私の家も回答者の皆さんの家の様に、
動物好きで、自分が物心ついた時から、既に、
周りに犬がいました。
今迄、犬・猫・九官鳥・亀・小鳥・リス・ハツカネズミ・
鯉・ヒヨコ(鶏)・金魚・熱帯魚等など・・・。
動物園状態でしたね(笑)今、思うと・・・。
どれもが可愛く、お世話は大変(といっても、実際に食事などのお世話を
するのは、家族の中でも1番、動物好きの父が殆どでしたので、勝手のいい時だけ、触っていた、
というのが正直なところです。)でしたが、面倒だから、捨てよう、放棄しよう、と思った事は一度も
ありません。
飼っていて、調子がいい時ばかりでなく、病気になったり、生き物なので、
責任はあるし・・。犬・猫などは特に身近に感じ、家族の一員になりますので、
それなりに、情も移り、最期の時は、本当にどの犬の時も(犬を代表にして言うならば)、
とても辛く、3日間くらいは、ご飯が喉をとおらず、その子の存在の大きさをあらためて感じ入ったりしていました。
心ここにあらずで、仕事していても、落ち着かず、何か変でした・・。家族、皆が、どこか変でした。
ですが、それも最初から覚悟で、飼い始めたことなので、いつか来るXデーは、老犬に
なればなるほど、可愛さと反比例して、心の準備もしておかなくては・・と言い聞かせる自分が
いました。
長くなってしまいましたが、2回、「飼わなきゃよかった」と思った事があります。
(1) 父の日のプレゼントで、おこずかいで、買ったばかりの「雪駄」の
鼻緒を噛んでしまい、履けなくなってしまいました。
まだ、7~8ヶ月くらいの落ち着かない頃の子犬でした。
もともと、この子は、今迄、飼った中でも、女の子なのに、お転婆でお転婆で・・。
敷居は噛んでしまうし、ビニールの椅子でしたが、角を噛んでしまうし、
「何でこんな子が、わざわざ、あたったの?」と正直、チラッと思った事もあります。
でも、それを超える素晴らしいものを、この子は私達に与えてくれました。
(2)そして、2つ目は、これは、今でも心の奥深くに、「ごめんね。私が
もっと、しっかりしてれば、アナタを死なせずにすんだのに・・」と
申し訳ない気持ちと、自分の不甲斐なさ、馬鹿さ、で心が痛みます。
あの世へ、いつか往った時に、謝りたいです。
当時、小学校1年生だった私は、「ミケ」という猫を飼っていました。
朝、分団登校で、6~7人の集団で、登校していたある日、
家から5分程の公園近くまで、歩き始めていた時、「ミケ」が足元に
いたのです。どうゆう訳か、いつの間にかついて来てしまったのです。
「あっ、ミケ」と思いましたが、馬鹿な私は、学校に遅刻する、先生に
怒られる!と「ミケ、お家へ帰りなさい」と言って、そのまま、そこへ
おいたまま、登校してしまったのです。よく考えれば、猫が今来た道を自分で帰れるはずがありません。
それなのに、私は・・・。
遅刻なんかしたっていい!と、何故、思えなかったのか?
いくら、子供だったからといって、そんな事もわからなかったのか?
と、今も自分が許せません。学校帰りに、公園を通ったら、ミケの
無残な姿が道路わきに・・・。無事、帰ってくれてる・・・なんて、思っていた
自分。目をつぶると、今でも懺悔の気持ちで、ミケに「ごめんね」と
涙が出そうになります。ずっと、以前の話しですが。
あれは、私が殺したのです。
(1)のほうは、笑い話で済みますが、(2)は、今でも心が痛みます。
自分の所の子にならなければ、死なずにすんだのに・・。もっと、生きれたのに・・。
そう思うと、本当に、申し訳なさで、いっぱいになります。
以上、お馬鹿な話でした。
お礼
動物を飼うということで、いろんなことを学び、実感しますね。 それは喜びであったり悲しみであったり、時として飼い主の弱さであったり傲慢であったりします。 ネコちゃんは、見方を変えれば身を挺して教えてくれたのかと思いますが、それによって回答者さまが何がしかの気持ちを得たのなら、残念な死でしたけどその分子供ながらに心の成長をしたのかと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。