが、これは水着1枚では「下着」の感覚があるからだと思います。下にもう1枚はくことによって「下着」でないことを確認して安心するのだと思います。
(3)場所やシチュエーション、その人の感覚の違い
その時々の感覚や場所、その人たちの立場によって違います。
水着はプライベートゾーンを隠すのと同時にファッションとして見せる意味があります。でも、これはプールやビーチでの場合であって、電車の中では違います。それはこんなところでは水着にならないというみんなの感覚です。南欧のビーチでトップレスになれても、日本の電車の中で水着は着れないでしょう。
むかしの競泳用の水着は、今と違って透けていました。そのことの水着はナイロン製だったので生地が薄ければ透けていましたし、明るい色で透けていれば高性能の水着を着ているような気分になり、チームオーダーでそろえた水着は、何も身につけていないくらい透き通っていました。それで、気合いを入れていたのだと思いますが、この場合には、アンダーショーツを履くのはありえませんし、この場合は、「下着」「水着」の議論ではなくなると思います。この例でも、水泳をやっている人が平気なだけで、普通の人はだめだと思いますし、今の時代なら水泳をやっている人もだめだと思います。その当時は、競泳用の水着は見えて当然という感覚が「水泳をやっている人に限り」あったのだと思います。
結局は、共通の感覚というか、固定観念だと思います。「なぜなんでしょう」といっても理論的なものではなく、感覚的なものだと思います。文化は論理で説明できない一例だと思います。
お礼
下着みたいな水着、でも同じですか?