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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:博士院試が相対評価?)

博士院試が相対評価?

このQ&Aのポイント
  • 博士院試は相対評価なのか?審査基準が不平等であるという問題点を指摘。
  • 研究分野によって審査員が変わり、客観的な審査基準がないことが問題。
  • 審査員の恐怖心や個人の好みによって、甘い点数が入る場合があり、公平性に欠ける。

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noname#232424
noname#232424
回答No.4

再訪。>>は,ぼくが前の回答に書いたものです。 >>ぼくは,「学会誌にもクソが多い」と考えていますから,ぼくが編集委員長になって絶対評価すれば,雑誌が薄っぺらになって困るでしょう。 >なるほど。回答者様の領域は、一人がある程度、網羅できるものなのですね。 まあ,そうもいえますし,ぼくが広く浅くタイプなのか 笑。書いてある内容は完全にわからなくても,問題設定とか方法論,論理は,普遍的な観点で評価できます。それに,地頭のよしあしは現れます。 >しかし審査委員長が変わるごとに、基準が変わってしまうのなら、それも問題ですね。 外国にはあるんじゃないですか。「今期はだれそれがチーフ・エディターだから,この傾向の論文が掲載されやすい」ということが。基準が変わるわけではありませんが,「この傾向」ならいくぶんカスでも採択されやすくなるかも。 >>まれに,「適格者なし」として公募を”流し”,条件を変えて再募集することがあります。応募した人たちには,失礼千万だと思いますがね(ぼくが知る範囲で大学名を書いてやろうか? 笑)。 >書いていいのなら、お願いします。これは絶対評価で「適格者なし」なのですか。つまりその研究科の教員の看板を背負っていけないと判断され、リジェクトされたわけでしょうか。となると、相対評価で就職の面接が行われているという私の認識は間違いになりますね。ただしこれはもう少し詳しくお話を聞かないと、実態が分かりません。 ぼくが関係したものではありませんが,大学名は書けませんね。この業界に加わって知ったことは,いろいろな要件で決まって/流れているらしいということです。ぼくが音頭を取ってかけた公募では,そんなことはありません。 ・内部には門外漢しかおらず,当該の新興分野にはまだ人材が育っていないことを知らなかった。 ・内部に派閥があってまとまらなかった。(そんな大学には勤めないほうがいい 笑。) ・「人寄せパンダ教授」になれる応募者がいなかった。(公示に「アホでもテレビ出演が多い人」とは書けませんよ。) ・いまは法規的に年齢制限を公示できないが,「講師」には業績・年齢が高すぎる応募者しかいなかった。(採用後に周囲とくらべて,「なんでおれが講師で,あいつが教授なんだ」と不満をもちます。) ・内部で急に組織改革案が浮上し,当該分野は不要になった/当該分野からほとんどそれた応募者が採用になった。 ・アホ教授が,「おれより優秀な若手に来られては,威張れなくなるじゃないか」と考えて横槍を入れた。負の絶対評価ですね。(ぼくは自分が楽をしたいので,【同年齢時の】自分より優秀な人材をとります 笑。) >>むしろ文科省が「定員を満たせ」と厳しく行政指導しているために,水準以下でも合格させざるをえないのが真実です。 >お言葉を返すようですが、実際のところは異なると思うのです。院試の度に、定員の数を平気で半数以上割ったり、あるいは超えたりしますので。文科省のお達しは私とて知っていますし、研究科も建前上、帳尻を合わせるのだと思いますが、基本的には裁量の範囲でやっているのかなと思います。 受験者数が定員を割れば,当然に満たせません。また,過年度に多くとったために,今年はいくらか割ってもいいかなという判断は,たしかにあるようです(合格圏最低点の受験者が,他者より大幅に点が低い場合,とか)。これは入試課に相談し,入試課は文科省のご意向もうかがうこともあるようですが,そのあたりはぼくは知りません。文科省にお伺いをたてるということは,ほめられる行為ではないはずです。 >>壊滅的に水準が低い大学院じゃないんですか? たぶん,そんなところで得た学位は,学界では通用しないんじゃないですかね。 >通用しないかもしれません。だから問題なのですが。学振研究員の採択も、その「宗教団体」のゼミからは皆無です。教祖様も競争的資金を獲得しておりません。しかし院試では、その団体の天下です。端的には、そのバランスを崩している先生に反省していただきたいのですが、それを言える人は中々いないのです。基本的には、その先生の判断基準が最大限尊重されるものだと思いますし、逆に、それが尊重されないのも由々しき事態だと思うのです。大げさに言えば、学問の自由の侵害です。しかしモンスター化されると、困りに困ります。ちなみに駒場と似た位置づけにある院です。 そのゼミが,「宗教団体」というよりも,「ディプロマ・ミル」ふうになっているということですね。前にも書きましたが,「あそこは師弟そろってだめ」という評価もあるようですから,社会の害悪とまではいえないかもしれません。「学問の自由の侵害」は,その教祖様が奇異なテーマばかりやらせ,結果的に研究科がいびつになるとなれば,そういえるでしょう。 視点をかえて大学側からいえば,「あの先生は学生をたくさんとってくれて,経営におおいに貢献している」,「あの先生はアホ学生にも熱心に教育をしている」となるのかもしれません(とくに私立大学では)。研究科で合計すれば定員も割らないですむでしょうし。いまは「指導学生数」という教員評価項目もありますので,「5人しか引き受けない」先生のほうが,むしろ肩身が狭い思いをすることもあるのです。その先生が(たぶん分野も異なる)教祖様にたいして,「おまえ,衿をただしたらどうか」とは言いにくいです。このくだりは,ぼく自身の「ぼやき」でもあります 笑。

noname#175361
質問者

お礼

ありがとうございます。 >問題設定とか方法論,論理は,普遍的な観点で評価できます。それに,地頭のよしあしは現れます。 おっしゃる意味は分かりました。しかし、これは書式とか、整理の仕方の問題ではないですか。だから、誰かそれを熟知している人が手伝ってやれば、いくらでもどうにでもなる範囲じゃないでしょうか。そして、投稿してくる以上、大体の人はその基準を八割方、クリアーしているのじゃないでしょうか。そんなに駄目なものですか。それとも私が甘い考えをしているのかもしれませんが。 >「講師」には業績・年齢が高すぎる応募者しかいなかった。(採用後に周囲とくらべて,「なんでおれが講師で,あいつが教授なんだ」と不満をもちます。) >アホ教授が,「おれより優秀な若手に来られては,威張れなくなるじゃないか」と考えて横槍を入れた。 私の分野だと、講師に応募する若手が教授よりも業績をもっていて当然という事態が発生しています。五十歳の教授に、三十歳の院生が勝っているのです。就職したくて必死に業績を作ったのに敬遠されることがあるとは、暗澹たる思いです。まあ、おっしゃるケースは、公募でトップの業績をもつ人がよほど性格が悪く、この人を拒否するためには公募そのものを流すしかない、というような事態なのでしょう。ともあれ、相対評価ではないことが分かりました。 >また,過年度に多くとったために,今年はいくらか割ってもいいかなという判断は,たしかにあるようです 私のいたところは、これを操作して枠にプールをつくっていたように思いますよ。どこの研究科もしていることだと思ったのですが、回答者様の反応を見ると、うちが少し異常だったのかもしれないと思いました(それか、私の事実誤認)。 >いまは「指導学生数」という教員評価項目もありますので,「5人しか引き受けない」先生のほうが,むしろ肩身が狭い思いをすることもあるのです。その先生が(たぶん分野も異なる)教祖様にたいして,「おまえ,衿をただしたらどうか」とは言いにくいです。 言いにくいものなのですね。そして、裏を返せば、回答者様のところにも、教祖化した先生がいらっしゃることが察せられました。主ゼミの定員数でも定めてくれたら、ゼミの拡大運動がなくなり、解決するように思うのですけれど、こういうことは検討されないのですか。 >前にも書きましたが,「あそこは師弟そろってだめ」という評価もあるようですから,社会の害悪とまではいえないかもしれません。「学問の自由の侵害」は,その教祖様が奇異なテーマばかりやらせ,結果的に研究科がいびつになるとなれば,そういえるでしょう。 確かに〇〇ゼミの出身です、と言うと、へっ?あれなの?という反応はありそうな気がしますね。ちなみにその大派閥のゼミは、単なる、ディプロマ・ミルではないようです。ゼミぐるみで学生活動などをやっており、セクトではないにせよ、何かの団体ではあります。教祖が率いてコロックなどに乗り込んでいき、小さな会場を埋めて占拠するくらいは朝飯前です。このゼミには学問の自由はありません。これはそこに入門した学生の責任としても、研究科全体にまでその余波を広げないでほしいという気持ちです。私の友達など、M7になっても進学できなかったんです。決して、超優秀ではないけれど、かなり頑張っている人でした・・・。

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その他の回答 (4)

noname#232424
noname#232424
回答No.5

加筆。 いまは「学位授与数」という教員評価項目もありますので,「簡単には審査の俎上に乗せない」先生のほうが,むしろ肩身が狭い思いをすることもあるのです。

noname#175361
質問者

お礼

ありがとうございます。先にこちらにお礼を書かせていただきますが、そのように思います。というのも教員の業績欄に、どの学位審査に関わったかが公表されていますので。

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noname#232424
noname#232424
回答No.3

加筆。 >学位請求者や査読者が所属する学界の基準において,「この請求者にはドクターの看板を背負うだけの力があるかないか」の問題 この基準は,「代表的な学会誌に(何編かの)論文を公表しているか」ですから,査読者たちが勝手に決めるわけではありません。第2~第5査読者の分野が多少はそれることがあっても,これで学位請求者の水準が客観的にわかるのです。 あなたの大学院で,評点を甘くして学位をだすことが可能なのは,こういう基準が適用されていないからだろうと推測されます。厳しい教員は,「●●学雑誌/Journal of xxxlogy に何編書け。書かないうちは俎板の上に乗せるわけにはいかん」と,本寸法の指導をしているんじゃないですか。甘い評価で学位をとっても,同業者から「ふうん。君の名を●●学雑誌で見た記憶がないけどね」と冷笑されるでしょう。

noname#175361
質問者

お礼

ありがとうございます。 >この基準は,「代表的な学会誌に(何編かの)論文を公表しているか」ですから,査読者たちが勝手に決めるわけではありません。(中略)甘い評価で学位をとっても,同業者から「ふうん。君の名を●●学雑誌で見た記憶がないけどね」と冷笑されるでしょう。 おっしゃるのはごもっともです。私のところも、基本的に、学位請求権の審査があり、その時に論文計画と査読を通った論文を出し、審査されることになっています。これはおそらく、どの大学も同じでしょう。

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noname#232424
noname#232424
回答No.2

>現実的には相対評価になる・・・紙幅が限られている学術誌 まあ,投稿の端境期には受理されやすく,みなが修論を投稿する季節には時間がかかるという現象はありますよね。ぼくは,「学会誌にもクソが多い」と考えていますから,ぼくが編集委員長になって絶対評価すれば,雑誌が薄っぺらになって困るでしょう。だから,ぼくのところには委員長の依頼がこない(同業者からそんな話をききました) 爆。 >教員の公募などは、相対評価にせざるを得ないこともわかります。 まれに,「適格者なし」として公募を”流し”,条件を変えて再募集することがあります。応募した人たちには,失礼千万だと思いますがね(ぼくが知る範囲で大学名を書いてやろうか? 笑)。 >博士院試の定員など、研究科の裁量の範囲 いいえ。むしろ文科省が「定員を満たせ」と厳しく行政指導しているために,水準以下でも合格させざるをえないのが真実です。マジで絶対評価すれば,1つの分野で日本中で年間数十名しか合格しないと思いますよ 笑。 ------------------- あなたの質問は,以下が本題ですよね。 >東大の駒場をはじめ、様々なジャンルの研究者が集まっている研究科の場合、「競争」を行う舞台がそもそも成立しないのだから、競争させられることそのものが理不尽である。 まず,ぼくは駒場で論文博士をとったことを,述べておきましょうね。そのとき,あなたのような不満を感じませんでしたけども。 駒場だろうがどこだろうが,学位請求者や査読者が所属する学界の基準において,「この請求者にはドクターの看板を背負うだけの力があるかないか」の問題でしょう。その観点では,アホみたいな学界もあるなあと,個人的には考えています。たぶん,ぼくが属する学界は厳しいほうです・・・だからこそ,ぼくは博士課程在学中に学位がとれなかったわけ。 >院生らは「通りやすい」と噂されるゼミに籍を移し、また教員の方でも点数の甘さを派閥形成のための餌にしています。 壊滅的に水準が低い大学院じゃないんですか? たぶん,そんなところで得た学位は,学界では通用しないんじゃないですかね。厳しい教員のもとでしごかれた5人のお弟子さんをのぞいて。それくらい周知の事実なんじゃないですか。ぼくらも未知の若手をみるとき,「だれそれのお弟子さん」という見方をしますから。

noname#175361
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ぼくは,「学会誌にもクソが多い」と考えていますから,ぼくが編集委員長になって絶対評価すれば,雑誌が薄っぺらになって困るでしょう。 なるほど。回答者様の領域は、一人がある程度、網羅できるものなのですね。私の領域では一人が網羅すると言ったところで、ほとんど不可能か、ハッタリに近いものだと思っています。しかし絶対評価が可能なのなら、そうするべきじゃないかなと私は思います。その方が公平性が確保できますから。しかし審査委員長が変わるごとに、基準が変わってしまうのなら、それも問題ですね。 >まれに,「適格者なし」として公募を”流し”,条件を変えて再募集することがあります。応募した人たちには,失礼千万だと思いますがね(ぼくが知る範囲で大学名を書いてやろうか? 笑)。 書いていいのなら、お願いします。これは絶対評価で「適格者なし」なのですか。つまりその研究科の教員の看板を背負っていけないと判断され、リジェクトされたわけでしょうか。となると、相対評価で就職の面接が行われているという私の認識は間違いになりますね。ただしこれはもう少し詳しくお話を聞かないと、実態が分かりません。 >むしろ文科省が「定員を満たせ」と厳しく行政指導しているために,水準以下でも合格させざるをえないのが真実です。 お言葉を返すようですが、実際のところは異なると思うのです。院試の度に、定員の数を平気で半数以上割ったり、あるいは超えたりしますので。文科省のお達しは私とて知っていますし、研究科も建前上、帳尻を合わせるのだと思いますが、基本的には裁量の範囲でやっているのかなと思います。 >壊滅的に水準が低い大学院じゃないんですか? たぶん,そんなところで得た学位は,学界では通用しないんじゃないですかね。 通用しないかもしれません。だから問題なのですが。学振研究員の採択も、その「宗教団体」のゼミからは皆無です。教祖様も競争的資金を獲得しておりません。しかし院試では、その団体の天下です。端的には、そのバランスを崩している先生に反省していただきたいのですが、それを言える人は中々いないのです。基本的には、その先生の判断基準が最大限尊重されるものだと思いますし、逆に、それが尊重されないのも由々しき事態だと思うのです。大げさに言えば、学問の自由の侵害です。しかしモンスター化されると、困りに困ります。ちなみに駒場と似た位置づけにある院です。

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  • Tacosan
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回答No.1

あなたのいう「博士院試の定員」ってなんですか? 当然研究科によるところだけど, 博士後期課程の入学試験であっても「論文の審査」があるとは限らんよ. もちろん D や M の在学定員は「研究科の裁量の範囲」ではない.

noname#175361
質問者

お礼

>在学定員は「研究科の裁量の範囲」ではない. 私の質問に該当しない例があるというご指摘は承っておきます。しかし質問にお答えになっていただけませんか。知らない(or 事実誤認であり答える必要がないと思う)ということなら、捨て置いてください。それがマナーと思いますが。

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