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帝王切開と虐待について
帝王切開は一部の研究者から親が苦痛して子供を生まないので、子供への愛情が希薄になると分析します。 この事と関連して子供への虐待が助長されてる可能性はあるでしょうか? 私の知ってる限りのケースでは事例が1つしかないので、関連する可能性がどの程度あるか判断できません。 普通分娩でも虐待した人は見受けられますか?
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お礼
回答ありがとうございます。 猫は自分の子供を産む瞬間を見れなかった故に、自分の子供である認識を自覚できないから、育てられないのかも。 人間の帝王切開も猫と同じように、感情レベルで自分の子供であるという自覚が無いと思うんです。 理性的に自分の子供だと思おうとするなら、子育ての労に納得できない感情が湧きやすくなりヒステリーになる。その状況下においては子育て苦労は、そうでない場合よりも強くなる。 よって子育てによる親のヒステリーは自然分娩と比べてると帝王切開の方が強いかもしれない・・・という推測が私の中にあります。 反面、ヒステリーになったとしても、当人がヒステリーを異常なのだと自覚できれば虐待はしないだろうし、そういう人は子供に八つ当たりしたとしても罪悪感を得ると思います。 罪の意識に苛まれたりと、子育てに労を掛ければ、その努力分だけ、その努力を失う行為に等しいだろう虐待はできない。 それが虐待するか否かの分岐の分かれ目だとして、育てるという行為を肯定的に捉える人間なら大丈夫でしょう。 しかしながら、途中で肯定的に思えない理由、例えば子供よりも優先順位が恋愛にあったとして、産んだ後に彼氏が出来てしまう等、そういう場合に子供が疎ましくなる場合もあると思います。 そういう場合において、子供を生むときに痛みと戦ったか否かが、重要になってくる気がします。 痛みなくして得てしまった新たな命と、痛みを耐えて得た新たな命とを比べるとしたら、どちらがより自分の子供を運命共同体と思えるかどうか。 子育てへのモチベーションに対して大きな影響を与える気がします。 しかし、痛みに耐えたかどうかは全く関係なく、痛みに耐えたからこそ、、より被害妄想的に「思い出せばこのガキは今まで私に不幸ばかり与えてくる!」と憎悪で解釈する可能性もあると思います。 その様に解釈すれば、虐待するような人は自然分娩だろうと帝王切開だろうと虐待するという事に納得がいきます。